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[恋愛小説]1981年の甘い生活.../全話(1話~10話)

初めて書いた恋愛小説3部作の第2部「1981年の甘い生活」の第1話から第10話までを纏めたものです。
主人公の新婚夫婦が二人で新しい生活を築いていく過程を描いています。手探り状態で、少しずつ自分たちの生活を作って行く過程で、出会う課題や問題に向き合っていく二人の姿を描きます。

あらすじ
前作「1978年の恋人たち」で建築技術者を目指す主人公の福野優樹と恋人の水原美愛が遠距離恋愛や様々な困難を乗り越え、結ばれた。この章は、その後の二人の「甘い生活」を通して二人の愛を育てていく過程を描いていく。

(文字数 約16,000字)


1. Dolce Vita 甘い生活


優樹と美愛は、調布のテニスクラブのコートでラリーを打ち合っている。

最近、美愛はテニスにハマっている。

元々は優樹に誘われて、始めたが最近では、美愛の方が熱心にコートへ行こうと言う。

中学・高校時は、陸上部に入っていた。
いつも補欠だったが。独身時代…とっても、短大卒業前後、優樹と付き合い始めた頃、冬になると地元のスキー同好会に誘われて数度、スキーに行った。
だからスポーツは嫌いではなく、どちらかと言えば興味はあった。

初めは優樹に誘われ付いていったが、今では優樹よりも日曜日のテニスを楽しみにしている。

先週は、最新のラケットを手に入れた、今までのは優樹のお下がりだったから、このカーボン製のラージサイズラケットを使うのを楽しみにしている。

優樹は、大学生のころから、研究室の仲間達と毎週テニスをしていた。
上野成文や有村昌はその仲間なのである。
みんな自己流で覚えたので、大した腕では無いが、普段からデスクワークが多いので、休日に体を動かすのは大切なイベントになっていた。
それに、同期の仲間と集まり、日頃の仕事関係とは違った、昔の気の置けない会話や話題を話せる、そんな時間は貴重だった。

そのメンバーの中で、真っ先に結婚したのが、優樹だった。
上野達は最初遠慮してそういうイベントや飲み会に優樹たちを誘わなかったが、最近では優樹と美愛にも声を掛けるようになっていた。

美愛は、転勤した新宿支店で働いている。
結婚したので、本当は退職しなければならないので、臨時社員で正社員並みの待遇らしい。優樹はあまり聞かないようにしているが、時折美愛が話す内容だと、どうも子供が出来るまでということらしい。

終業後の美愛は、活動的だ。アフター5も上京する前から、計画して3つを実行している。
何事も決めて実行するのが、好きな性格だからか…。

第一目標は、ゆーちゃんにとって良妻賢母になること。
だから、習い事、趣味もフィジカルトレーニングの3本建ても両立させようと頑張っている。

習い事は毎週火曜日に、新宿駅前のクッキングスタジオのクッキングコースから初め、今ではバリエーションクラスにレベルを上げている。
地元に居たときに、2年掛けて基礎クラスは既にマスターしているから、殆どの定番家庭料理は、出来る。
魚も下ろせるし、だしをきかせた肉じゃがも手早く出せる。

実際、優樹は美愛と暮らし始めて、体重が増えてきて、職場の健康診断で引っかかた。
3ヶ月で5kgも増えたのである。それまでの、貧困な弁当生活から最低3品という、美愛の愛情こもる食生活への急激な変化の結果である。

第2は、自分の教養や昔の言葉で言えば習い事をしたかった。
今は新宿御苑傍のピアノ教室を木曜に習っている。
これは、初心者コースで、始めたばかりで、これからだろう。

第3は、エアロビに週1回行っている。
これも都合の良いときだけ行っているが、体型の維持には気を遣っている。結婚して、体型が崩れるのだけは避けたい。
ゆーちゃんにそう言われないように、頑張っている。

