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岡田 佳祐「地球の波動ノ曲」について by K.U

「グロテスク(grotesque)」は「奇怪な」「異様な」などと訳される英語の形容詞ですが、この語源はイタリア語で洞窟を意味するグロッタ(grotta)に由来します。15世紀末に発掘された古代ローマ皇帝ネロによる黄金宮殿「ドムス・アウレア Domus Aurea」、この室内に描かれていた奇妙なフレスコ画を参照した室内装飾が爆発的に流行し、「洞窟にある装飾」という意味で「グロッテスカ/grottesca(グロテスク様式)」と呼ばれ、「奇怪な」あるいは「滑稽な」という意味が「グロッテスカ/grottesca」という言葉に定着したと言われています。

一方、洞窟は、古代から地母神や水神、生殖神などの信仰と結び付き、湧水のある洞窟が神祠として崇敬されていましたが、グロテスク様式が流行したのと同時期のルネサンス後期、人工洞窟「グロッタ(grotta)」が庭園の景物として盛んに造られるようになり、その内部には噴水が設けられ、奇怪な彫像で満たされました。
 
唐突に「グロテスク(grotesque)」の語源と400~500年前のイタリアの話から書き出しましたが、岡田佳祐の作品「地球の波動ノ曲」を観て真っ先に頭に浮かんだのが、ルネサンス庭園の人工洞窟「グロッタ」でした。大小様々な奇怪な生物が画面いっぱいに描かれた不可思議なイメージが「グロッタ」を想起させたのだと思いますが、この論考ではイタリア・ルネサンスの人工洞窟「グロッタ」を手掛かりに、本作を読み解いてみたいと思います。
 
「グロッタ」内部の彫刻群は、神話や歴史、博物学など多様なテーマで製作されましたが、自然法則や本来の大きさ等に捉われることなく、人から植物へ、さらに魚、動物等へ連続して変化しながら、ストーリーを語るというよりも百科全書的な網羅性を持って洞窟の内部空間を埋め尽くしました。一方で本作は、鳥、魚、虫などの奇怪な外観の生物、樹々や花などの植物、そして水流などの背景が、各々の輪郭を曖昧にしながら渾然一体となって画面全体を埋め尽くしていますが、ひしめき合うモチーフ同志は互いに関係を築くことなく網羅的に描かれていて、鑑賞者はそこにストーリーを読み取ることは難しいでしょう。モチーフそのものが持つ異様さあるいは奇怪さ、そしてモチーフ相互の不分離や境界の曖昧さに由来する連続性と網羅性、これが本作と「グロッタ」の大きな共通点であり、これらの特性によって、本作は鑑賞者に対してグロテスクな印象を一層強く訴えているのだと思われます。
 
また本作のもう一つの大きな特徴として、透視図法的な遠近感を持たず非常に強い平面性を持っていることが挙げられます。これによって、イメージの中には特定の焦点が無く画面全体が等価に捉えられることとなり、前述の輪郭の曖昧さと合わさって、画面全体をシームレスに流れるように観ることを鑑賞者に促します。一方でグロッタは、彫刻やフレスコ画により立体感があることに加えて、アーチやドームのような建築言語や対称性のような幾何学的秩序が残っているため、構築的な視覚体験を与える点が、本作との大きな相違点でしょう。
 
「地球の波動ノ曲」と「グロッタ」を比較して、「異様さ・奇怪さ」及び「連続性・網羅性」という共通点、そして本作の平面性に起因する「画面全体の等価性と流動性」に対する「グロッタ」の「構築的な視覚体験」という相違点を挙げました。さらに、両者ともに水をモチーフとしている点や、岡田作品を描く絵具の原料である鉱物と洞窟が地中というキーワードで結ばれる点も興味深い共通項です。作家は本作をグロッタから着想したわけではないとは思いますが、この「地球の波動ノ曲」が持つ奇妙さ・不気味さは「グロテスク」という言葉が相応しく、私は岡田佳佑が壁画を描いた現代の「グロッタ」を観てみたいと思いました。彼が描いた「グロッタ」は、進み過ぎた工業化や規格化の果てに多くの現代建築が放棄してしまったように見える、「豊饒な空間」を取り戻してくれる気がしてなりません。

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