松下みどり 「彼此方の」より《けむる》、《けぶる》、《たつ》、《暮》、《種》、《沸》について by K.U
12月1日(金)から12月17日(日)までaaploitで開催された、日本画家 松下みどりさんの個展「彼此方(ひしかた)の」から、《けむる》、《けぶる》、《たつ》、《暮》、《種》、《沸》という6枚の作品群を紹介します。
これらの作品群は、百人一首の八十七番、寂連法師による「村雨の 露(つゆ)もまだひぬ 槙の葉に 霧(きり)立ちのぼる 秋の夕暮れ」に着想を得て製作された作品で、参照された和歌は、にわか雨が通り過ぎたあと、まだ雨の滴が乾ききらない槙(常緑針葉樹の総称)の葉から霧が立ち上っていく、秋の夕暮れの情景を歌ったものです。
いずれも1辺18cmの正方形の支持体に抽象的なイメージが描かれていて、黒と赤を基調とした4枚と黒と青を基調とした2枚の計6枚の作品が、2枚ずつ3段、中断を右にずらして壁に掛けられています。また基調色の違いに加えて、表面の質感や筆致が作品毎に違っていたり、光の屈折と思われる独特な奥行き感を生み出したりしていることも、この作品群の特徴です。
参照した詩から想像するに、赤は夕焼けの空を、青は雨露や水を表しているのでしょうか。そうすると黒が何を表しているのか?参照された和歌に照らし合わせて一枚一枚を読み解きながら、この黒色が何を表現しているのか探ってみようと思います。
上段左の《けむる》は、光沢感のある凹凸の表面に、上から下に向かう黒から灰色のグラデーションが画面の大半をベールのように覆っています。そして画面中央、無彩色のベールの向こうにうっすらと見える赤色は、秋の夕空あるいは紅葉した木々でしょうか。すると、この黒色は、歌の出だしの村雨、にわか雨を表現しているように思われます。
上段右の《けぶる》も、《けむる》と同じく光沢のある凸凹の表面で、画面右上から広がる黒い流れが中央の赤い斑を包み込み、赤い斑の中には白い3つの斑点が描かれています。1枚目から時間が経って、雨が通り過ぎて徐々に晴れてきた様子でしょうか。赤色は太陽、白い斑点は光のハイライトのように見えてきます。
中段左側の《たつ》は、これまでの2枚とは一転、青と黒を基調にしていて、表面のテクスチュアも前の2点とは対照的に光沢感がありますが、ところどころ水の泡のようにブツブツとしています。黒い塊が左辺と底辺の青い縁取りにどっしりと重く覆いかぶさり、黒い塊は重力に逆らって右上に吸い上げられているように見え、この黒い塊のまわりには青色の小さな斑点がぽつぽつと描かれています。タイトルからも歌の中の「立ちのぼる」に対応していると思われ、雨水が蒸発して霧になっていく様子を超スローモーションで見ているようです。
中段右の《暮》は、これまでの3枚とは一転、目の細かいザラっとしたテクスチュアの表面に、濃い赤色が画面全体を覆い、黒は画面左側に垂直に描かれるのみ、6枚のうちで最も黒の比率が少ない作品です。晴れた秋の空を描いているのでしょうか。画面右手の黒い影が立ち上がる様子は、一本の立木のようにも見えますが、次の《種》への流れから想像すると、夜の闇が立ち上がってきた様を描いているのかもしれません。
下段左の《種》は、《暮》と同じような目の細かいザラっとした質感で、再び黒いベールが画面左上から画面全体に拡散しています。雨あがりの夕焼けを暗闇が覆った様子でしょうか。画面左上から左下に向かって拡散していき、徐々に赤い斑と混ざり合い画面右側では黒と赤の境目は無くなってしまいます。この作品は、6枚の中でも特に不思議な奥行き感が感じられる先品で、画面下部の着色されずに白く残った曲線が本来は無いはずの奥行きを強調し、闇が空間を覆っていく様を強調しているように感じられました。タイトルの「種」は事物の根源としての「闇」を表しているのかもしれません。
最後、下段右の《沸》では、再び青と黒を基調とした滑らかな表層に変わります。黒い液体が画面中央上部から下に向かって流れるように画面を覆う様は、これまでの5枚とくらべて流動性が一層大きく感じられます。黒い液体の背後に青色の斑点が中央では密に周辺では疎に描かれている様子と、そのタイトルから、雨が地面に浸透した後、地面から水が沸き上がる様子を思い浮かべました。
松下さんは日本画の伝統的な素材や技法を探求しながら、モノと事柄の複雑な関係性の表現に挑戦しているといいます。表面の質感や描写の違い、そして参照された和歌から、6枚に共通する黒を水と闇として読み解いてみることで、自然界を循環する水の様態が浮かんできます。この作品群は、日本画の素材や技法を用いて言葉を絵画に変換することによって、最も根源的でありながら決して全体像を見ることはできない自然の営み、水の循環を視覚的に表現しているのではないでしょうか。