だから、美愛は日々忙しいのである。
子作りの前にやることは沢山ある。
子供は3,4年待とうということなので、その話題には日々触れないでいる。

それにしても、優樹の事務所は相変わらず、ハードである、岐阜の団地計画が終わって、一段落する間もなく、岡山の福祉施設や金沢の集合住宅の手伝い、で今は徳島の住宅団地で高層と中層の計画をしているらしい、来月は徳島へ出張らしい。
ホントに体は大丈夫かしら…本人は面白いらしく、それはいいのだが…心配。

日常生活は、大分慣れたが、二人働いていると、どうしても顔を合わせる時間も限られるので、休日は二人一緒に居るか行動している。
暮らし初めた頃は、土日は外出もしないで、金曜日の夜から月曜の朝まで、甘い生活をしている。
二人とも人並み以上に、愛し合った。恥ずかしいので、詳しくは書けないが…。

これって、甘い生活っていうんだよ、とゆーちゃん、が言ってた。

2. 根津神社で

1981年6月上旬の土曜日の夜、飯田橋の焼き鳥屋の2階の宴会場で、優樹と美愛の結婚披露宴と言うより二次会的宴会が盛り上がっている。

もう既に、披露宴というより宴会の喧騒で、大声で無いと話も出来ない状態になっている。

午前中に文京区の根津神社で、優樹と美愛は神前結婚式を挙げた。
式には両家の両親や親戚が参列した。
宴会には、双方の両親、親戚、友人、優樹の事務所の所員・美愛の銀行の行員ら約80人が招かれていた。

一時は地元の結婚式場でと両親達に言われたが、二人は自分たちで式も披露宴も、自分たちの身の丈にあったものにしたいと親たちを説得した。
二人の意思がまたしても堅いのを知ると、親たちは地元を諦め、根津神社の挙式と飯田橋の宴会になった。
これで、二人は名実ともに、夫婦になった。優樹25歳、美愛24歳の時である。

それから1ヶ月後の7月上旬、美愛は地元の親友 佐久間慶子に手紙を書いている。

佐久間 慶子様
けいちゃん、先月の披露宴に来てくれた上にお祝いまで頂いてありがとう。
披露宴?宴会は凄かったね。
さて、今晩もゆーちゃんは事務所にお泊まりです。
マンションに一人で居ると、寂しいし心細い。ゆーちゃんの仕事は、聞いてはいたが、かなりハードです。設計スタッフはみんなそうだからと言われても、銀行で泊まり込みは無い。一週間に一度は泊まるのは、翌日打ち合わせがあるかららしい、明日も名古屋の公団に打ち合わせなので、今晩は泊まりでそのまま新幹線で名古屋入りらしい。お土産のういろうは美味しいですが…。
ゆーちゃんの仕事にあれこれは言わないが、手術しているので、心配しています。今月末から、夏休みを10日間取れるというので、久しぶりに茨城へ二人で帰省する予定です。予定が決まったら連絡します。それでは、おやすみなさい。

                          福野 美愛

そして1982年12月クリスマスの翌日に慶子に書いた手紙

佐久間 慶子様
お元気ですが、お手紙ありがとう。けいちゃもいよいよゴールで嬉しい。
いろいろとあると思うけど、二人で乗り越えてね。
さて今年のイブの夜は二人で静かに過ごしました。一昨年のクリスマスは、今でも二人の笑いぐさになっている。上野さんたちは、ジャストタイミングで部屋に乱入してきましたが、流石に去年も、今年もそれは無いので、安心してます。お陰であれから上野さんたちとは、仲良くさせて貰っています。テニスも一緒にしているし、来月はスキーも行くことに成っています。大学研究室の友達は皆さんいい方達なので、新入りの私もいろいろ助かっています。先日は、浜田山の安西さんのフィアンセの方に会った。実家は川崎らしいが、お互い同じ境遇なので、それから連絡を取り合っています。また友達が増えました。
正月はそちらに帰省する予定です。La Luceでお茶しましょ。
それでは、良いお年を。

                          福野 美愛


3. 青梅での生活


美愛から友人の佐久間慶子への手紙:

