大越円香が探求するiPhoneが示す世界
iPhoneとは何だろうか?
iPhone登場前と後で世界を変えたことは間違いない。iPhone以前にもスマートフォンと呼ばれるものはあったが、一部のマニア向けだったり、ワーカホリックのためのデバイスだったり、ともかく誰もが持つものではなかった。
iPhoneの誕生は2001年に発売されたiPodまで遡る。世紀が変わる2000年あたりは手のひらデバイスとしてPDAが一部のユーザーから支持されていた。Appleから発売されていたのはNewtonというデバイスだった。当時ビジネスパーソンに絶大な人気だったPalmからすると重たかったし、Blackberryほどの実用性は備えていなかった。
Appleの経営に戻ったスティーブ・ジョブスのもと、携帯デバイスの開発にあたりエンジニアを採用した。経営危機から脱したばかりのAppleには予算が潤沢にあるわけではないため、汎用部品を使ってiPodが作られた。iPodのヒットは凄まじく、市場に溢れていた有象無象のMP3プレーヤーは姿を消した。こうしたデバイスのヒットはHDDをはじめとした部品の小型化、さらにはフラッシュメモリの大容量化、低価格化をもたらした。そして2007年にiPhoneが発表された時、それまでにもタッチパネルを用いた操作は存在していたが「マルチタッチ」による二本指の操作がイノベーションだった。
iPhoneは初代機から市場に受け入れられ、すぐさま普及していった。これは音楽管理プラットフォームの「iTunes」に依るところが大きい。メディアを持たずにインターネットからダウンロードするという新しい音楽体験はユーザーの行動を不可逆的にした。iPodなどのデバイスは音楽配信サービスの入り口にしか過ぎず、サービス全体としては容易に交換可能である。デバイスの機能、性能が増したのであれば、乗り換えるのは自然なこと。ユーザーはiTunesの利便性にお金を払っている。ユーザーが増えていけばプラットフォームとしての価値は増大していく。ユーザーが増えることでサービス提供者にとっても大きな市場となり、魅力的なプラットフォームになる。サービスの需要者と提供者が増えていくことがネットワークの価値の増大へと繋がる。プラットフォームの拡大につれて、プラットフォーマーによる支配的な様相になるが、それぞれのプレーヤーに便益をもたらす。iPhoneの発売時点で、すでにiTunesを中心としたエコシステムが出来上がっていた。iPhoneはエコシステムを音楽からアプリへと拡張した。
破壊的イノベーションとはクレイトン・クリステンセン教授の言葉だが、彼はJob-To-Be-Done(JTBD)という方法論を用いて説明していた。JTBDは片付けるべき仕事と訳されるが、これは"真のユーザーニーズはどこにあるのか?"という点を突き詰めるフレームワークとして知られている。iPhoneが示したのは、音楽プレーヤー、携帯電話、カメラ、ゲーム機をひとつのデバイスにまとめたことと、常にネットワークに繋がることである。iPhoneひとつ持っていれば、さまざまなものを持ち歩かなくてもいい、そして常時インターネット接続はデジタルワールドへの入り口になる。その後に登場したソーシャルメディア(SNS)によって瞬く間に巨大なデジタルワールドが現れた。
iPhoneに部品を供給すること。それが部品メーカーの売り上げはもとより株価にも影響を与えるようになる。多くの日本メーカーの部品が採用されているが、日本だけに留まらず世界中から部品が供給されている。iPhoneはいまでこそカラーバリエーションがあり、Pro, Maxなどと大きさや性能が異なるモデルが販売されているが、発売当初は単一モデルのみであり、ストレージの容量だけがユーザーに与えられた選択肢だった。iPhone以前は季節毎に各社から携帯電話の新モデルが登場し、マイナーチェンジを繰り返し、製品のライフサイクルは短かった。そこから推定できるのは部品価格の廉価化が難しいというところだろう。同じ部品を大量に作っていれば収穫逓増の法則が働く。相対的に高価格の高度なセンサーもiPhoneに搭載されることで安価に供給できるようになる。
iPhoneの先頭の"i"には様々な意味合いが込められている。そのうちのインターネットの"i"は、ネットワークを意味していて、デバイスを通じてネットワークの世界と繋がることを意図していた。iPhoneがそれまでのPDA(Personal Digital Assistant)と全く違うのは携帯電話としての機能よりも、常時インターネットに繋がるという点だろう。iPhoneが破壊的なイノベーションをもたらしたポイントはデバイスそのもの、ネットワーク、プラットフォームの3点だろう。iPhoneは価格戦略によりAndroidの躍進を許してしまったが、スマートフォンのある世界へシフトする立役者であったことは間違い無い。
