【レポート】AAPA『ケアと身体性』vol.1 / これからの「家族」
下記のnoteに経緯を書いた通り、今年2月から『ケアと身体性』をテーマに、コンタクト・インプロビゼーション (CI) の特性の「触れる/触れられる」ことを捉え直していくイベントを始めた。
以下は、AAPA『ケアと身体性』vol.1 / これからの「家族」の当日レポートです。
離れた家族を支える『ケアの循環』
当日は月曜の夜にも関わらず、医療や臨床心理を専門にする大学研究者、地域での介護予防活動に取り組む人、これからの家族のケアに必要とされるサポートや仕組みに関心がある人に参加していただき、15名程が会場になる一軒家の1階リビングに集まった。
ゲストは、自分の大学時代のゼミの後輩で、彼女が撮影・監督をした映像作品『移動する「家族」』の情報を偶然Facebookで見たのをきっかけに連絡を取り、昨年10年振りぐらいに再会した、大橋香奈さん。
最初に「移動/移住」「家族」をテーマにした研究内容の紹介とあわせて『移動する「家族」』を一部上映してもらい、今回のテーマとつながる部分について解説してもらった。
そして大橋さんから、自身の研究と実体験をもとに下記の内容が語られた。
「身近な他者」とのケア
大橋さんの話を受けて、自分(上本)から下記の問いを投げかけた。
*このレポートに出てくる「身近な他者」という言葉は、学校や職場などで友人や同僚として日常をともにした経験がある人たちを指している。今回のゲストの大橋さんも、学生時代にゼミのイベントなどを通じて交流があったが、昨年まで10年ほど会う機会がなかった「身近な他者」のひとりだ。
「触れる/触れられる」ことを試す
そして当日はここで、上本が大橋さんと一緒に試してみる形で、他者と「触れる/触れられる」ことからダンスを始めていく「コンタクト・インプロビゼーション(CI)」の紹介を行った。
最初に、上本から以下の通り簡単に説明して、実演スタート。
大橋さんとのCIの実演を見てもらった後、これまでの話も含めてどのように感じたか、参加者の方々に話を聞いた。
自分たちの北千住のスタジオのクラスに通ってくれている参加者からは「CIを初めてしたとき、自分のからだと相手のからだがひとつにつながったような、とても不思議な感じがして、安心感があった」という話が出て、大橋さんからも「最初は違和感がありそうと思ったけれど、相手のからだと触れたら意外と安心するんだとわかった」との話があった。
また別の参加者からは「CIを初めてやったとき、相手がたまたま知り合いで同じ男性だったけど変な感じもなくて、普通はたいていのことは忘れてしまうけど、このときのCIの相手が誰だったか今もよく覚えているので、強く記憶に残る体験だったのは確かだと思う」という話もあった。
そしてCIを初めて知った、高齢者医療の研究を主に手掛けている医師の方からは、今回見せてもらったことだけでは何も断定できないけれどと注釈があった上で、以下のコメントがあった。
『安心できる身体』を持つ難しさ
このパーソナルスペースに関わる話として、CIの経験がある他の参加者から、具体的なエピソードとして以下の話があった。
参加者からは、他にも様々なCIの体験にまつわる話を聞かせてもらった。
そのなかで「認識と現実の身体性が乖離してしまったとき、CIは他者のからだを通じて、自分自身のからだとあらためて出会う機会になる」という話が出て、セラピーやマインドフルネス、ヨガなどとの類似性も話題になった。同時に、そのような既にケアの現場で行われている取り組みとは異なる、CIの特徴は何なのか知りたい、という意見も出た。
家族が「離れて暮らす」意味
後半、参加者の方から自己紹介とあわせて、それぞれの「家族」についての考えや実体験を語ってもらった。
実家のある地元で就職することも少なくなった今、親と同居している人が少ないのは一般的なことだろう。だが今回の参加者からは「夫婦で同居しなくなった」という話も、何人かから語られた。実家を出てから家族をつくってない人、親の介護を終えた人、夫婦のみなど、ミニマムな形で暮らす人も多くいた。
「家族」が離れて暮らす理由は個々の家庭によって様々だが、なんとなく持っているイメージ以上に、家族の在り方が個々のレベルで多様化していることを実感した。
そして、ケアの現場に研究の視点から関わる医師や臨床心理士からも「家族と離れて暮らすことの大事さ」について語られたことが、印象的だった。
その理由について、専門的な視点から以下のとおり解説があった。
vol.1 での気づき
ネットなど通信技術の発展で「情報によるケア(話す・教えるなど)」を行うことは以前と比べて格段に簡単になったが、様々な理由で『身体性を共有するケア』を家族(または自分自身)が必要とする場合があり、そのときは現在も「家族と離れて暮らす」ことは難しい状況にある。
一方で、それぞれが語ってくれた実体験からも伺い知れる通り、現代では家族だけでケアに関わるすべてを解決するのは無理がある。
そのため大橋さんの話に出てきた『ケアの循環』のように、多様化している実の家族関係と、医療や介護、保育などの専門従事者だけではなく、その外にいる様々な立場の他者とともに『身体性を共有するケア』を行う認識を深めていく必要があると、再確認できた。
そしてケアの現場に関わる研究者から紹介があった「家族の外在化」による効用を裏付けるように、個人の移動の自由が高まった日本では、想像以上に「家族が離れて暮らすこと」が一般的になっている。
ともに暮らす家族が減り、家族以外の誰か(=他者)と『身体性を共有するケア』を行う必要性が高まるなかで、CIの現場に見られるような、他者に「触れる/触れられる」ことを実践する機会へのニーズが生まれてくるのではないだろうか。
次回に向けて
今回のvol.1では「これからの『家族』」をテーマに行った対話を通じて、他者に「触れる/触れられる」ことを体験するCIのような身体技術と、カウンセリングや高齢者医療、介護予防などのケアの現場の関わりについて、様々な可能性が示唆された。
同時に「ケアもCIもからだに触れるので、相手にとって『安心できる身体』になることができないと、難しい」という声があがったように、身体性を共有するケアやCIを「身近な他者とできること」として認識してもらうには、越えていかなければならない課題もある。
そのため次回 vol.2 では、今回出てきた課題についてさらに議論を深め、CIの手法が『身体性を共有するケア』を必要とする場面でどのように活用可能か、参加者の方とともに実践につながる具体的なアイデアを検討していきたいと思う。
(vol.2は『安心できる身体』をテーマに3月末、vol.3は『モノ:ロボットの身体性 (仮)』をテーマにGW前後に実施予定です。)