道又蒼彩 個展 own pace 展覧会評 by M
道又蒼彩の個展own paceはaaploitで2024年9月に開催された。道又は武蔵野美術大学大学院で版画を研究している現役の大学院生、油性木版画が提示された展覧会である。
商店街に位置するアートスペースaaploit、開口部の広い展示スペースである。ギャラリーの外からでも作品の全容を見ることができるが、ガラス戸を一枚隔てているだけで作品とは距離がある。
会場内は左手側と正面にカフカの階段のシリーズがあり、右手側に新作シリーズのown paceがある。展覧会と同じ名前のown paceシリーズは、様々なサイズの作品が6点かけられており、全ての作品にモチーフとして二人の人物が描かれている。壁にかけられた高さや、左右の位置関係なども様々である。左上にかけられたpoint of no return 1と2は、オレンジと青のグラデーションの空が印象的であり、この2作品は高さを揃えて展示してある。タイトルからも関連のある作品であることが読み取れるが、左手にかけられたpoint of no return 1は、崖から下を見ている女性とそれを気遣うような女性の二人があり、右手にかけられたpoint of no return 2は画面の右側に向かって歩いている二人の女性が描かれている。年配の女性と子供のような女性、表情からは、どのような物語なのかを読み取れないが、先導する女性はどこか自信があり、追随する女性は後ろを気にしているように見える。この二作品は連続しているのだろう。二点の作品は高さを揃えて展示しており、画面の中にあるステージや背景の雲も高さが一致している。フレームによって途切れてはいるが、連続した地平にあるのだろう。だとすれば、右手側作品の追随する女性は、崖の縁に座り込む女性と、寄り添う女性と関係があるのかもしれない。
絵本のようなイメージの道又の作品、鑑賞者の中でストーリーが始まるようである。
一層低い位置にかけられたsinkerは、ワンピースのような服を着た女性のスカートの端に、文字通り重石のように座る男性がある。その右上の作品は、親子のように見える。子は親の足にしがみついている。そして最も左手側の小作品には手を引っ張り合う二人の子供がいる。それらの作品を見下ろすかのように、メガホンを持つ女性と縄梯子をかける男性の二人が描かれた作品が右上にある。
これは道又が仕掛けた物語なのだろう。鑑賞者はこれらの投げかけられた断片から、どうしても物語を紡いでしまう。それぞれの作品に連続性あるいは関連性を見出そうとする。ただ、そうした解釈は決めつけにも似ており、決めつけることは、他者を自身の想定のうちに閉じ込めてしまうことになり、その印象が他者へのラベリングへ接続するのではないだろうか。もちろん、他者を想定することはコミュニケーションを取るうえで基本となることではある。
作品シリーズのタイトルown paceは、自身のペースでということであり、マイペースを指していることは明らかであるだろう。多様性が認知されはじめているが、未だに他者に対するステレオタイプな認識があり、例えば「常識で考えて」や「普通に考えれば」と会話の中で出てくることがしばしばある。多様性の観点からは、お互いが持っているものの差異を認め合うことが重要であるが“常識”や“普通”と主張されてしまっては、差異そのものを否定してしまう。道又はこの“常識”や“普通”を画面の中のステージで表しているのだろう。このステージはカフカの階段シリーズにも見られる。
ギャラリーの左側の壁には、カフカの階段シリーズがシートのままで、浮かして提示されている。鑑賞者に迫ってくるような立体感を持っている。カフカの階段は人生を階段のように見立てた概念であり、フランツ・カフカの短編小説『父への手紙』を参照した社会活動家が提唱した。一度階段を踏み外したら、積み木崩しのように階段を雪崩落ち、降りてしまった階段を自力で上ることは難しいとしている。自己責任に対する見識を改めるための啓発であるが、道又が示したいのは、彼女と同世代が感じる空気なのだろう。これからの世代にとって階段はどこにあるのか。多様性として個性を持つことを推奨されたが、逸脱することは認められない、あるいは難しいということ、階段を上ることが、果たして人生の意味合い、目標なのだろうか、という問いかけがある。そして逸脱できない象徴としてステージを示している。
道又の作品は油性木版画である。版木を削り、和紙に写していく。写された版木の表情と和紙のテクスチャが相まって、独特な表面を見せる。薄く色を重ねていき、何十版も重ねた効果として、画面に雲母刷のような効果も見えるが、これは紙の特性によるものだと言う。主線と影は掘り進めによって調整されていく。版を重ねながら版木が変化していくために、エディション番号は与えられているが、全てのエディションが出揃った後で、新たに全く同じ作品を刷ることはできない。複製技術である木版画だが、ユニークピースとしてエディションを括ったような限定である。
カフカの階段とown paceは、同じ制作技法であり、和紙に油性木版画、掘り進め、薄い色を何版も重ねていくという技法である。この制作方法が道又の作品に微妙な空気感を付与しているのだろう。画面の彩だけでなく、作品に対峙したときに色が浮き上がってくるような立体感がある。
柔らかな人物と淡い色使いの道又作品が提示された空間は、絵巻物あるいは絵本の様相をみせる。セリフやト書きはなく、物語は鑑賞者の経験とともにそれぞれに紡ぎだされていく。自己責任に対する不寛容が社会活動家の示したメッセージだが、道又が示すのは自分自身をも含めた他者への寛容ではないだろうか。