大越円香は情報科学芸術大学院大学[IAMAS]でiPhoneを用いた写真の研究を実践していた。大越の修了制作の展示で提示されていた作品は《Invisible view》である。壁で三方を仕切られた空間、正面の壁に大判のプリントが三枚かけられ、その手前には、3つの台座にアクリル板で保護されたプリントがある。これはオリジナルの印画紙を用いている。そして右手の壁には大きな3つのQRコードが掲げられており、その大きさからQRコードでアクセスできる情報は単純な解説ではないということを暗喩させている。QRコードをスキャンするとWebページにジャンプし、大判とオリジナル印画紙とで提示されているのと同じイメージがスマホに現れる。当初は砂漠の衛星写真か、赤外線などの特殊な技術による写真だと想定した。プリントのサイズの違いとQRコードは、何らかのリサーチの痕跡だと捉えた。
実際にはこれは三人の人物の指紋であり、QRコードから呼び出されるのは高精細なイメージであった。鑑賞者が持っているスマホで、ピンチイン、ピンチアウトしながら物理的に提示されているプリントと同じイメージを見ることができる。
大判プリント、オリジナルの印画紙へのプリント、自身のスマホの中に浮かび上がる画像は、同じイメージであるため鑑賞者は好きなように鑑賞してよい。こうした鑑賞体験を与えられた時にどのような反応を見せるのか。鑑賞者は、表現方法が異なるだけで同じイメージであることに気が付くと、大判プリントの中にあるイメージを自身のスマホの中から、どの位置にあるのかを探したという。そして印画紙へのプリントからも同じ場所を探した。地形として想像していたのは実際には指紋であり、QRコードを介してアクセスした画像を操作しているのは指であり、さながらスマホを操作する指と対向しているようである。ここに不思議な自己言及性が生じる。
大越の関心事項はiPhoneそのものであり、この技術がもたらした新しい体験である。
大越のSurface drawingシリーズは、iPhoneに搭載されているセンサーLiDARセンサーを用いて制作している。LiDARとはLight Detection And Rangingのことであり、光による検出と測距と訳される。測距とは距離を測るための仕組みであり、LiDARは光(Light)をあてて対象物までの距離を測るセンサーである。建築や設備系の現場でも重宝されている技術であり、自動運転においても対象物との距離を把握するために利用される技術である。iPhoneの上位機種にはLiDARのセンサーが搭載されている。3Dスキャンによって現実世界をデジタル上に呼び出そう、あるいは再現しようというモチベーションからの技術であろう。ハイエンドのiPhoneに搭載されているCPUがフル回転するようで、撮影時にはiPhoneが熱くなるという。
大越はiPhoneはデジタルワールドへの入り口であり、こちら側とあちら側との界面と捉えている。LiDARがスキャンしたデータは点群データと呼ばれる。通常は点群データそのものを見せられても、これが何なのかはわからない。テクスチャを用いて人が認識しやすい形へ変換するのだが、大越のSurface drawingは点群データそのものを現実世界から取り出し、3Dモデルとして構築している。部分的に残るテクスチャとオーロラのように波打つ点群が構成された3DモデルをARとして呼び出し、それを大越が撮影し、提示している。iPhoneに搭載されたLiDARは3DモデルをもiPhoneのアプリで扱いたいというモチベーションがあると推測するが、Androidとの競争による写真の美麗化のためと想定する。写真が立体的に見えるように、カメラとディスプレイを技術強化したものだろう。ホログラム/ホログラフィーはまだ身近なデバイスとして実現していないが、その途上にあるのではないだろうか。
岡山芸術交流 2019でイアン・チェンが提示していた《BOB》は巨大なディスプレイの中で自由に動き回る竜のようなBOBへお布施をする作品である。鑑賞者が持っているスマホにアプリをインストールし、お布施をすることができる。BOBの世界へお布施がやってきて、それを認識したBOBが戯れるように飛び交いお布施を食べる。岡山芸術交流 2019でアーティスティック・ディレクターを務めたピエール・ユイグは、スマホは誰もが持っているデバイスであり、それは目のようなものであり、誰もが扱うものにアクセスするためのツールであると主張している。スマホが目のようなものであるなら、その目を使ってデジタル世界を見るということだろう。大越はスマホが示す世界を取り出して提示しようとしている。
