[恋愛小説] 1974年の早春ノート.../第1部全話(1~10話)
10話を纏めました。フィクションとノンフィクションで構成した作品ですが、作者的には思い入れがある作品です。
文字数 約18,640文字、所要時間 約37分(500文字を1分として)のボリュームがあります。お時間の有るときに、どうぞ。
第1部 登場人物
福田優 :水戸の進学高校の3年
坂井泉 :水戸の女子高生3年、優の恋人
坂井珠恵 :泉の母
坂井耕一 :泉の亡父
宮本靖 :優の高校の友人
山本小百合 :水戸の女子高生3年、泉の友人
福田靖 :優の父
福田千里 :優の母
1. ダンスは踊れない
「明日、フォークダンスがあるんですが、踊ってもらえませんか?」
福田優は、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
頭の中で、その言葉を反芻した。
「明日、フォークダンスが…、踊って…….」
そう言っていた。確かに。
優は、声を掛けてきたその娘を見たが、長い髪の綺麗な三高生がそこに立って、彼を見つめていた。
そしてそれだけ言うと、彼女は友達の元へ戻ってしまった。優の返事はいらない、明日来るわよね。と言わんばかりの態度で。
その友達はわーとはやしている。
何だ、どうなっているんだ?大体、こっちは、名前も何も聞いていないし…。狐に摘ままれているという、言葉の意味を初めて知る。
昨日クラスで仲が良い宮田靖が誘ってきた。
宮本靖「優、明日から三高で文化祭があるから、行かないか。」
優「良いよ。入るの初めてだよ。楽しみ。」
優が通う一高は水戸駅の北側に広がる舌状台地の東端部にあり、水郡線が通る崖の西向こう側に、その三高はあった。県立の女子校で殆ど女子だった。唯一音楽科があり、若干の男子はいたらしいが…。一高と三高は、その水郡線が通る崖で、隔てられていたので、隣同士といえ交流は全く無かった。
水戸の県立高校は一高、二高、三高、緑高、工業、商業があった。
1970年代、二高と三高は女子高で、優たちから見れば男子禁制・秘密の花園であった。その秘密の花園へ入れる、正に千載一遇のチャンスであった。
その後、彼女が、何を話したのか、何を言ったのか全く覚えていない。
隣では、宮本がニヤニヤしていた。
宮本「何て言ってたんだ。」
優「良く分からない。フォークダンスがなんだかんだと…。」
宮本「やったな。びっくりしたな。」
優「…ああ。」
確かに優も宮本もガールフレンドがいないので、物色しに来たのだが、まさか、逆ナンパされるとは、夢にも思わなかった。少し複雑な気持ちだった。これで良いのか。
宮本「いいなー、明日来るんだろう?」
優「でも俺踊れないよ、フォークダンス。」
宮本「えっ、ああ、優、井場中だもんな。」
優は、私立の男子中学校・井場中出なので、フォークダンスは一回もしたことがない。踊れないのである。ラグビーのスクラムは組めるが…。
優は自宅へ帰る、電車の中で、どうしたものか、ズーと考えていた。いつ家に着いたのかも覚えて居ない。
困った、彼女に会いには行きたいが、ダンスは踊れない。一晩そのことばかり考えていた。結論は、ダンスはともかく、行って彼女に会うことが大切だろうと考えた。踊れないのは、自分が悪いのでは無く、男子校が悪いのだから。そう考えると少し気が楽になった。
それにしても、あんな綺麗な子が何で自分を誘ったのか、訳が分からなかった。大体、逆じゃ無いかと…最近の女子高生は何を考えているんだか…。
翌日、昼頃一人で三高へ行った。宮本は誘えなかった。昨日帰るときも彼は元気がなかったし..。
いきなり彼女がいる教室へ行くのも、なにか下に見られそうなので、2階からさり気なく順番に見ていったが、何を見ていたか覚えていない。
少し緊張していたかもしれない。
3階の彼女が居る教室へ行こうと廊下を歩いていると、向こうから当の彼女がこちらへ歩いて来るではないか。
向こうも気がついた様で、立ち止まり待っていると、彼女が近づいて軽く会釈をする。
優「ちょっと早いけど、来たよ。」
泉「うれしい、来てくれなかったらどうしようと思っていたの。」
優「あの、フォークダンスなんだけど、自分踊れないんだ。」
泉「…どうして?」
優「男子中だったんで…。」
泉「えっ、じゃ井場中?」
優樹「そう、井場中。」
泉「へー、そうなんだ。」
それから、泉が校内を案内するというので、二人で歩きながら、話をした。
二人が並んで歩いていると、彼女の知り合いらしき数人が、にこにこしながら泉に目配せして通り過ぎた。
案内された校内は、普通の県立高校であり、それより泉は優を連れて
「この人は、私のものよ。手を出さないで。」と
全校に触れ歩いているのでは、無いかと思われた。
その後、優を見る三高生の目は少し違ったように思えた。
「ああ、あの人は泉さんの男だから。手を出しちゃだめ。」と。
それは優の思い過ごしだったのか..。
優「ところで、あの、自分の名前は福田優。ふくは大福の福。田圃の田。ゆうは優しいの優。」
泉「私は、坂井泉。坂道の坂。井戸の井。泉は、水が湧き出る泉ね。」
優「良い名だね。泉さんか。」
最初は、どんな話題を話そうか、心配したが、そんなことは無用だった。二人とも、普通に話していたし、今日初めて話すという、ぎこちなさや違和感は無かった…少し緊張はしていたが。
後で、優は泉が、三高でベスト3に入る女子高生だと友人達から言われた。
それが、1974年10月の出来事だった。
2.小さな恋のメロディー
出会いから次の日曜日の午前9時40分、水戸駅の改札出口前で、優は泉を待っていた。
