2003_横浜のお嬢様_part2.../22.女子社員の復職を整える
登場人物(2005年時点)
幸田麗華 ワイン専門店コウテク社長 1976年(29歳)
幸田耕一 幸田商事 施設部長 1970年(35歳)
江戸直樹 幸田商事 社長 1950年(53歳)
山口 ゆかり 日仏食品DM 課長 1978年(27歳)
木名瀬 愛 日仏食品DM 1980年(25歳)
吉田 香織 Dハウス 1972年(33歳)
ゆかりは、デジタルマーケティング課の設立を麗華に相談した。
単なる販売サイトだけでなく、SNSを有効に活用する。
#やイイネなどの口コミからバズる売り上げは売り上げに効果が大きく 、その点をサイト構築に取り入れることにした。
麗華「良いと思うわ。ネット上の#やイイネを売り上げに絡めていくのは、必要よ。社長へ上げるから、企画書お願いね…」
ゆかり「2^3日で提出します…」
麗華「木名瀬さんは、どう...」
ゆかり「段段、慣れてきましたが、優秀ですね...」
麗華「最近、ウチの旦那がそっちへ良く行かない...」
ゆかり「はい...たまに打ち合わせと言って来ますが...」
麗華「本当に、そうなの...」
ゆかり「...まあ...」と曖昧な返事をする。
最近、自分が飛び級昇進したのは、耕一が強くプッシュしたことも多いという噂を聞いたからだ。
だから耕一の悪い癖に目くじらを立てたく無かった。
そもそも耕一は、ゆかりの所で一番話をしていくので、悪く言えないし、以前より友好な関係になりつつある。
ある意味、麗華の旦那でなければ、恋人にとも一瞬思い、自分で慌てた。
麗華「なら良いわ...」ゆかりが耕一を庇っているとも思わずつぶやいた。
麗華にはもう一つ懸案があった。
長女の麗奈が5歳、長男の耕介が3歳、次男の翔が1歳になったが、キャリア復帰で子供達の保育や幼稚園が問題になった。
やはり女子社員が育児から復帰する際の懸案は子供の保育・幼児教育だ。
小規模でも会社で付属の保育・幼児教育施設を設けたいと考えた。
大介・愛子に相談したら、賛成してくれたので、準備室を設けた。
Dハウスへ転職した吉田香織を幸田商事へ戻して、室長にした。
更にその教育経験者を2名公募した。
その3名で、2年先の2007年4月開園を目指して、準備を進めた。
出産・育児から復職する障害の一つが、幼児の保育や子供の育児を誰に任せられるかということであり、世間では待機児童という問題が大きく取り上げられていたが、麗華はこの問題にも幸田グループとして、取り組む事を役員会議に掛けた。
麗華「この問題を解決しないと、女性社員達の復職はスムーズに進みません。本社のそばと市街地の2カ所にそれぞれ設けることを提案します」
大介「優先的に当社社員が対象ですが、近隣住民や一般の方へも対応することにします。設立から数年で黒字へ転換できるようにします」
他の役員からは、その園の明確な教育方針について、質問があったが、採決され実施へ移行された。
役員会議の決定を受けて、準備室は吉田香織をヘッドにして、萌奈が建築担当者として、基本設計から設計監理まで担当した。
特に2ndと呼ばれた、郊外型は楕円形にして、その中央と屋上を園庭にして、既存の欅の大木も残して、子供達が自分たちで工夫しながら、他者との関係を体験できる空間を用意した。
開園後は、保護者や園児からは好評だったので、更に3,4th目の園も計画された。
それが、2005年11月の出来事だった。