大石いずみ <Her sons> by N.N
先日、文京区の小さなギャラリーで不思議な作品と出会った。たしか君は神楽坂の近くに住んでいたなと思い出したので、ふと筆を手に取った。元気にやっていますか?
その作品は、こちらを見る眼差しが印象的な人物の顔を描いた91×91㎝の油彩画で、作品のタイトルは<Her sons>。一人の人物の顔がほぼ正面から大きく描かれており、絵の具は画面の左から右に流れ輪郭はほぼ原型を留めていないが、目鼻口の位置はそことわかる。画面左側の濃紺の背景と、クリームがかった白で描かれた人物の顔のコントラストがはっきりしており、右上からの光が、顔の左側、鼻、唇を明るく照らしている。近づいて見ると、油彩画の表面は蜜蝋で覆われており、キャンバスは肌理の粗い麻布に、表面には和紙が張られている。
全体の半分以上が明るい色(白)で占められているものの、この絵の印象は明るくない。絵の具の左から右への流れが、人物の顔の輪郭を崩し、風に吹かれて右側へと流されていくように見せる。右上の光源へと吸い込まれて行くようにも見て取れる人物の顔は、この人物が既にこの世に存在しないような「儚さ」を感じさせる。濃紺と白とのモノクロームな配色は、セピア色に色あせた過去の記憶のようにも感じさせる。蜜蝋で覆われた表面は、保護という本来の目的ではなく、色彩に白濁した柔らかさを加えることを狙っているように思われ、また、蝋で固めることで崩れ行く輪郭を留めようとし、または崩れていく時間を止めようとしているかのようである。そこに存在していた「空間」と、変化し色褪せていく「時間」を感じさせ、誰かのはかない記憶を共有するような印象を受ける作品である。キャンバスの肌理の粗さも、脆さ、儚さを感じさせているのかもしれない。
タイトルにある「sons」が複数形であり、画中にもう一人描かれている人物に気付いていないのかとの不安がよぎったが、居合わせたギャラリーのオーナーの「元々は対になった2つの作品だったそうですよ。」との言葉に安堵した。「Her」は誰なのであろうか。この絵に感じる「儚さ」から想像するに、二人の息子は既にこの世に存在しないのではないか。だとすれば、二人の息子に先立たれた女性の想いが作品制作のきっかけなのかもしれない。というより、描かれている人物ではなく、この絵は、その女性の記憶そのものを映し出したのかもしれない。または作家にとって大切な存在である「Her」の息子は、作家自身にとっても身近な存在(従兄弟や叔父)であり、モノトーンな表現は作家の過去の曖昧な記憶を示しているのかもしれない・・・。
この作品に明るい印象は持たなかった。しかし描かれている人物とそこから想像される人々の「記憶」には暖かさを感じ、穏やかな気持ちになれた。元気の源は必ずしも明るい前向きな表現だけではないと思う。商店街から一歩入ったところにあるこのギャラリーの前を通りかかったら、ぜひ立ち寄って欲しい。君がどんな印象を持ったか、そんな雑談を肴に一杯やろう。
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