今日、坂井泉と初デートだ。
緊張している。
昨晩から緊張して、寝付きが悪かった。
なにせ本格的なデートは初めてである。
何処へ行き、何を話し、何をするのか、昨日から何遍も頭の中で、シミュレーションを繰り返し、万歳の体制で来たつもりだが…それでも、緊張している。
彼女が来なかったらどうしよう。
そしたら、どんな顔してこの場を去れば良いのか…そこまで、考えていた。
10時の約束なのに、20分も前に来てしまった。
こんなに緊張するのは、生まれて初めてかもしれない。
目の前を、色々な人々が通り過ぎて行った。老若男女、世の中には、こんなにも様々な人々がいるのだと、改めて思った。
10分前になった。時計の長針がゆっくりと進む。
彼女は、水戸の隣町の勝田から来る。
小豆色の上り電車がホームに入ってきた。
下車した人々が、皆改札出口に向かって歩いてくる。
人々の後ろのほうに、坂井泉が見えた。
彼女が近づいくる。良かった来てくれた。一瞬、ホッとした。
今日は私服だ、明るい色花柄のブラウスに、紺のロングスカート、長い髪は後ろで纏めてポニーテールに…。
アメリカングラフィックの映画から出てきたような、その姿に一瞬見とれた。
綺麗な娘だ。改めてそう思った。
彼女が歩くとその周囲が何故か明るくなるように感じた。
泉「待った?」
優「いや、今来たところだよ。」
今日のデートコースは、商店街を歩いて泉町三丁目の映画館で「小さな恋のメロディー」の再上映を見ることになっている。
同じ下宿にいる高野が教えてくれた。その通りのデートコースなのだが。
駅から泉町まで歩くと20分位掛かるから、普通はバスで行くが、この日は、二人で歩くことにした。
二人で歩きながら話をした方が、良いというアドバイスの通りに。
銀杏坂を二人並んで歩く。
優「ちょっと遠いけど、歩いて行こうか。いい?」
泉「商店街を歩くの久しぶり、ぶらぶら行きましょ。」
優「上映は11時からだから。」
泉「福田さん、今日は下宿から来たの?」
優「ああ、そう。遅れると不味いから、下宿から来た。」
泉「下宿って、いいな。ひとりで自由でしょ。」
優「まぁ、そうだね。」
流石に、今度遊びにおいでよとは、まだ言えなかった。
優「呼ぶときは、福田じゃなくて、優で良いよ。」
泉「じゃ、私のことも、泉って呼んで。」
優「分かった。泉さん。」
泉「うぅ、ちょっと違うな。」
優「えっ、じゃ、泉ちゃん。」
泉「呼び捨てでいいから。」
優「あっ、そう。」
初デートから何気に泉にリードされている優である。
二人で歩いていると、向こうから歩いてくる人達の視線を感じた。
最初に泉を見て、それから優を見る。
それが、何回か繰り返されると、泉は人々の注目を集める娘なのだと知った。
もう5年も水戸にいるが、駅からこんなに歩いたのは、初めてだった。
でも、その道程は、長くは感じなかった。
ふたり共、話に夢中だった。
特に盛り上がったのは、優の男子中学校と泉の女子高校の話題である。
優「だから、冬の体育の授業は、ラグビーしかしないんだよ。たまに他のことは、しないんですかって、聞いた奴がいて、先生にビンタされていた。」
泉「あはは、へー。やっぱ違うね。」
優「だからフォークダンスはしたことないんだよ。」
泉「大丈夫、今度教えてあげる。」
優「よろしくお願いします。」
泉「ふふふ。」
映画館の中でも、緊張した。
ふたりで並んで座っている。優の左手に泉がいる。
やがて暗くなり、映画が始まる。
ビージーズのテーマソングが流れ、マーク・レスターとトレイシー・ハイドのふたりが隠れてデートするあたりで、優は泉の二の腕が密着しているのに、気が付く。
さっきまで、離れていたはずだが…。肌を通して、その温もりが伝わってくる。
どうしよう、既に優は緊張している。Gパンがきつい。
だが、それを悟られると恥ずかしいので、腰を浮かす。
ある意味、それは拷問だった。もしかして、甘い罠かもしれない..。
手を握った方が、良いのか?いや握るべきなのか?
やがて、泉の指が優の指に触れる。
お互いの指が絡み合い…。優の左手の指と泉の右手の指が、求め合い絡み合う。
暗闇の中で、ふたり手を握る。少し湿っぽいのは、優が手に汗をかいているからか。
でも、泉は何気ない様子でスクリーンを見ている。優も泉の方を見たいのを我慢して、正面を向いているが、もう頭は真っ白で、何を見ているのか分からないし、ストーリーも分からない。
最後ふたりがトロッコで行くシーンで、泉が少し涙ぐんでいる。どうも悲しい展開のようだが、ストーリーがまったく読めない優は、ハンカチを出す機転も無い。
自分でハンカチを出して、目頭を押さえている泉がかわいいと、心底思った。
この時、この娘の恋人になり、映画の中の彼らのようにキスしたいと思った。
エンドロールが終わり、館内の照明が付き、隣を見ると泉が目を赤くして、ハンカチで涙を拭っていた。
声を掛けるのが、憚れたが、周りの客はほぼ出て行って、ふたりだけになりそうだった。
優「大丈夫。そろそろ出ようか。」
優しく声を掛ける。
泉「うん、大丈夫。」
泉が椅子から立ち、出口へ向かう。
外は明るく、眩しい。ふたりの上には晩秋の青い空が広がっていた。
黙ってふたり、大通りへ向かって歩く。
いつの間にか、優は泉の手を軽く触れ、手をつないだ。
映画の余韻がふたりを包んでいたので、話しかける雰囲気でも無かったが、余り沈黙が長いと、不味いと優は思い、話しかけた。
泉「良い映画だったわね。」
優「ああ。」
泉「あのふたり、どうなるのかな?」
優「幸せに成るよ。」
