信玄袋のなかみ
これは届くことのないかもしれない手紙。
…………………
あんずメモに信玄袋って書いてあった、とまるちゃんは言った。
半年ぶりに電話越しに聞くまるちゃんの声は、変わらず軽やかで、適度な湿度と重みがあった。なんて安心する声なんだろう。深い森の、澄んだ水たまりみたい。
あんずメモというのは、まるちゃんが作った私の語録のようなもの。信玄袋、とまるちゃんは笑いながら言ったけど、私はいつどんなタイミングでそんなことを言ったのか忘れていて、ただ私たちの交わした深夜の会話のあれこれをぼんやり振り返っていた。
私たちは深夜に不思議な出会いをした。深夜にたくさん長話をした。あれこれ、とりとめのない些末を。どうやって生きてきたのか、生き延びてきたのか、これから生きていくのかを。
信玄袋なんてどんな会話の中で出てきたのだろう?
結局わからなかったけれど、半年ぶりの会話は半年の歳月をまったく感じさせず(私たちにとっての半年間はなんと長い月日であったことか!)、うれしい、楽しい、よかった、やっぱり私たち相思相愛やもんね、と何度も言い合った。
まるちゃんに何度救われただろう。ときどき、会いたくてたまらなくなる。
複雑な事情があるために簡単に会うことはできない。だから私は彼女の存在を信じるしかない。信じて待つ。それだけのことは、でもたいそう難しい。
信じるということ。
私たちはいつだって過去しか知らないのに、どうして明日があることを信じられるのだろう? 明日も変わらず日が昇って、おなかが空いて、眠たくなるということをどうして信じられるのだろう? ただ、昨日までずっとそうだった、という理由だけでどうして何の疑いもなく信じられるのだろう?
まるちゃん、まるちゃん、会いたいなあ。
私はあなたがこの世にいるというだけで、月明かりが降ってくるような気持になります。