子育てはモーニング娘。みたいだ

 私の髪にはグレーのメッシュが入っている。色落ちをできる限り無くすためお風呂でたまにカラーシャンプーを使っている。ふとある人の「カラーシャンプー後に普通のシャンプーしなくちゃいけないって知らなかった」というツイートを思い出す。私もそれを見るまで知らなかった。しかし商品の裏を見てもどこにもそんなことは書いてないのであった。
 髪を洗いながら、(カラーシャンプーなんて無かったもんな、こんなことも子供世代には教えていくのか、覚えることってどんどん増えていくな…)と考えていて、ふと「モーニング娘。みたいだ」と思い至る。周年の番組で初期メンバー5人が揃った時に、つんくさんが「君たちはせいぜい20曲。今のメンバーは○曲も覚えなくてはならない。歌い継いでくれる後輩に感謝してほしい」というようなことを言っていたのだ。新しい世代って、覚えることがどんどん増えていくじゃん。その選択って親に託されてるじゃん。やば。
 とは言え新世代が無尽蔵に知識を増やし続けることができるはずもなく、ある程度は忘れたり、接点が減ったりしていくものだろう。私は最近傾倒している「民藝」のことを思い出した。藁で物を包んだりする生活の知恵、今は生産されていない植物で作られた衣類、使用されなくなった雑器や糸車など、昔話の世界。この間は和食料理屋さんで、「貝のスプーンを加工する工場はもう無い。必要とする人がいないから」という話を聞いたっけ。こうして少しずつ、文化は美術品になっていく。膨大なハロー!プロジェクトの曲の中でも、ほとんど歌われなくなった曲がある。文化ってそういうものなのだ。
 子供の時に何に触れさせるかは貴重だ。私は幼少期の記憶がかなり色濃く残っているタイプで、植物が好きだの絵を描くのが好きだのはハッキリと自覚があった。別に親が特別そう仕向けたわけではなかったが、自然に囲まれていていつでも手元に色鉛筆があった。ジブリやピングーやムーミンを見て育った。ディズニーにはほとんど触れずに育ったため、今でも縁遠い。
 子供はもう4歳になってしまった。マインクラフトのyoutubeばっかり見ていて、いくら何でも偏りがすぎないかと心配になるので突然カマキリの一生を無理やり見せたりしている。付け焼き刃だ。
 「子育てはモーニング娘。」と気がついてしまった今、何をこの子達に教えて、何を教えないかの取捨選択が迫られているなと感じる。それはセトリ作りだ。もはや心はつんくPだ。でも所詮親は機会提供することしかできない。その上で勝手に選び取るから。そんな風に諦めもしている。
 体育会系的な厳しさと、動物園のような奔放さ、そのバランスが一番難しい。多分答えは出ない。答えが出たところで、子供は私の作品ではない。でも、どちらにせよ、夏先生や菅井先生のあの厳しさを通過しているかしていないかでは、何かが違ってくるんだろうなぁとも思う。
 挨拶をしろ、体の大事なところは自分の物だから人に触らせるな、人のも触るな、あとここが最近特に迷うのだけど「女の子には特に優しくすること」、言わないようにしているのは「男の子だから泣くな」、私の魔法の呪文は「まあそんな日もあるよね」、思いつくのはこれくらい。
 常識は変わる。ジェンダーのことは最近特に難しい。私がついていけてない気がする。書道教室では「個性だから」とはねはらいの指導を嫌がる生徒がいるらしい。どういう心理で教室に通っているんだろう。
とりあえず、子育てで困ったらモーニング娘。(というかハロー!プロジェクト)に置き換えれば何かヒントが見えてくる気がした、という話でした。

めちゃくちゃどうでもいい風呂場での思いつきをここに残しておく。

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