泉「そう、幸せになるわよね。」
優「ああ。」
それ以上、話す必要は無いと優は思った。
暫く黙って、大通りを歩いた。
日曜の午後は買い物客が多く、賑やかだった。
が、ふたりの周りだけは、静けさが包んでいたと感じたのは、優だけでなく、泉もそう思っていたと、後日聞かされた。
銀杏坂の中程にある珈琲専門店に寄った。
優は放課後良く、悪友達とここにしけ込んで何時間も粘っているので、マスターとも顔なじみである。
彼は優が泉を連れてきたの見てを、「おっ」という顔をして、少し微笑んだ。
優「珈琲はみんな美味しいけど、何か食べた方が良いよ。」
泉「うん、じゃー。」とメニューを開き、選び始めた。
優「じゃー、ストロングとミックスサンド。」
泉「私はウィンナコーヒーとミックスサンド。」
優がウェイトレスを呼び、それらを頼む。
泉「優さん、いつもここに来るの?」
優「うん、友達と放課後に。」
泉「もしかして、タバコ吸うの?」
優「うぅん、たまにね。」
これは、嘘である、一日に10本は吸っている。
泉「へー、不良なんだ。」笑いながら言う。
優「まー、その健康のためにね。」
泉「またー、優さん、冗談が…。」
優「勉強の合間に嗜む程度だよ。」
泉「たしなむ、ですって。」
そんなたわいも無い会話と食事が終わり、店を出る。
優「帰る?」
泉「うん、今日は帰る」
優「じゃー、駅まで見送るよ。」
泉「うん。」
優「今日はありがとう。楽しかったよ。」
泉「ねっ、あたし、お弁当作ってあげる。」
優驚いて、黙っている。
泉「明日昼休み、一高の前の橋で渡すから。」
優「いいよ、悪いよ。」
泉「だって、下宿生でしょ。さっきお昼は販売所のパンだって言ってたし。」
翌日の昼休み、学校前の橋で泉がお手製の弁当を持って待っていた。
傍を通る学生が皆見ていたが、泉は「はい、これ!」と差し出した。
優は、恥ずかしく、顔を真っ赤にしていた。
それが、1974年10月の出来事だった。
3.弘道館公園
今日も一高と三高の間に架かる本城橋のたもとで、泉から弁当を受け取る優。
一高は元水戸城の本丸跡にあり、水郡線が通る峡谷の反対側の台地は、元の三の丸城でそこに三高、茨大付属小学校や市立中学校があった。
その本丸と三の丸に掛かる橋が本城橋だった。
優「毎日じゃ、大変だから。週一で良いよ。」
泉「大丈夫。三人分作るのも、二人分作るのも変わらないから。」
優「三人分?」
泉「うん、優さんの分、わたし、おかあさん。」
優「じゃー、放課後3時40分でいいかな?」
泉「場所は、裏門でね」
優「うん。」
あれから、毎日の様に、昼休み、本城橋で三高生から弁当を受け取っている優は、彼のクラスだけでなく、他のクラスにも知れ渡っているようである。
しかも、泉は美人で目立つので余計である。昨日は廊下ですれ違う、女子達がクスクス笑っていた。
それにしても、なぜ泉は弁当を三人分っていったのか?一人分足りないんじゃないのか?
放課後、三高の裏門で泉が待っている。ここは道路向こうの体育館へ行く道なので、放課後の部活動か、すれ違う体育着の女子高生達が、皆チラッと見ていく。
文化祭の日から、泉は校内で知れ渡っている。
優が走ってくる。息を切らせ駆け寄る。
優「待った?」
泉「ううん、大丈夫。」
優「じゃー、歩こうか。」
泉「うん、最近クラスで噂になっているみたい。」
優「僕もそうだよ。五月蠅いんだよ、彼女居ない連中が。」
泉「ふふ、同じね。」
二人、第二公園のベンチに座っている。
優「進路どうするの?」
泉「地元の短大かな。」
優「そうか。何処に行くかまだ決めて居ないけど、やっぱり東京かな。」
泉「そうだよね。何を勉強するの?」
優「電子工学か情報工学かな。」
泉「へー、お父さんもそうだったの。エレベーターの仕事してたのよ。」
優「そうなんだ。」
泉「でも、私が小学生の時、工場で事故にあって…死んじゃったの…。」
優「….。」
泉「だからお弁当は三人分なの。」
優「そうなんだ、知らなかった。ごめんよ。」
泉「いいの。もう慣れたから。」
優「そろそろ帰ろうか。」
泉「うん。」
優「駅まで送っていくよ。」
泉「ありがとう。」
駅で彼女と別れ、下宿に帰る道すがら、泉のさっきの話を考えていた。
そう聞いて、腑に落ちるものがあった。泉にはどこか影があったからだ。
楽しそうに笑うときも、心底面白がると言うより、どこか引っかかるところがあった。
次の週、いつものように、第二公園でふたりでいるときに泉が言った。
泉「おかあさんが、ゆーちゃん、のこと、クリスマスに家に連れて来なさいって言うの。」
最近、泉は優のことをゆーちゃん、と呼ぶ。
優「えっ、ああ、そう…行くよ。」
泉「うれしい、おかあさんも喜ぶわ。」
優「何か持って行くよ。」
泉「ううん、手ぶらで来てって、言ってた。」
優、急な展開に戸惑うが、その方が良いかなと思い始めた。親子ふたりのお母さんに、隠れるのは失礼だと思われた。きちんと挨拶した方が良いと。
気が付くと、泉がじっと優を見つめている。
泉の顔が近づいてくるように感じたが、近づいたのは優かもしれない。
ふたり唇を重ねる。
暫くそのままでいる、ふたり。
泉は微かに震えていた、優の腕の中で。
離れるふたり。
泉は下を向いている。
優、泉の顔を上げてもう一度キスをする。
旧県庁裏の公園は、優が泉とデートしていたころは、第二公園と呼ばれていた。恋人たちはよくこの公園でデートしていたので、第二公園=デートコースというイメージがあったが、今は弘道館公園と呼ばれ、歴史遺産として整備されている。その県庁は水戸市の南の郊外へ移転している。因みに第1公園は、偕楽園だった。
