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ギャラリーaaploit―春名真歩個展作品について by P

《a full scale hole》, 2023, Maho Haruna

その作品は、静かにそこにあった。
そんな印象を受けた Oil painting 作品である。
120 号(1,940×1,303mm)の横長のキャンバスには、縦と横の糸で布を織る
かのように、また薄い空気の層を重ねているかのように、アンバーやブルー系の透明メディウム、オイルが薄く塗り重ねられている。その他にもほとばしるメディウムやそのひび割れ、自由にひかれた線などすべてがその層に織り込まれている。そして最後に明るいグレーのメディウムは楕円形にホールの縁取りをするかのよう厚くのせられ、もう一つの次元をつくり上げている。それはそれまでホールの中に居た作家がそこから抜け出るために作った出口のようにも見えた。
作家春名真歩(2000―)は、空気を描きたいと考えているという。その見えな
いものを表現するためにホールという具体的なモノの形を借りると語ってい
る。
上記の作品名は《a full scale hole》であるが同タイトルの作品は個展会場に何点かあった。それらの作品にもホールを連想させる楕円形の形状のものが描かれているが、全ての作品は、その色彩も筆のタッチもイメージも異なっている。
作家春名は果たして空気を描いているのであろうかという疑問が浮かんだ。
われわれのいるその空間には、事実空気はある。しかしそれ以外に音や、光
や、匂い、はたまたあまり意識はできないが多くの電磁波などがその空間に波動として存在している。自分の体から発する熱もそこに放出されてゆく。そして熱が放出されるように、われわれのその時の感情も素粒子となってその場にあふれてゆく。われわれの全ての知覚を意識した時、その空間にある波動は干渉しあい新たな波を作る。マーブル紙の作家が水面上のマーブル状のインクを紙に移すように、春名はその場の全ての波動をキャンバスに移しているのではないかと考える。当然そこには作家の身体や感情の波動も影響し、空気を描くことは作家の「生」も含まれる。ゆえに、春名の作品を見るということは、その時その場に生きていた作家の「いのち」でもあり、鑑賞者はその「いのち」とレゾナンスすることのように思われる
われわれは「いのち」ある身体を持ち、見えるもの見えないものを知覚する肉体があるという意識は、昨今 AI の脅威を感じはじめたからなのかもしれない。しかし、たとえ AI が春名のような作品を描いたとしても「いのち」を持たない AI の作品を見ても意味のないこととなる。AI が持ち得ない「いのち」とは、「気」とか「アウラ」などの言葉でも置き換えられるのかもしれない。
テクノロジーの進化と共にアートも変化しているが、われわれの「いのち」は変わらない。春名作品は表層を言語脳で読み取るのではなく、作家がその場と共振した様に、われわれも春名作品と共振することを鑑賞者に求めているようにも思う。そしてその場その時の鑑賞者の「いのち」も意識し、つながることで作品は成立する。そんなことを考えさせられた春名作品であった。

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