佐久間 慶子 様

ご無沙汰しています。お元気ですか。
私たちも元気です。
4月末の祝日に、ゆーちゃんの転勤で東京・青梅に引っ越しをしました。

4月からハウスメーカーに転職したと思っていたら、2週後には、青梅の営業所付きの現場監督として転勤する辞令が出て、驚きました。
青梅と聞いて、思わず 何処?って訊きました。東京の西の外れ、でも東京都下です。隣は山梨県ですが。区民だったのは2年間だけになり、少し残念だけど、ゆーちゃんに付いていきます。

2年間住んだ石神井公園は、毎週土日に1時間くらいゆーちゃんと一緒に歩きました。池の周りを歩くと、平日のストレスも和らぎ、その日一日リラックスして過ごせました。残念なのは、ゆーちゃんの事務所がある豊島園には、夏の夜の花火大会に1度行ったきりでした。もう少し行きたかった。でも、浦安に東京ディズニーランドが4月にオープンしたので、そのうち連れて行ってもらいます。

昨日スーパーの魚売り場を見ていたら、なんと一番安い魚は、ヤマメでした。ヤマメですよ。サンマでも鯖でもなくて、驚きました。早速その晩はヤマメの塩焼きにしました。
住めば都というけれど、こんな山の中に作家や芸術家の美術館があるんです。これも先週、ゆーちゃん、と行ってきました。吉川英治記念館と玉堂美術館です。こう言うのゆーちゃん、好きでしょ。お付き合いして、ついでに渓谷沿いの道も歩いてきました。腕組んでね。未だに熱々でしょ。てへっ。

それと、ホンダのアコードを買いました。中古車だけど、色はブルー。やはり青梅では、車は必需品です。そっちと同じですね、ゆーちゃんは会社のカローラワゴンを運転して、現場通いをしてます。
学生時代の事故以来だったので、最初新宿支店から青梅に来るときは、中央道は使わないで、甲州街道から、青梅街道を帰ってきました。大変だったみたい。
マニュアルギアなので、4速に入れ様として2速に入れちゃったとか、言ってました。

現場監督の仕事は、楽しいみたいなので、良かったです。最近、顔や二の腕も日焼けしてるし、土方焼けって言うんでしょうか?体が筋肉質になってきました。毎週土日に念入りに隅々までチェックしてます…あはは。

お盆休みには、そちらに帰省するので、La Luceでお茶しましょ。それでは。

1983年5月20日

                            福野 美愛

美愛は、慶子への手紙を書き終えて、窓の外を見た。南側には、若栗運動公園があり、野球場は平日なので、誰も居ない。土日は、草野球で賑やかだが。
青梅に来て、驚いたことがある。西には奥多摩の山々が聳えていた。郷里の筑波山は、単峰だが、山塊としてあると存在感がある。
先週優樹が運転するアコードで奥多摩湖までドライブしてきた。湖畔の駐車場で、車を停めて、山の中の静かな湖面を見ると、何処か遠くの国に来たみたいだった。
鍾乳洞もあり、二人で入った。美愛は優樹の腕に抱きつき離れなかったらしい。結婚して、2年になるが、いまだにDolce Vita 甘い生活 は続いている。

それが、1983年5月の出来事だった。

4. スカーレットのフィアレディ

美愛は目の前の車を見て驚いた。優樹が友達の大工さんから格安で譲り受けた車は、フィアレディZ 2by2(GS30型)だった。今朝引き取りマンションの前の駐車場で二人は赤いZを見ている。

スカーレットと黒のツートンに再塗装されおり、ボンネット中央の凸はつや消しの黒という、派手な車だった。

美愛「えっ…これって。」

優樹「どう?いいでしょ。」

美愛「派手ね。そうね、かっこは良いけど。運転できるかな?」

優樹「マニュアルギアだけど、少し練習すれば、大丈夫だよ。」

美愛「マニュアルか…」

優樹「これから奥多摩に行こう。」

美愛「分かった、Gパンに履き替えてくる。」

美愛は、最初Zを買いたいと言った優樹は、何を考えているんだろうと思った。青のアコードを購入してまだ1年も経っていないのに。
そう確かに、友人の慶子からも、現場監督の人はストレス解消で良い車を乗る人が多いとは、聞いていたが…。

