2024/3/12 月1ワークショップ 【第6回】 レポート
前回の「役を重ねる」というワークについて、「父」「母」「娘」が「夫婦」や「血縁」に限る必要はないこと、そして目の前の人のそのままのからだ、そのままの服装で、「こういう若い娘もいるよな」「こういう父もいるよな」と受け入れて、見ていくことについて、例えば年のいった男性を「この人が若い娘」とみることを突飛に感じるとしたら、「この人はアメリカ人です」って言われたくらいの感じにとらえてみる。「あぁ国籍アメリカなのか」と受け止めるように、父、母、若い娘っていうのをそういうものだと捉えてみる。職業を聞いたときに「郵便局で働いています」っていわれたら、「あぁそうなんですか」と受け止めるように捉えてみる等、視点を共有しました。また、2人一組でお互いをインタビューを行い、その人自身の情報を知った上で、役を重ねて「見る」「触れる」というワークを行いました。その中でどのような「母」や「父」また「若い娘」を思い出したかを言葉にしていきました。
・お母さんに触れた時に、一息つける、安心できる。なんかそういう、それが自分のなかの刷り込みなのかわからないですけど、うちの家族のお母さんの柔らかさが安心感をもつなって感じた。
・家族ってすごくネガティブな面もあるじゃないですか、ちょっと離れていたかったり、疎ましかったり、怒りがあったり、それがちょっと芽生えた感じがあって。ちょっと距離を取りたいなとか。ただあったかいとか、触れたいとかじゃない感じがでてきた。
・自分は今日結構、疲れているなと感じて、正直何もやりたくない感じだった。だんだんお父さんが離れて行って、こう遠くから自分を見ているなって。自分が相手に背をむけているような状態になっても、物理的に見ていないけど見ている、私もお父さんも見ているっていう状態、意識が見ているっていう状態だなって気づいたときに、ちょっと元気がでてきたみたいな感じになって。見てくれているし、ちゃんとそれを自分も分かっている。でも家族ってそういうもんかなっていう。本当の家族も。家族って、これは自分の感覚ですけど、絶対的な血のつながりがある人もいないけど、煩わしいこともあるけれど、自分のことを絶対受け入れてくれる器みたいな、そこに帰るところがある、みたいな感覚なので、いま離れていて、4人がけっこう距離をとっている時があったんですが、そういう繋がり、安心感もあった。
・距離をとったときの見え方と、触れたときの見え方が変わってくる。自分の主観で見ていたものと、ちょっと離れて違う目で見たときのあり方っていうのが、全然変わってくる。ただ触れていないと、頭で考えちゃう。
夜の部では、2グループに分かれて、動く役と見ている役になり、見ている側は自分がインタビューした相手について、他の人に言葉で紹介するということをしました。
そうした「その人」の情報が追加されることでの変化について、感じたことをそれぞれに言葉にしていきました。
・一緒に動いている人たちのを聞いていて、お父さんお母さんだと思っていた人が、その人だ、みたいになってきました。大学の助手をされているんだ、とか。お母さんっていう抽象的なぼやっとしたあったかい存在みたいな感じよりは、職業そうなんですね、みたいな。そういう生活をされてたんですねっていう、そういう感じになりました。
・今回のワークショップではずっと自己紹介すらしていなかったから、具体的な情報が追加されるのは新鮮だったんですけど、逆にちょっと具体的な情報が追加されることが、なんかラベルを貼られていくような感じで、嫌な感じがして。普段の生活では、まず先に具体的な情報を知って、コンタクト・インプロ的なコミュニケーションのような、触れるってすごい先にあるものじゃないですか。それが今回のワークショップでは逆で、大事にしてきたものが急にラベリングされちゃったみたいな感じで。どんどん属性が足されていく。自分が誰かと触れて、触覚的なコミュニケーションがあるときに、具体的な情報が入ってくると、例えば会社に勤めていてとか、助手をされていてとか、その情報がいま自分が触れているその人からえる情報より、なんか足りない感じがする。何て言うんでしょうね、、、なんかあんまり「その人」性が薄いというか、そりゃ会社に勤めているかもしれないけれど、、、「そういうことだけで、理解しないで」ってなった気がします。
・ラベリングしていくっていう感覚に対して、自分はラベリングされることへの緊張もあって。自分はお坊さんなんですけど、お坊さんが踊っているっていうラベリング、そういうふうに見られるってことへの緊張がある。今まで誰も自分のことを知らなかったし、自分も誰のことも知らなかったから、ちょっと気楽だった。コンタクト・インプロするって目的は同じっていう安心感があってできていたことが、いろいろ相手のことを知ったり知られたりすると、ちょっとその関係性がまた違ったものになる感じがあって、そういうところでちょっと緊張を感じたかなと思いました。
・コンタクト・インプロって、なんか相手を知ろうとしている行為でもある気がして。別に質問したりはしないんですけど。今は、どっかの誰かが知らないうちに、なんかいろいろ説明し始めたみたいな感じになって、なんかちょっと「あっ大丈夫です」みたいな感じになって。タイミングがこっちにあるから。みたいな感じがした(笑)
・生活感とかリアルっていう、それは当たり前っていうのと、役っていうフィクションとが混ざったというのが、こういうことはないだろうなって不思議な感じがありました。あと、何も知らないでその人ってこういう人だなってなんとなく想像したり、質感だけを受け取っているっていうのも、それはそれでまた、それは何なんだろう。それはリアルなのか、勝手にこっちが幻想で見ているのかわからないですけど。
・自分で自分のことをしゃべるんじゃなくて、人のことをしゃべるってことのなんか責任感というか、違うことを話しちゃ悪いなとか、ありました。さっきお互いに話していた時は、そこまで緊張しない。聞いたことを別の人にしゃべるっていうことに対する抵抗っていうのが、ちょっとありました。こう言っていいのかなとか、本当は知られたくないんじゃないかなとか、人の秘密をばらしちゃうみたいな。
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対話を通じて、ただ「からだ」として感じることと、その人がもつ「属性」や「ラベル」といったものが追加されたり、はがされたりするときに生じる「緊張」について、考えが広がりました。
緊張をネガティブなものとしてではなく、ポジティブなものとしてとらえることや、緊張するってところを見つけたうえで、どうやってその緊張を考えていけるのか、残りのワークショップで考えていきたいと思いました。