それが、1974年11月末の出来事だった。
4.クリスマスの夜
クリスマスの夕方、優は勝田の坂井泉の家の前に立っている。
駅から歩いて10分程の新興住宅街の一軒家である。泉に地図を描いて貰っていたので、迷わず来れた。
優「こんばんは。」と玄関前で言う。
「はーい。」と家の中から、泉の声がする。
玄関引き戸を開けた泉はニコニコ笑っている。そんな顔は初めて見たよな気がする。自分の家で緊張していないからか、それとも優が自宅に来たからか。だとすると優と会うときはいつも緊張しているのか…。
白いタートルネックのセーターにブルージーンズにエプロンをした泉は、いつものセーラー服とは全く違って、カジュアルだが少し大人の女性を意識させた。胸の膨らみは大きく、思わず視線をそらしたが、何を着ても似合うと、改めて思った。
泉「上がって、上がって。」と手招きする。
玄関の土間に立つと、奥から母の珠恵が出てくる。
珠恵「ようこそ、いらっしゃい。いつも泉がお世話になっております。上がってください。」
優「それじゃ、失礼します。あっ、これケーキです。駅前で買ってきたんですけど。」
珠恵「いいのに、そんなことしなくて。」
母の珠恵は、じっと優の顔を見つめる。穏やかに微笑む。
茶の間に通された。
優は緊張している。
ふと仏壇があるのに気が付く。父親らしき遺影もある。
優「お線香上げさせて貰っていいですか。」
珠恵「どうぞ、どうぞ。」
優、仏壇の前で、線香を上げ遺影を見る。泉の父の顔は何処かで見たことがあるような…。
珠恵「福田さん、ゆっくりしていてね。話はいつも泉から聞いているから。」
優「はぁー。」泉がどこまで話しているのか心配になった。
珠恵が席を外して、台所へ立つと、泉が隣に来た。
泉「緊張しているでしょ。」
優「そりゃー、そうでしょ。」
泉「緊張している、ゆーちゃん、も良いかな。ふふっ。」
優「あのね…。」
珠恵が料理をお盆に載せ、戻ってくる。テーブルの上に沢山の料理が並ぶ。
珠恵「さぁー、一杯食べて、一人暮らしで大変でしょ。一杯食べていってね。」
優「じゃー、頂きます。」手を合わせて食べ始める。
泉と珠恵、それを微笑みながら見ている。
おかあさんの手料理は、美味しかった。いつものお弁当の味だった。
優の実家の味とはまた、違うのだが、それはそれでその家庭の愛情の様な気がした。
多分、いつもふたりでここで食事を取るのだろう、そこへ来てこうして男一人が食べていると、新しい家族なった様な気さえする。
テーブルの上の料理をあらかた食べ終わり、おかあさんが食器を台所へ片付けに行く。
泉が優の耳元で囁く。
泉「あたしの部屋へ行こう。」
優「うっ….。」そうなることは予想していなかった優は躊躇する。
泉「おかあさん、わたしの部屋に行くね。」
珠恵「はーい。」
泉「ほら、早く。」
せかされて優は、腰を上げる。泉は優の手を引き、廊下の階段から2階へ。
珠恵は食器を洗いながら思う。「他人の空似かしら…。」優の顔を見て、何処かで見たような気がしてならないのだ。
二階に上がる二人の足音に聞きながら珠恵は、優の顔や仕草がどうも亡くなった夫の耕一に似ているような気がしていた。
だからか、泉が連れて来た優は一目で気に入った。やはり母と娘の好みは同じなのかと苦笑した。
他人の空似だと思うし、そんなはずは無いと思うが、夫の母たまは、泉の祖母になるが、結婚する前はどこかの地主の倅といい仲になり、同棲したが。それが発覚して、引き裂かれた後、坂井家に嫁いだとも聞いていた。
その泉はその祖母に似ている。
優は階段を上がって左側の泉の部屋に通された。
優はこの時初めて若い女の子の部屋を見た。
今いる下宿屋の男達の殺風景な部屋とは別世界なくらい違う、明るく華やいだ雰囲気があるのは、そんな配色のベットカバーやカーテン、小物のせいなのだろうか。
部屋はいつもの泉の香りがした。それが香水なのか、コロンの香りなのかは分からないが、こころ穏やかになる。
小さなガラスのテーブルの前に座らされた。
泉「何か聴く?」
優「ああ..。」
泉「ビートルズ、百恵ちゃん、クィーン」
優「なんでも良いよ。」
泉「じゃー、クィーンにしようか。最近はまっているの。」
泉立ち上がり、小さなスレテオセットのターンテーブルにLPを置き、針を落とす。
クィーンのキラー・クィーンが突然、大音量で流れ出す。
泉が優の隣に座り、アルバムジャケットを渡す。
それのライーナーノートを読む優。だが、隣にいる泉が気になり、全く頭に入らない。
泉が頭を優の肩に乗せる。
密着しているセーターを通して、泉の体の温もり伝わってくる。優はドキドキしていた。
下にはおかあさんがいるし、優の下は変化しているし…。
泉「ねー、キスして。」
優「えっ…。」
泉「おかあさんなら大丈夫。上がってこないから。」
優「だって..。」
泉が黙って、優の顔を指で自分の方へ向ける。
近づく泉の唇。
その柔らかい感触は、優をとろかしていく様だった。
その後のことはよく覚えて居ない。下階におかあさんが居て、居心地がいまいちなのに、それを楽しんでいるような泉の大胆な行為…。
いつ、泉の家を出たのかよく覚えていない。気が付いたら自分の部屋に戻っていた。
それが、1974年のクリスマスの出来事だった。
5.春の気配
卒業式が終わった。
教室で卒業証書を受け取り、クラスメイトに卒業アルバムの後ろに一言、書いて貰った。
卒業式は、変わっていた。
国歌斉唱は無く、校歌の代わりにサイモン・ガーファンクルの「明日にかける橋」が流れた。