多分優樹もストレスを抱えているんだろうと思った。

値段も値段なので、強いて反対はせず黙っていた。

優樹が運転するスカーレットのZは奥多摩有料道路のコーナーをスムーズに旋回していく。美愛は、窓を全開にし、長い髪をそよがせている。

季節は初春だが、奥多摩は日陰にはまだ日陰に雪が残っている。

優樹「寒くない?」

美愛「少しね、でも気持ちいいわ。」

優樹「流石にZだね、よく走るよ。L型6発の頭は少し重いけど。」

美愛「これ幾らしたの?」

優樹「幾らだと思う。」

美愛「100位?」

優樹「あはは、その十分の一だよ。」

美愛「うそー。」

優樹「来週からテニスはこれで行こう。」

美愛「運転代わって。」

青梅に転居して、美愛は銀行を退職し、東京の信用金庫に勤めだした。やはり、金融機関が肌に合っているらしい。その点、優樹は門外漢なので、食事の時は、週末のテニスや青梅に来てから始めたトレッキングの話題になる。

この頃から、美愛は優樹が趣味で始めるものに、必ず同行し、一緒にやり始めた。
それが、楽しいことを優樹一人だけにさせるのは、勿体ないと思っているのか、狡いと思っているのか、それとも一人で出かけさせると危ないと思っているのかは、まだ分からなかった。

この頃になると、優樹の周りに女の影がふと近づくことに気が付いた、そしてそれは優樹の持つ何かが彼女達を引き寄せるということが、何となく分かってきた。
そう言えば、自分もそうだったので、納得したが…。事実、危ないことも何度かおこることもあったのだが、美愛のそれは間違いでは無かった。

油断も隙もない人。

その後の二人の趣味を列記すると、ドライブ、テニス、、ワンちゃん(シェルティ)、ウォーキング、トレッキング、そしてロードバイクと多彩だ。

私生活は、順調だったが、仕事にはなかなか手強かった。転職したDハウスは、元々プレハブ住宅で大きくなった一部上場企業だが、鉄筋コンクリート造や鉄骨造の一般建築も受注していた。

今は八王子の駅前で9階建ての事務所ビルの新築工事を一人で担当していた。

昨年12月から着工しており、現場の工程が遅れていた。3月完成予定だったが、5月頃まで延びそうだった。
この頃から、バブルが始まって、職人の段取りが段段難しくなってきていた。
その上、いろいろと初めての工事も多く苦労していたが、東京支店からの応援はほぼ無かった。孤立無援の現場だった。

苦労したが、漸く完成し、通常業務に戻った。
驚いたことに、それまでの現場はまるで楽勝だった、それくらい簡単に思えた。
これが一山越えた風景だと、知った。

美愛の転職した信用金庫は多摩地区に支店も多く、今は立川支店に通勤している。だいぶ慣れてきたが、やはり二人で働くのは、大変だ。
優樹も忙しいしので、家事の手伝いをお願いねとも言えない。

優樹が楽しそうに、Zを運転するのを横から見ながら、そのうち何処かへ泊まりで旅行しようと考えていた。

それが、1984年2月の出来事だった。

5. 小淵沢にて...

