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前田梨那個展「Tide Land」展覧会評「不可視の真実性」 by S.N

東京都文京区の Contemporary art Gallery aaploit にて前田梨那の個展「Tide Land」が開催されていたので鑑賞してきた。
程よいサイズのホワイキューブの壁面に、白い額装が 2 点。黒の額装で、中のマット部分に手書きの文字が書き込まれている作品が 3 点。シルバーの額装で他作品と比較して、少し大きめの作品が 3 点掛けられている。その他には、回転するライトスタンドと、布に描かれた人の輪郭のようなものが、ギャラリー外へ向かって展示されている。

2020 年に和光大学芸術学科を卒業した前田は、写真暗室で行われるプリントの過程(写真フィルムから印画紙へ焼き付ける作業)において、様々な外部的要因を干渉させることによって、イメージを変換させる作品が特徴的なアーティストである。出力が絵画的に見えたり、制作過程に意識的なものだったり。フィルムに直接手書きをしていたとしても、最終的な出力にプリント作業を挟んでいるので、あえてラベルを付けるとしたら、写真というカテゴリに属していると考えることが出来る。
白い額装作品の 2 点のタイトルがそれぞれ「Tide Land」、「strange day」。黒い額装の作品タイトルがすべて同じで「ghost have a poor eyesight」となっている。この白と黒の作品からアーティストの見ている世界を想像していこうと思う。
なぜ前田は暗室作業で作品を作るのかを考えていきたい。暗室作業は、光と闇を扱う作業である。銀塩写真を現像、プリントする工程は、常に光と影の反転によって生成される。カメラにセットされたフィルムは、明るい部分ほど感光して暗くなり、暗い部分が感光されずに明るくなる(ネガ画像)。その後、その反転されたフィルムにもう一度光を当てて、印刷媒体である紙に定着させることで、現実世界と同じ光の順序を取り戻す。前田の作品には、この光と闇の連続性が重要だったのではないだろうか。光と闇について印象的な一文があるので紹介したい。

私たちが見ている、すべての色彩や形態、イメージは、それそのものではなく、光を媒介として得られた(光によって変換された)情報であるのだから、 これは視知覚的にも妥当性のある認識である。言い換えれば、視覚がとらえられるのは、当の実体ではなく、その光の覆いである。

ユリイカ 2022 年 6 月号 第 54 巻第 7 号 (通巻 790 号) 青土社 154 頁

可視化出来るということは、そのもの自体が光っていて外面が見えているに過ぎない。見えるということは、本質が隠されているという事である。逆に可視化出来ない闇こそが、本質だと言える。
暗室作業から作り上げられる白は光で黒が闇の表現を前提として、前田の作品を見ていくと、白で構成された作品=目に見えているものの虚構性。黒で構成された作品=目に見えないものの真実性が読み取れる。
白い額装の「Tide Land」、「strange day」は、マットも白で、イメージの背景も白で描かれている。しかし写されている物や人物、黒の輪郭で描かれる。
一方、黒の額装作品である「ghost have a poor eyesight」は真逆の構成である。黒マットに黒背景で描かれ、写っている人物は白い輪郭で表現されている。
白を写真的に考えると光の部分であり、物事の虚構性とその中に描かれた黒い輪郭の真実性。黒い闇で構成された真実性の中に描かれた虚構の白い輪郭。
たったいま黒い輪郭の真実性と書いた。しかし黒い輪郭で描かれた人物は、輪郭こそ黒だが、体の中身は背景と同化した白=虚構で表現されているところが少し怖くも感じる。
また、前田が発行している写真集 zine のタイトルが「みんな影になる everyone becomes the shadow」(アートビートパブリッシャーズ supported by FUJIXEROX 2022 年 7 月 1 日)というタイトルを考えると、非常に示唆的でわかりやすく感じられた。

前田がテーマとしている内容について、ギャラリーWEB ページに以下のように書かれている。
「自己と他者の区別はどこにあるのか?」や「あなたがあなたであり、私があなたではない理由」といった、問いに立ち向かうことです。
前田がテーマとして掲げている本質的な部分は、私は実際にアーティストと話をしていないので分からないが、暗室作業という光と闇の連続性が欠かせないメタファーとなり、虚構と真実、自己と他者との境界にどのような意味があるのかを理解するために、アーティストはそこに触れようとしているのではないだろうか。

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