確かに「並びて進む帝国の」という歌詞の校歌を歌うよりは、良いかもしれないが…。
後日、水戸で弁護士事務所を開く同期の萩谷さんに聞くと、学生の委員会で決めたらしい。
閑話休題
泉とは12時に本城橋で待ち合わせた、これが本城橋での最後の待ち合わせだねと、彼女が言う。
ふたりで、いつもの第二公園への道を歩く。これも最後だ。そう思うと、少し切ない気持ちになってきた。
でも、
「泉と付き合ったこの5ヶ月があって良かった。」
と彼女に言うと、
「うん、私も。」
という。
梅が咲き出した、第二公園は、お花見の客が来ていた。
そのベンチに座る。このベンチも座り慣れた場所だ。
明日には、下宿を引き上げ、実家に戻ることになっていた。
だから今日は、水戸で暮らす最後に日になる。
大学受験は私立が1月から始まり、国立は来週だ。
本命は二期校で調布にあるD通信大だった。
でも、今年の優の実力では、無理だろうと本人は思っている。
実際、軒並み不合格で、その年は浪人することになった。
両親は渋い顔をしていた。
優は、泉のことを両親にそれとなく話していたが、大学にも入れない優に、付き合いを認める訳が無かった。黙認している状態だった。
全ての大学の不合格が分かると、翌日大塚にある予備校に申し込みに行った。
午前中のクラスにも入れず、午後のクラスになった。
自宅から通うのも大変だろうということになり、南柏駅から徒歩10分にアパートを借りた。
そこへ引っ越したのは、4月初旬だった。
一方、泉は地元の短大の幼児教育科に通うことになっていた。
ここから遠距離恋愛が始まることになった。
常磐線で一本だが、各停だと2時間弱掛かる。
もう一つ、優の進路だが、電子工学・情報工学を受験したにも関わらず、まだ定まっていなかった。
優は自分の性格から会社勤めは難しいだろうと考え、私大歯学部を受験したと話したが、父に無理と言われ、落ち込んでいた。
4月中旬卒業後初めてデートした、水戸の偕楽園だった。
水戸駅で待ち合わせして、千波湖畔を歩いた。桜は散り、葉桜になろうとしていた。
泉が入学した短大の話をした。優はもっぱら聞き役になった。彼女は楽しそうだった。どうも茨大と合コンがあるらしい。
泉「今度、茨大生と合コンがあるらしいの。」
優「へー、そうなんだ。」
泉「でも、私にはゆーちゃんがいるからって、断ったの。」
優「遠慮しないで、行けば。」
泉「いいや、行かない。」
優「それより、ゴールデンウィークにハイキングに行かない?」
泉「ハイキング?山登りでしょ?」
優「まぁー、そうだけど。低山だし。」
泉「ていざん?」
優「低い山だよ、岩間の愛宕山から縦走して吾国山まで。大体3時間くらいかな。」
泉「ええー、そんなに歩けるかな?」
優「ゆっくり行けばいいんで、大丈夫。僕がいるから。」
泉「そうね、ゆーちゃん、と一緒なら。ちゃんとサポートしてよ。」
優「まかせなさい。」
泉「ふふっ、よろしくね。お弁当作って持って行く。」
優「良いね。」
泉「今日、内に来る?」
優「今日?急だね。」
泉「おかあさん、午後から出かけて、帰ってくるの夜なんですって。朝言うんだもん。」
どきどきした。おかあさんの居ない泉の部屋。想像したら、どきどきした。
誰も居ない家に、ただいま。と言って入る二人。もう既に、怪しい雰囲気がしている。少し罪を犯しているような…。
泉の部屋は、クリスマスのままだった。あの香りがしていた。
泉「今、お茶もってくるね。」
優「ああっ。」
もう既にあちこち緊張している優樹、声も上ずっている。
おかあさんの居ない家に、上がり込む段階で、既になにか悪いことをしているような、罪悪感さえ感じた。この雰囲気は…何かありそうな..優はドキドキしてきた。
部屋に入ると、
泉「コーラでいいでしょ。」と聞いてくる。
優「なんでも良いよ。」
泉が下へ行き、コーラを持ってくる。既に優の息子は大きい。それを見透かしたように、微笑む泉。
泉「緊張しているでしょ。」
優「いや…して…ないよ…。」
泉「そう、声が変よ。」
優「そうかな?」
泉、優の隣に座り、腕を抱き、体を寄せてくる。
泉「キスっ」と唇つぼめて優に向けてくる。
優、泉の唇に重ねる。
ふたり長いキスをする。
泉の舌が優の口の中に入ってくる。驚く優。
泉の舌が、絡み付く。
今度は優の舌が、泉の口の中へ入り、同じように纏わり付く。
優、泉のうなじから胸元へ唇をずらす。
手はブラウスのボタンを外そうとしている。
泉、横になり、優に身を任せる。
泉「カーテン締めて」
優「ああ。」
優樹がカーテンを閉めている間、泉はベットシーツの中に入り、横になる。
優がその横にきて、ブラウスを脱がす、泉、腰を浮かし、スカートを脱ぐ。
優、再び濃厚なキスを交わし、段段と下の方に、唇を這わす。
ブラジャーの肩紐をづらし、現れた形の良い乳房を優しくもみ始め、舌で乳首を転がし始める…。泉が声を漏らす…。
と、その時、玄関から戸を開ける音がする。
珠恵「あれ、泉、帰っているの?」と母の声。
ふたり慌てて、起き上がり、ブラジャーの肩紐を戻し、服を身につける泉。
焦ってベットから、転がり落ちる優。
珠恵「泉、ゆーちゃん、来ているの?」と声が。
泉「はーい、そうなの。今行くね。」
泉、舌をペロッと出して、優に微笑む…。
可愛い…優は、この時ほど、そう思ったことは無い。
この娘をズーと愛していきたいと思った。
それが、1975年の4月の出来事だった。
6.新緑の頃(R-15)
優と泉は難台山頂から眼下に広がる八郷地区のふもとを見下ろしている。
水で満たされた水田は、早春の日を反射して、キラキラ輝いている。