優樹の運転するスカーレットのフィアレディZの助手席に美愛を乗せ中央道を西へ向かっている。

季節は初夏、夏の日差しが厳しく季節だが、高原の風は爽やかで、日陰に入ると心地よい。
今日は土曜日で、小渕沢のリゾート開発現場を見たら、美愛と清里のリゾートホテル八ヶ岳に泊まる予定だ。
最近は担当する現場が多く、多摩地区だけでなく、守備範囲は広がって山梨県西部・小渕沢まで来ている。
営業所で受注すれば、担当させられる。悲しいかな文句は言えない。

優樹「今担当している別荘の1棟を、社員価格で言いってくれてるんだけど、どうかな?」

美愛「こっちに住むんなら良いけど、最終的には茨城に帰るんでしょ。」

優樹「親も早く子供連れて、田舎に帰って来いって…。飯島常務には、茨城の営業所への転勤は話してあるけど…。」

美愛「そうでしょ、それに別荘って、掃除や管理が大変って、聞いたこと有るわよ。」

そう、確かに美愛の言う通りで、普段住む住宅と違い、年に数回しか来ない別荘は、行けば掃除、帰りも掃除、住まないのに管理費は住宅と同じ、高原の気候は建築に厳しい、当然劣化も早い。
結局、この話は立ち消えになるが、買わなくて正解だったかもしれない。

白州のSウィスキー蒸留所を見学したいという美愛を見学者用エントランスに下ろして、優樹は現場へ向かう。
Zを遠く離れた所に停め歩いていく、流石にこの派手な車では、現場に乗り入れるのは、憚れる。
現場は開発されたリゾート用地にある。この現場も遅れ気味で、地元の建設会社も忙しいらしく、職人さんがなかなか確保できなく、苦労している。
この分だと、東京から応援部隊を入れないと、いけないようだ。

現場を一通り確認し、打ち合わせが終わると、美愛を迎えにウィスキー蒸留所に戻る。
見学、テイスティングは終わり、団体客も帰っており、一人残った美愛はガイド嬢とロビーで何か話している。

優樹「何話してたの。」走り出した車の中。
美愛「最近、見学客が増えているって、でこっちへ別荘持つ人が増えてるって言ってた。」

バックミラーを見ていた優樹が言う。
「流石、Sトリーだ。」

美愛「どうしたの?」

優樹「彼女まだ立って見送ってるよ。」

美愛、振り返り「姿が見えなくなるまで、見送るのね。」

二人は彼女のプロ意識の高さに驚き、その後Sトリーの隠れファンになったらしい。

今晩はリゾートホテル八ヶ岳に予約を取っている。
未だハネムーンに行っていないので、その代わりでは無いが、半年に1度は、そういう所に泊まっている。
別に、美愛が言ってる訳ではなく、優樹がそうしたいらしい。

因みに有名なイタリア建築家のマリオ・ベリーニが設計したリゾナーレ小淵沢が完成するのはその8年後である。

ホテルは二人が満足するサービスで、美愛は気に入ったようで、又来たいと言っていた。

それにしても、昨晩の美愛は激しかった。
最近どうも、こちらの方面でも劣勢になってきている。
どこかで挽回しないと、不味い…と優樹は、帰路Zのハンドルを握りながら、助手席美愛の穏やかな寝顔を見た。

1984年4月に、青梅営業所から神奈川県相模原・橋本にある、相模原営業所へ転勤となり、住まいを八王子・高尾に転居した。新居は京王線高尾線高尾駅に近い、終点の高尾山口まで一駅で、登山にも便利だという理由で、決めた。ちょっと広めの2LDKのマンションにした。

優樹「1年でまた、転勤ですまないね。」

美愛「しょうがないわ、ゆーちゃんの所為じゃないから。」

優樹「主任だって。」

美愛「おめでとう、お給料も上がる?」

優樹「少しだけど。」

美愛「そう、頑張ってね。」

優樹「飯島常務に話して、借り上げ社宅の家賃は1割負担にして貰ったから。」

美愛「助かるわ、財形貯蓄に回す額を増やそうね。」

後にバブル景気と言われる、好景気がそろそろと二人の周りにもなんとなく感じられる様になってきた。
が金融機関で働く美愛は、かなりシビアな家計をこなしていた。それは「甘い生活」というより「渋い生活」になってきた…