デジタルとは数字で表現すること。コンピュータの処理はスイッチのOn / Offの切り替えによって実現している。これを0と1の二進数で表現する。このOn / Offの組み合わせによって世界をシミュレーションするのがコンピュータの中の世界、画像だけでなくテキストや音声、パワーポイントのファイルもデータであり、インターネットを流れるデータも全て0と1で表現されている。3Dデータも0と1で構築することは可能だが、データを作るだけで膨大な時間と労力を必要とするため現実的では無い。話は逸れるが画像生成AIは画像データのフォーマットで0と1の群を生成し、人にとって意味のある画像データを作り出している。カメラアプリを使用して得られる画像データのように、LiDARスキャンは現実的で手軽な3Dデータ作成方法を提供したことになる。点群データからは撮影されたオブジェクトとオブジェクトの位置関係を把握することができ、例えば監視カメラに、作業員が危険区域に立ち入ろうとした際に警報を組み込めるという。現実世界にゲームの世界でいう当たり判定を持ち込もうという試みであろうか。
大越は開発した独自のアプリでLiDARが得た点群データそのものを取り出して可視化している。記号化された世界を写しとろうとしている。人の目で見たら歪んだ世界であるが、iPhoneからはそのように見えている。これはリアルワールドとデジタルワールドとの捩れではないかと捉えている。
《Surface drawing 20230322-04》は画面の中央部分の右寄りに藍色の点群がある。点で構成されているために地の白によってオーガーンジーのような透け感がある。藍のオーガンジーを起点として画面の左側に向かって等高線のように点群が画面全体へ広がっていく。境界に点が集中し、波状になった点群は輪郭線のように画面の領域を分けている。上部には赤色が現れていて、画面には現れていない藍色から赤へのグラデーションを連想する。点群の中に微妙に現れる建物のテクスチャは、終末的な様相をみせる。
誰もがスマホを持つという世界は、デジタルワールドを前景化した。また世界のあらゆる事物をデジタル化する機会を与えた。iPhoneの登場と普及によってセンサーは安価になった。それまではiPhoneに搭載されているセンサーと同様のデータ入力する装置もあったが、とても高価であり、普及しているとは言い難かった。
技術はどんどん更新されていくが、大越の関心事項はiPhoneである。《Surface drawing》は現在のiPhoneが示す世界を表しているし、《Invisible view》はiPhoneによって変化した"見る"という習慣を示していた。
aaploit主催
斉藤勉
参考文献
柏尾南壮(2010)『iPhoneのすごい中身 手の中に広がる最先端技術の世界』日本実業出版社
kiyomiya@impress.co.jp、東芝、世界最小0.85インチHDDを開発、PC Watch https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/1215/toshiba2.htm (参照 2024-7-19)
Sanjana Ray、 iPhoneの頭文字、「i」に込められた意味とは?、 GQジャパン https://www.gqjapan.jp/article/20230912-this-is-what-the-i-in-iphone-stands-for (参照 2024-7-8)
大越円香(2023)『スマートフォンによって変化した写真の受容に関する考察 ─作品《Invisible view》の制作を通して─』
NEC通信システム、3次元点群分析技術 https://www.ncos.co.jp/products/iot/technology/3dpoint.html (参照 2024-7-10)
山東 悠介、新たな情報提示スタイルを切り拓くホログラムの世界。 かんさいラボサーチ https://www.k-labsearch.jp/senmon/119/ (参照 2024-7-15)
Ian Cheng: BOB https://bobs.ai/jp/ (参照 2024-7-15)
Tony Godfrey、木幡 和枝 訳(2001)『コンセプチュアル・アート』岩波書店
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