泉「わー、綺麗~。」
優「途中の急登は大変だったけど、登ってきて、良かったね。」
泉「ゆーちゃんの言う通りだった。泉、頑張ったもん。」
優「偉い、えらい。」
GWの後半の3日、二人は常磐線岩間駅で待ち合わせし、愛宕山から難台山頂まで登ってきた。
この登山道は、アップダウンが多く、中級者向けの人気のコースである。
尾根道が続き、展望スポットが多く、特に春は山桜、スズラン群生地、ヤマツツジなどを楽しめる。秋から春先に掛けては、歩きやすい。
19歳の二人に、とってこの低山コースは息切れする急登もあったが、ハイキングコースだった。
愛宕山、難台山、吾国山、水戸線の福原駅まで尾根道を歩ける縦走路だが、今日は難台山の山頂の広場で泉が持参したお弁当を食べて、岩間駅へ戻ることにしていた。
お弁当を食べながら、
泉「今日は友達の家に泊まるって、おかあさんに言ってきた。」
優「じゃ、南柏に行く?」
泉「そのつもりで準備してきた。」
優「わかった。」
泉「楽しみ…ふふ。」
岩間駅から乗る常磐線の空いている車中は、ゴールデンウィークのノンビリした雰囲気が漂っている。
ベンチシートに並んで座った二人は、これからの事を思い、少し緊張してきた。二人だんだん無口になってきた。
優の実家の駅を通り越し、いつの間にか、登山の疲れもあり、ふたりとも寝入ってしまった。
気が付いたときは、取手のラーメン工場が見えていた。各駅停車に乗り換え、南柏に着いた。
駅前の焼き肉屋で、肉を焼いて食べている、ふたり。
泉は焼けた肉を優樹の皿に乗せていく。
泉「これ焼けたわよ。」
優「ありがとう。」
口数少なく、食べるふたり。
優のアパートは駅から歩いて10分だった。
連休のせいかアパートは真っ暗だった。
他の部屋の住人は、誰もいないようだ。階段を上がり、2階の優の部屋に入る。
部屋に入り、ドアの鍵を閉めた途端、泉が優に抱きついてきた。
靴を脱ぎながら、二人お互いの唇を求めた。
リックも投げ捨てた。
ふたりベットに倒れ込む。またキスをするが、今度は濃厚なキス。
優の舌が、泉の舌を求めていく。お互いの舌が絡み合い、それを吸う。何度も。
優の唇は、泉のむなじから首へ、そして胸元へ、段段と下がっていく。
泉のシャツのボタンを一つづつ外していく。
ブラジャーの肩紐をずらし、外す。
現れた泉の乳房は、形の良い膨らみを持っていた。
優は、舌先でその先端を転がす。口に含んで更に、執拗に転がす。
泉の声があえぎ声に変わり漏れてくる。
泉「ゆーちゃん、ちょっと待って。」
優「えっ。」
泉、自分で服を脱ぎ始める。優も慌てて、脱ぐ。
二人、生まれたままの姿になる。また、長いキスをする二人。
泉「ゆーちゃん、わたし、初めてなの。優しくしてね。」と囁く。
優「僕もなんだ。優しくするよ。」と頷く。
実は優はこの日の為に学習していた。
男女の感じ方の違いから、喜ばし方…後日悲しませない為にすべきこと。等々。
優は泉を愛していたし、この行為で泉を傷つけたり、悲しませることは無い様に、細心の注意と慎重に準備をしていた。
だから泉は初めてだったにも、関わらず、二回目からは十分な喜びを何度も往った。
本当に狂ってしまいそうな、快感が体を貫き、肢体を何度も震わせた。
ゆーちゃん、初めてって言ってたけど、嘘じゃないかしら。痛かったのは、最初の時だけで、その後は気持ちよくて、何度も往ってしまった。
そう多分、意識が無くなりそうになる。時にはそれが連続して来て、本当に狂ってしまうんじゃ無いかと思った。
ゆーちゃん、が入って来るとき、私の手を持って、触らせた。
大きくて、熱かった。
思わず、ビクッとして手を引いたけど…。
ゆーちゃんの愛撫はゆっくりと長く、執拗で、私の体を隅々まで、手や舌で触れ、撫で、舐めていたから、私のあそこもいっぱい濡れていた。
いつになったら、入ってくるんだろうと思うくらい焦らされた。
だからゆーちゃんが入って来た時、嬉しかったし、もの凄く満たされた感じがした。
それが奥まで来て、一瞬止まったかと思ったら、少しずつ動き始めた。
私の中で、少しずつ、気持ちよくなってきた。
初めての気持ちよさだった。
初めからオーガズムを感じていたみたい、それは波が打ち寄せるように、徐々に押し寄せ、引き、又押し寄せて最後は大きく押し寄せて来て、長く引いた。
ふたりは、二日後の5日の夕方まで何度も愛を確かめた…。
優が泉を駅まで送るときは、ふたりとも下腹部に重い気だるさを抱えていた。
改札口で
泉「じゃーね。またね。」
優の耳元に口を寄せて「とっても良かった。」囁く。
優「また。うん。」
これが、1975年5月初旬の事だった。
7.夏の日々(R-15)
1975年の梅雨明けは例年より早く関東地方は7月15日だった。
泉が住む勝田から、海水浴場のある阿字ヶ浦までは、私鉄のローカル線・海浜鉄道で約30分だった。
だから泉は小さい時から、よく友達を誘って泳ぎに行っていた。
この頃の海水浴場は、夏は人で一杯で、子供から大人までよく遊びに来ていたいし、海の家と呼ばれる、休憩所も海辺に沢山並んでいた。
優の予備校と泉の短大も7月上旬になると、夏休みになった。
優は、知り合いの親が、阿字ヶ浦で海浜旅館を経営しており、この期間頼んで住み込みのバイトをしていた。
悪友の宮本も誘った、彼もまた浪人していのだ。
夏の期間は、海水浴客で忙しい。食事の手伝い、寝具の片付け、風呂の準備、やることは山のようにあった。
だが、泉が遊びに来ると、夕食の片付けが終わり、空いた時間で二人、夜の海辺で並んで、潮騒の音をいつまでも聞くことが日課になっていた。