それが、1984年初夏の出来事だった。


6. ハネムーンはNZ その1 秘められた目的


結婚して早4年、念願のハネムーンを計画している美愛。
八王子駅ビルの旅行代理店でパンフレットを沢山貰ってきた。

美愛「だから、ハワイかオーストラリアかニュージーランドはどう?」

優樹「ハワイはみんな行くからな…オーストラリアはシドニーのオペラハウスだし、ニュージーランドは羊しかいないし….。任せるよ。」
という、具合である。いつもの優柔不断な返事。

美愛はこのハネムーンには、優樹には言ってないが、拘っていることが有った。
自分たちは、若干24,5歳で結婚という選択をした。
それから4年経ってみて、一旦別な場所から、別な視点で今居る場所を客観的、俯瞰的に見てみたい。
どう見えるのか、正直に言えば、それが良かったのかどうか、知りたいと思っていた。

そして、石神井での最初の夜、優樹に言われた子供の話。

もう、4年達、自分たちの気持ちも生活も十分、寄り添ってきたと美愛は思っている。そろそろ、その決断をする時だと思っている。

だが優樹にそれは言っていないのだが。そもそも優樹は仕事で忙しいらしく、訊いても真剣に反応しないので、不満である。
どう考えているのだろうか、今の生活や今までのこと、子供のことを…。

そう言う意味で行き先を考えれば、今の生活から離れた場所や環境で、なるべく遠い方が良く、知らない場所、余り他の人が行かない場所で考えて見たいと思っている。

そうなると、ニュージーランドが日本から一番遠いし、余り知らない場所だし、他に比べたら行く観光客も少なく、落ち着いて考えられるのではないか。

そして、やはり、夫婦の共同作業の成果が、心配である。愛美自身そろそろ、良いかなと思っている。
故郷の母に相談したら、やはり4人の親たちは皆、待ち望んで居ると言われた。
これも優樹に話したが、結婚以来2人の甘い生活を過ごして来たので、どうも踏ん切りが着かないようだ。このあたりで、子供を産んで育てる時期かなと、美愛は思っている。
が、これもまた優樹はいまいち乗り気で無く、反応が薄い。どうも、バブル景気で現場が多すぎて、手が回らず、スムーズに動いていない現場もあり、それらが気になるようだ。

そう考えると、美愛は優樹との早かった結婚と遅れている子作りをここで見直してみたいと思っている。
本来のハネムーンの主旨とは、ズレているが…だからこれは優樹に対して秘密なのだ。

美愛「おかあさんが、今日電話で、まだかっていうのよ。」

優樹「まだって?」

美愛「だから、そろそろ孫の顔が見たいって…。」

優樹「また…、その話は前にもしたよね。」

美愛「向こうでは、みんな会うとその話らしいわよ。」

優樹「えー、そんなこと言ったって…。」

美愛「そろそろ、真剣に考えなさいって…。」

優樹「それじゃ、練習しようか..。」

美愛「バカっ。」

そして、4年越しのハネムーンは、ニュージーランドになった。表向きの理由は、これからも行きそうに無い、一番遠く、自然が一番綺麗そうなという、ことになっている。
優樹がそこで良いと思った理由は、彼自身が金槌で泳がなくても、いい旅先という理由だったのは、美愛も知らない。

結婚して4年経つが、それぞれの思惑は相変わらず、寄り添っているようで、実はそうじゃないということは、二人とも自覚していないようである。

1985年10月、二人は仕事のやり繰りをして、結婚後4年して漸くハネムーンに行くことになった。
ただし、8月に日本航空の事故があり、一時飛行機が手配できないという、トラブルがあった。が、中旬に無事成田から旅発った。

それが、1985年10月の出来事だった。

7. ハネムーンはNZ その2 美愛の憂鬱


美愛は優樹と結婚を前提に付き合いだした頃から、薄々感じていたことがある。
それは、優樹の女性への態度だ。
どうもなれなれしいその態度は、相手に誤解を与えて、直ぐに近寄ってくる女達がいる。
そのことに、美愛は警戒するようになっていった。

