2006_横浜のお嬢様_part3.../ 5.社会福祉事業
登場人物(2006年時点)
幸田麗華 横浜市議、幸田商事社会福祉LPF社長 1976年(30歳)
幸田耕一 KGC建設 社長 1970年(36歳)
江戸かす美 幸田美術館 準備室長 1968年(38歳)
角田 美香 美術キュレーター 準備室長 1972年(34歳)
木名瀬 愛 日仏食品DM 麗華と愛人関係 1980年(25歳)
幸田大介 輸入商事 会長 1940年(63歳)
岸野友一 KGC建設 建設部長 1971年(25歳)
高橋 直美 KGC建設設計部長 耕一と愛人関係 1970年(36歳)
大田 直美 幼稚園 副園長 1970年(33歳)
斉藤 由美 LPF 介護施設 準備室長 1976年(30歳)
後藤 絵美 Y国大 OG,KGC設計部 新人 1981年(25歳)
近藤 彰 Dハウスから出向 KGC設計部 1972年(34歳)
麗華は高齢化社会に対応する福祉介護施設事業を検討し、幸田グループで事業として企画・運営を検討した。
8月上旬にその企画書を役員会議へ提出(介護、高齢者施設等)した。
検討会議は、お盆休み明けの下旬に開催され。承認された。
幸田グループは社会福祉(障害者施設と高齢者施設)を事業とする株式会社LPF(Life Plat Form)横浜を設立した。
同時にその担当部署の責任者を公募した。
この頃は、幸田グループの育児支援制度や福祉厚生が充実しているのは、広く知れ渡り、応募者は多く、優秀な人材や経験豊かな専門職も多く応募していた。
書類審査や面接を行い。
経験者の斉藤由美その他4名が内定し、9月に入社した。
施設開設はその設立準備期間として1年、つまり2007年九月に開園を目指すスケジュールが組まれた。
同時に、KGC建設の設計部に敷地選定から実施設計まで、内部委託された。
部長の直美からスタッフの負荷が大きすぎると、耕一にクレームが上がった。
直美「こんなこと、言いたくありませんが、仕掛かり物件で手が一杯なのに、今度は介護施設の敷地選定から実施設計ですって…」
耕一「すまん。急遽、スタッフ募集とDハウスから応援を頼むから…少し待ってくれ...そんなに怒らないで,,.」
直美「ふん、放っておいて、次から次へと難題押しつけて...」
耕一「少し冷却期間を置いているだけで...その内埋め合わせするからね...」ここでも、耕一は女子に怒られ、散々である。
急遽、設計技術者の急募とDハウスの飯島部長へスタッフ派遣のお願いに出かけた。
飯島取締役「いや、いつも忙しそうだね。スタッフか、ウチも不足気味でね。YK大学の教授を紹介するから、聞いてみてくれ...」と今回は、冷たい返事。
紹介された、Y国大の田中教授の研究室を訪れた。
耕一「Dハウスの飯島取締役から紹介されました。KGC建設の幸田です。」と事情を話すと、マスターを終了した後藤絵美を紹介された。
翌週、面接に来た後藤に麗華、耕一、高橋直美が面談し、内定した。
翌日から後藤は出社し、早速介護施設の敷地選定を耕一と進めた。
麗華の企画書をベースに敷地選定を始めた。
根岸線の山手駅から根岸駅周辺の土地を探し、3候補地から根岸森林公園そばの敷地を選定し、役員会議の承認を経て、不動産会社から購入した。
登記も済んで、基本・実施設計へ入った。担当はDハウスから出向してきた、近藤彰と後藤絵美の二人で絵美は、経験豊かな近藤が実務経験がゼロの絵美を、直に指導した。
後藤絵美の様子が気になる耕一は、3日に一度はさり気なく近藤彰のところに来て様子を聞いた。
耕一「どうですか、後藤さんは...」
近藤「ええ、彼女は優秀ですよ。覚えは早いし、要領も良くて...大体、素直ですね...」
耕一「そうですか...」と安心して帰るのが常だった。
ある日、耕一が近藤のところにくると彼は不在で、絵美が一人で平面詳細図を描いていた。驚いた耕一は、思わず聞いた。
耕一「平面詳細図は難しく無いですか...」
絵美「はい、難しいですね。開口部周りに納まりとか...でも、近藤さんが、詳細図を先に描いてくれていので、それをコピーしながら描いてます...心配してくれて、ありがとうございます...」
耕一は絵美の最後の一言で、この娘に好意を抱いてしまった。
耕一「分からないことや困ったことが、あればいつでも来なさい...」
絵美「はい、ありがとうございます...」と和やかに返事を返す。
耕一は、久々に沸き立つものを感じた。
その晩、麗華は耕一の様子が何時もより、活き活きしているのを感じた。
夜、ベットに誘うと、何時もより熱心に麗華の全身に舌を這わせてきた。
嬉しかったが、その快感の中で、また耕一が新しい女を見つけたことを悟った。
来年の春にある県議の選挙準備があるというのに、この旦那は…。
それが、2006年10月の出来事だった。