暗い水平線から波は繰り返し押し寄せまた、引いていった。そして押し寄せ、引いていく。
二人はその潮騒を飽きずに聞いていた。並んで座る泉の右腕の素肌から、熱いものが伝わってくる。
だから泉は、暇さえあれば、その旅館に来ていたので、いつの間にか、彼女もそこでバイトをすることになった。
明るい彼女は、いつの間にか旅館のアイドル的存在になった。
優の部屋は、同じバイト仲間の宮本と相部屋だったので、泉を入れる訳にはいかなかった。だから泉とのデートは夜の海辺だった。
阿字ヶ浦海水浴場の北側には、米軍から返却された射爆場があった。
当時返還されて間もなくで、まだ開発計画も纏まっていなかった、唯の砂丘だった。
だからそこは優と泉の夜のデートに格好の場所だった。誰も立ち入らなかったからだ。波打ち際は、簡単な柵も切れていて、そこからふたり忍び込んだ。
月明かりの下、いくつかの砂丘を超えて往くと、そこには潮騒の打ち寄せる音と潮の強い香りしかない場所だった。
二人が愛し合う場所にはもってこいだった。直ぐ傍まで打ち寄せる波、常に形を変えていく砂、絶え間ない潮騒の音、それらに囲まれてふたりは愛し合った。
泉「この時が終わらずに、いつまでも続けば良いのに,,。」
優「ああ、本当に。」
勿論、長いキスも十分な愛撫もしたが、ベットじゃないので、色んな姿勢は無理だった。
大体、彼女を乗せるか、抱きかかえる姿勢しか取れなかったが。
泉のあえぎ声は大きな潮騒に消されていった。
時折の達したときの声は、少し心配だったが…。
時々旅館に客が少ないとき、奥の空いている客室にふたり忍び込んだ。
そんな時でも、優は抜かりなかった、必ず避妊の用意はしていた。
泉を守るために。
海浜鉄道の最終は11時だったが、優は9時には彼女を駅まで送りに行った。若い子をそんな時間まで、家に帰さない訳にはいかなかったからだ。
やがて7月は過ぎ、旧盆になると土用波が来るようになり、客は少しずつ減り、海辺の短い夏は終わった。
そして、彼らの海辺の生活も終わり、そこから引き上げた。
それが1975年8月の出来事だった。
8.インディアンサマー
週末のふたりの合宿生活は、毎週のように続いていた。
土曜の午後に泉が水戸の短大から来て待っていた。
優の予備校の授業は夕方5時に終わるので、急いで帰った。
6時過ぎには、泉の待つ部屋まで駅から走って帰った。
息を弾ませ、部屋に入ると、スープの良い匂いがしていた。
小さな台所で彼女は、簡単な料理を作り、待っていてくれた。
ふたりで食事をし、シャワーを浴びて、ベットに行くという。
単純だが、愛情に満ちた時は、ふたりにとって掛け替えのないものだった。
最初の時に比べると、ふたりの技巧は上がっていた。
泉が口で優の大きく膨張したそれを含み、舌先で巧みに撫でると、優は悶えた。
それを見ながら、泉もまた欲情した。
そうして、長い濃厚で激しい夜は始まった。
だから、毎月の泉の生理で、出来ないときは、ふたり深夜まで色々なことを話した。
いつも話せない分を取り返すように。
そして兄妹のように抱き合って眠った。
勿論その前に、泉は優の精気を抜くことは、怠らなかった。
そんな穏やかなある夜、ベットの中で優は隣で横になっている泉に尋ねた。
優「前から不思議に思っていたんだけど、聞いていいかな?」
泉「何かしら?」
優「高校の学園祭で、僕にフォークダンスを踊らないか、と聞いたよね。どうし僕だったの?」
泉「ああ、そのこと。実はね、友達と賭けていたの。誘って、フォークダンスを一緒に踊れたら、奢るって…。」そこで、ふふっと笑う。
優「えっ、賭け。知らなかった…。」
泉「だから私はゆーちゃん、に借りがあるのよ、実は。」
優「で、何を賭けたの?」
泉「ふふ、一番高いフルーツパフェ。」
優「奢って貰ったんだ…。」
泉、チョロと、下を出し頷く。
優「それで、なんで僕だったの?」
泉「私の第六感。私を一番大切にして、裏切らない、嘘をつかない人を探していたの、そしたらゆーちゃん、がそこにいた。」
優「….。」
泉「私は神様のお陰だと思っている。だから毎晩お祈りしてる。ゆーちゃんと引き合わせてくれたことを感謝して…。」
それから優は、泉の頭の下にに自分の腕を置いた。泉は、優の腕枕が好きだったから。
泉が帰る日曜の夕方の別れは、いつも辛かった。何故また別れなければならないのか、どうしてズーと一緒にいられないのか、もっともっと愛していきたいと。
下り線のホームでの別れは、余りにも悲しかった。たった1週間がとても長く感じられた。
そんな11月上旬の土曜の夜。急いで部屋に帰ると、部屋の明かりがついていないのに、気が付いた。いつもなら、明かりが付いているはずだが。
部屋に入ると、暗い部屋で、泉がテーブルの前に座っている。
唯ならぬものを、感じた優樹は、泉に恐る恐る声を掛けた。
優樹「どうしたの、明かりも付けないで?」
泉「先月から無いの。」
優樹「無い?」
泉「そう、生理が…。」
優樹、泉が何を言っているのか、一瞬、訳が分からなかった。が、その重大さに気が付く。
優樹「えっ、無い…。」
泉「ゆーちゃん、ちゃんと避妊してたよね。」
優樹「勿論。いつも付けてる。」と言って、ふと思い当たる事があった。
一度、激しい交流のあとで、外そうとしたら、破れていたことがあった。
ただその日は、泉も安全日だと言っていたので、泉はシャワールームへ行った。
そのことを、泉は忘れているようだ。
悩んでいても、しょうがないので、月曜日に近所の産婦人科へ行くことになった。
それが、1975年の11月の出来事だった。
9.八王子って、何処?