それに最初に気づいたのは優樹が大学4年の時の入院だった。
大学病院だったせいか若い看護婦が多く、ちょっと目を離すと、親しく笑いながら話しているのを何度か見た。
自分が近づくと不自然に会話が途切れるのも、嫌な感じだった。

優樹の職場は、設計や現場なので、女性が少ないから、そう言う機会は少なく職場で間違いは無いと思うので、その点は良かったが…。

そもそも自分が優樹と初めて出会った時もそうだった、あれは短大の最後の文化祭で英研に入っていた美愛は、展示室で案内をしていた。
友達と二人で来ていた優樹は建築学科の学生で、短大の礼拝堂が有名な建築家の設計なので、それを見に来たと言っていたが、いつの間にか親しげに話をしている自分に気がついた。
そういう、相手の女性の懐へ易々と入り込める、否入り込むところが、優樹にはあるようだ。
そう言うことに、いちいち気になる自分も時々嫌になる。

優樹がトレッキングやロードバイクを始めると、美愛も一緒にそれらを始めた。
勿論、自分も楽しみたいという思いはあるのだが…。

何より優樹の周りに接近する女性達に、「この人は私のものよ、手を出さないで」とアピールする為でもあった。

本当に苦労する人と一緒になってしまったと、時折思った。

事実、優樹は秘密にしていたが、そういう女性達からのアプローチを何度か受けたので、やんわりと対処した。
そういう女達にまともに対応してたら身が持たない。

しかし、不思議なのは、優樹にそんな魅力があるのかと聞かれたら、だれも否と言うだろう。ハンサムでも無いし、フィジカルな魅力も無いと思う…なのにである。

最近では、美愛はこの件に関しては、半ば諦めている。目の届く範囲では、ガードを固めるしかないと。

一方、優樹は美愛のそういう心配は全くなかったし、実際美愛の誠実な気持ちを知っていた。
浮ついた行為や異性からのアクションについては、優樹の知らない、見えないところで有るのかも知れないが、それは信頼するしか無いし、全幅の信頼を寄せている。
一度、聞かれたことが有る。

美愛「もし私が浮気したらどうする。」

優樹「離婚する。」

美愛「だろうね。」

優樹「信頼しているから。」

美愛「ふふ、ありがとう。」

今回のNZ旅行だが、周りはみんな熱々のカップルだろうから、そんな心配は無いだろうと思っていたが、まさかツアコンが女性で美人だったのは、正直嫌な予感がした。
彼女は島田和美といった。
しかも二日目から、優樹は島田さんの後ろの座席へ移動している。私は昨日と同じ中程の席に一人でいるのに…。

美愛と優樹がモーニングコールの呼び鈴で、起きたのは7時45分だった。電話口の向こうでは、誰かが英語で話している。
暫く考えて、ここはNZ・オークランドだったことを、思い出した。

確か、今日の出発時間は8時だった…えっ、8時!あと、15分しか無い。
二人大慌てで、着替え、化粧もそこそこに、スーツケースを転がしながら、EVホールへ大慌てで向かう。

ツアー2日目。朝からドタバタの大騒ぎである。

8時出発予定だった。

が、モーニングコールで起きたときは、7時45分。ロビーに降りると、島田さんが、手にサンドイッチを配りながら、ごめんなさい。
と謝りながら、バスへ誘導している。

美愛も、化粧もろくにせずに、降りてきたので、不機嫌な顔をしている。

他のペアも同様で有る。ということは、全グループが寝過ごしたのか…。

バスが走り出して、漸く島田さんが、事情を話してくれた。
昨日フロントに6時半にモーニングコールを頼んでいた。ところが、頼んだフロント担当者は、交代で変わり、今朝のフロントは、それを引き継ぎしていなかった…ということらしい。
こちらでは、よく有るんですよ。と困ったような顔で島田さんが言う。
凄い所へ来たなと、美愛と話した。

