何故、恋愛小説を書くのか.../1978年の恋人たち、1981年の甘い生活、1989年の憂鬱を書き終えて
1978年の恋人たち、1981年の甘い生活、1989年の憂鬱を
5/20に第1話を上げ、間に数日空きがあり、6/29に最終話を上げました。
初めて書いた恋愛小説は、楽しかったと同時に、難しさは多々ありました。
特に、主人公の優樹の女性への態度が優柔不断というのが、テーマなので、その案配が微妙でした。
ストーリーやそこでの出来事の約四分の一は実際の経験談で、それ以外はフィクションです。
楽しかったというのは、タイムループで失敗した事実を修正して、最も望ましい時の流れを作れることで、ズーと澱の様に貯まっていたものを排出するという自分の癒やしの側面が強かった面はあります。
読者がそれをどう読んでくれたというのも、勿論興味はありますが、これを書いて、積年の澱が流れた様な爽快感があります。
自分の中で、あはは。
さて、前置きが長くなりましたが、「何故、恋愛小説を書くのか?」について、少し考えて行こうと思います。
第一に、叶えられなかった願望を、話の中で成就させたい。という、気持ちは強いと思います。いろいろな理由で、その恋へ踏み出せなかった。そんな理由を無条件にリセットして、その恋へ歩んでいく。理想です。生きていれば、色々な理由、しがらみで、先にある甘い恋へ行けない…ある意味、その場合が圧倒的に多いですよね。それを小説という、虚構の世界で、実現する。バーチャル空間で、体験するのと同じです。願望ですね。
第二に、どんなことをしても、誰も傷つかない。勿論、架空の世界の架空の主人公や人物なので、過酷な事が起きても、こころ痛めないし、傷つかない訳で、どんな酷いストーリーをその世界で展開しても、文句言われないし、訴訟を起こされることも、ありません。大丈夫、思う存分、何でも出来ます。
第三、どんな登場人物も可能だし、コストがほぼ掛かりません。主人公がフェラーリ乗ろうが、プライベートジェット買おうが、予算は無限です。そうなんです、次回作では、大富豪の話でも良いかなと…多分、それはつまらないので、書きませんが…クルマは好きなので、主人公達は、自分が乗りたくても乗れないクルマに乗ります。だから、大目に見て下さい。
そして、ヒロイン達は皆、美女です。自らは、語りませんが、周囲はそう見ている美女で、まー、そうしないと話が盛り上がらないというのも、有りますが…ちょほほ。
次作の「1974年の早春ノート」も同じ流れで、書きました。スタートが、1974年、高3の時の話です。
隣の女子高の学園祭に冷やかしに悪友と行った福田優(全3部作の福野優樹とは別人という設定)は髪の長い美少女、泉にフォークダンスに誘われるという、逆ナンパから物語はスタートします。
因みにこの部分は、ノンフィクションです。半世紀間、忘れていた出来事でした。
今、その32話を書いていますが、正直前作よりも、面白いです。
自己評価ですが。
なにか、乗りが軽いのか、全体の背景が明るく感じるのは、泉のキャラクターや性格なのか。
不思議です。
前作の美愛と比べるとですが。
但し、主人公の優樹と優のキャラクターは、名前が一文字違うだけということもあり、似た性格ですが、微妙に変えました。
優樹は優柔不断ですが、優は一途な面が強いというディテールですが…。
書いた感想と言うより、「1974年の早春ノート」の番宣のような文になりましたが、今後もご愛読頂ければ幸いです。
2024.06.27追記
1週間ほど、前から「1992年のクロスロード」という、これも恋愛小説ですが、書いています。三作目ですが、やはり書けば書くほど、旨く面白くなってきますね。自己評価ですが..。
あらすじは、「1989年の憂鬱」の終盤、登場する由佳がヒロインになります。「1989年の憂鬱」では、浮気相手でしたが、彼女が主人公で、自ら幸せを引き寄せて行く話です。現在、24話まで書きましたので、8月5日から、上げていく予定です。
これも、期待して下さい。
これも番宣でしたね、やれやれ。
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