泉に生理が無く、妊娠を疑った二人は、近くの産婦人科医院へ行った。
電話帳で、女医の医院を探した。
幸い歩いて行ける所にあった。
緊張しながら産婦人科の玄関ドアを開け優樹が泉と中に入ると、待合室にいた妊婦達が皆優樹を見た。
ここは男の来る所じゃ無いのよ。
如何して来たのとその視線は語っていた。
とても居心地の悪い思いをしたが、しょうがない。
泉の大事なので、そんなことで怯んではいられないと思った。
受付を済ませ、待合室の隅でふたり黙って待っている。40分くらい待った。
看護婦「坂井泉さん」と呼ぶ。ふたり立ち上がり、診察室へ入る。
女医は中年の方でした。優樹は直ぐに外へだされたので、詳しいことは後で泉から聞いた。
診察台に上り、医師による検査だった。
結果は、陰性だった。
当時は現在のような、検査キットも無く、患者の様々な状況や症状で予測していた。
それを聞いて二人ホッとした。
それが正直な気持ちだった。
診察台に上るということが、とても耐えられなかったと語る泉に申し訳ない気持ちで一杯だった。
まだ自分たちに子供は早いと思う。今回の件で、余計に慎重な行動が大切だと痛感した。
数日後、遅れていた生理が来たと泉から電話で聞いた。
流石に、翌週末は一人でアパートで過ごした。
泉が来たのは、それから3週後だった。
前と同じような明るい表情に戻った泉を見て、ホッとした。
それにしても、受験までそんなに時間も無く、焦ってきたので、泉と相談して、暫く会うのを我慢しようと話し合った。
最後の入試は3月初旬なので、それまではふたりは我慢した。
時々電話で話すくらいだった。ここはふたりの試練だと思った。泉も分かってくれた。
1月末から、私大の入試が始まった。
最後の結果が出るのが3月中旬だった。
結果、滑り止めの工科大学の建築学科に引っかかるという、結果になった。自分の不甲斐なさに嫌気が差したが、そこへ行くことになった。
4ヶ月ぶりに、泉に逢いに水戸へ行った。電話で話してあったので、状況は泉も理解していた。
ふたりの問題は、その大学の場所だった。
新宿だと思っていた、それは1,2年は八王子市だと知った。思わず地図帳で探して、唖然とした。
勝田から水戸で特急に乗り換えても、片道3時間以上掛かる。今までの南柏のような訳にはいかない。
思わず、2浪しようかと思ったが、親はそれは出来ないと言う。
そこへ行くしか無かった。
銀杏坂の喫茶店へ行くと、泉が待っていた。
優樹「1,2年は八王子なんだよ。」
泉「八王子って何処なの?」
優樹「東京の西の外れ。」
泉「ここからどの位かかるの?」
優樹「特急で行っても3時間以上。」
泉「….。」
その日、水戸駅で別れは、今までと違い。重たい空気がふたりの上から、のしかかっていた。
それが、1976年3月の出来事だった。
10.雨のステーション
優は八王子駅の北口に立っていた。今改札口で泉を見送ってきたところだ。
さっきまでどんより曇っていたが、とうとう春先の冷たい雨が降ってきた。
傘は無い。
3月に水戸で泉にあってから、彼女からの連絡が無かった。
八王子で下宿探しや引っ越しで忙しく、ドタバタと南柏から八王子へ引っ越した。
いざ八王子に来てみると、その田舎ぶりは、想像以上だった。
優の実家の周りと変わらない、いやそれ以上の田舎だった。
駅からバスで30分も掛かる、途中の浅川という橋を渡るとき、向こうに丹沢山系を見て、驚いた。
まるで信州の山奥にでも来たようにさえ思えた。
都落ちという、言葉が思い当たる、そんな失望感で一杯だった。
こんなことなら、もう少し頑張って地元の国立の工学部にでも入っていればとか、私大の情報工学だったら入れたのにとか、今更な事ばかり考えていた。
確かに建築学科の偏差値は、情報工学系よりも高く、そちらを選んでいれば、都内だったのにと、今更ながら後悔した。
そして入学式の前日に泉が八王子へ来るという連絡があった。
朝早く、勝田から電車で来るという、10時半に八王子駅で待ち合わせとなった。
改札口の奥から歩いてくる泉は、いつもの通り綺麗だったし、更に大人の雰囲気さえ身に纏っていた。
優「おはよう、遠かった?」
泉「うん、やっぱり遠かった。」
優「何時まで居られるの?」
泉「3時頃帰る。」
優「あー、そう..。」ふたりの会話にも元気がない。
駅北口からぶらぶら歩いて、西の放射線商店街の方へ行く。
優は先日来たばかりで、土地勘も無く。適当な喫茶店に入る。
優「来たばかりの町で、全然分からないから、ごめんね。」
泉「いいの。ゆーちゃんがこれから暮らす街を少しでも見たかっただけだから…。」
優「荒井由実の実家の呉服屋が通りにあるよ。」
泉「へー、凄い。」
優「この先に、浅川という川があり、歌詞の中に出てくるらしい。」
泉「そう言えば、あの駅も出てくるらしいわよ。雨のステーションって曲。」当時の八王子駅は平屋の木造で、春先に成ると軒先をツバメがかすめ飛んでいた。あの歌の歌詞のそのままに。
優「恋人を駅前で待つ、悲しい歌だね。」
泉「そう、あのCOBALT HOURってアルバム聴いた?」
優「去年、友達の下宿で聴かされた。」
泉「でも ひこうき雲は、名盤になるわよね。」
優樹「もう一度、一緒に聴きたいね。」
泉「….。」
泉「ゆーちゃん、と居るとやっぱり楽しい…。」
優「一緒に居れば、良いじゃない。」
泉「でも…なんで、八王子なの?もっと近いところにならなかったの?私のこと、本当に考えた?..」と、そこまで言うと、泉の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれてきた。
ハンカチを取り出し、拭う泉。
優「…..。」返す言葉が見当たらなかった。
しばらく、続く沈黙。
優「浅川に行ってみようか。」
泉「うん。」
ふたり店を出て、桑並木大通りの歩道を浅川の方へ歩いていく。
泉「こうやって歩いていると、水戸の大通りを歩いた時を思い出すわ。」
優「ああ、懐かしいね。」
泉「どうこの街で暮らせそう?」
優「2年間だから、我慢するよ。」
泉「2年か…。」
優「2年すれば、都内へ行くから、それまで待てない?」
泉「…。」
優「泉は来年就職どうするの?」
泉「来月から教育実習で水戸の保育園に行くけど、多分水戸だと思う。」
優「大学出たら、水戸の事務所へ就職するよ。」
泉「そんな4年も先のこと、分からないでしょ。」
優「そうだけど。」
泉「ゆーちゃん、変わった。そんな軽い約束する人じゃ無かったのに。」
優は泉の怒りが相当深いことにようやく気が付いた。
それからふたり黙って歩いた。
やがて正面に河原が見えてきた。
橋の上で、ふたり西に広がっている丹沢山系を見てる。
泉「ここか、ユーミンの歌に出てくる河原は。」
優「何か感じるね。」
泉「何を?」
優「言葉では言えないが。」
泉「これからユーミンの歌聴くと、ここを思い出すだろうな。」
その言葉の後に、ここと優を思い出す、と言っていたような気がした。
それが、1976年4月の出来事だった。