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大石いずみ個展「emergence」展評 by M.I

 2020 年、京都精華大学芸術学部造形学科洋画コースを卒業した大石いずみ(1997- )は、学部生時代から写真を用いた絵画表現を行い、瀬戸内国際芸術祭 2019(2019 年)に出展するなど、今後の活躍が期待される新進気鋭の若手アーティストである。
 本展のために制作された『emergence 1997.9.26』では、産まれた我が子を抱く母親がみてとれる。本展のタイトルである” emergence”は「出現」を意味し、大石自身がこの世に生まれたことを表しているかのようにも見受けられた。しかしながら、ロールシャッハ・テストを想起させるかのような無数の曲線が、表象するイメージからは別の要素が隠されているような気がしてならない。

《emergence 1997.9.26》, 2023, ©️Izumi OISHI


 「彼女の眼に映る世界は、このように見えているそうですよ。」

 安土桃山時代の絵師、狩野永徳(1543-1590)が描いた『唐獅子図屏風』を想起させるかのような流線形の筆さばき。なぜ写真を忠実に「描く」のではなく、意識的に描かれた線はなにを表しているのであろうかと思考を巡らしていたとき、当ギャラリーのオーナーである斉藤氏から発せられた言葉の真意を探ってみた。


 キャンバスの側面に視線を移すと、元の写真がプリントされている和紙の繊維と胡粉、垂れた蜜蝋がみてとれる。このとき、蜜蝋は壁面方向、すなわちキャンバスが水平の状態で塗られていることがわかる。つぎに、イメージ面に着目すると、蜜蝋は床方向、すなわちキャンバスが立てかけられた状態で垂れている。ゲルハルト・リヒター(1932- )はフォト・ペインティングのように、写真を描くことによって「絵画になる」ことを提示していたのに対して、大石は写真のうえに絵の具・蜜蝋・胡粉を何層にもわたって塗り重ねることで、客観性を排除しより主観的な大石の現実世界を表象させているかのようにも感じられる。

 なお、大石は自身の作品について以下のように綴っている。

白黒のフィルム写真や手紙をもとに、光と陰、そして言葉によって記録された“事実として横たわる時間”の存在と描くことで向き合いながら、それらを通じて記憶と対話する行為を促す作品を目指す。※1

 大石は巨大に引き伸ばされ原型をとどめてはいない写真を用いることで、写真に記録された時間を「描く」という行為によって表現しているのだ。写真に刻印された時間の堆積を蜜蝋・胡粉・絵具といった物質を用いて呼び覚まし、写真の持つ記憶に触れながら、撮影された瞬間の気配が大石の手によって描かれているといえよう。

 我々は常日頃から写真や絵画をみるとき、そこに「何が」描かれているか、すなわち表層的なものの見方を無意識的に行っている。しかし、大石の作品では、元の写真が何であり、何が描かれているかといった表層的なものに意味はない。つまり、「出現」しているのはほかならぬ「時間」そのものあったのである。

 蜜蝋から仄かにかおる臭気によって、いつの間にか絵画に刻まれた時間軸から実世界の時間へと引き戻される。外に目をやると、春めいた「時間」の気配がみえた気がした。

(文字数:1260 字)

※1:大石いずみ Webpage
https://izmdraw.myportfolio.com/about-2(最終閲覧日:2023 年 5 月 10 日)

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