時間の感覚がどうも、日本と違うということは、それから度々経験した。つまり、のんびりしている。急がない、時間に執着しない。

それまで、仕事で15分単位のスケジュールで動いていたので、驚いた。ある意味、それで通用する世界がうらやましいとさえ思った。

優樹は、島田さんとドライバーの直ぐ後ろに座っているが、今朝は美愛は一人で中央の席にいる。多分、化粧でもしているんだろうと、優樹は思っていた。

後に、美愛が島田さんを敬遠していたことが、分かる。

しかし後5日間、どうする...。

8. ハネムーンはNZ その3 美人のツアコン


そのツアーは6組の新婚旅行カップルだけ参加したハネムーンツアーだった。
夜10時成田発、機上で朝明けを見るのは初めてだった。
暫く二人で窓の外に広がる朝日を見ていた。
朝方フィジーで給油、昼過ぎオークランド着。
乗り込んだ、バスとツアーコンダクターと運転手は、最終日まで一緒だった。
ツアコンは、島田和美さんといい、30代後半で有能で美人だった。
一見して、美愛は島田さんを分類した、好きになれないグループへ。
この頃になると、美愛が同性に対し、好きになれるグループ。
好きになれないグループ。に分類しているのではないかと、優樹は薄々感じていた。
その好きになれないグループとは、優樹が興味を持つ、危険なタイプだし、好きになれるは、優樹が興味を持たない、安パイのタイプなのだが…。
週末のテニスに来ている、メンバーの女性に対する態度が、そうなのだ。
一見分け隔て無く接しているように見えるが、微妙に異なる対応をしている。
それが無意識なのか、故意なのかは、優樹には分からない。
そしてそれは、その後も続くことになる。

閑話休題

オークランドはNZでも大きい都市と聞いていたが、1985年当時高層ビルは少なく、地方都市のようにしか見えなかった。
ヨットハーバーに係留されている、ヨットの数はとても多く、レジャーが盛んなのが分かる。
午後なので、市内の博物館見学。
鹵獲された零戦が展示されているのは、驚いた。

島田さんが、ここでは、新聞のトップ記事に、羊の死亡事故が載るんですよと言っていた。
先日、大雨で起きた洪水で羊が3頭、溺死したニュースが一面に載っていた。
どうも、それくらいしか、ニュースがないらしい。
へーと思って、後ろを見たら、半分の客は寝ていた。
ハネムーンツアーなんだから、夜がメインで昼の観光なんて刺身のつま程度なんだろう、彼らにとって。

優樹は、このツアーが気に入っていた、初めて国外に出て、見るもの聞く物初めての物ばかりだし、聞けば何でも島田さんが教えてくれる。
だから島田さんに興味があるのでは無く、NZや初めてのこと柄に興味があるのだが、どうもその点を、美愛は誤解しているようだ。
いちいち誤解を解くのも面倒なので、そのままにしているが…。

この日は、テアナウのツチボタル洞窟見学がメイン、ボートに乗り、洞窟へ入り、ツチボタルを見るわけだが…バスから降りると、美愛は優樹の隣にいる。
怖い顔をして睨んでいる。

美愛「どうして私の隣に座らないの?」

優樹「後ろじゃ、島田さんの説明が聞こえないじゃない。」

美愛「そんなに聞きたい話なの?」

優樹「そんなら、美愛も前に来て聞けばいいじゃない。」

美愛「私そんなに聞きたくないもん。」

また、はじまったと優樹は思った。
時々、美愛は子供になる。普段は表に出てこない、幼児性がふとしたことで、表面に出る時がある。
大体は、優樹の女性に対する優柔不断な態度や脇の甘さが、トリガーになる場合が多い。
今回も、美愛を一人にし島田さんと楽しげに話したのが、いけなかった。

昼食は、羊牧場のレストランだった。延々続くワインディングロードを1時間以上走り、丘の上に立つ牧場併設のレストランに着いた。

桜が綺麗に咲いていた、10月はニュージーランドでは、春だった。

4人掛けのテーブルについたのは、名古屋のカップル、竹田壮一と裕美で、最初にこのツアーで話しかけてきたのも、彼らだった。

優樹「じゃー、学生結婚なの?」

壮一「卒業してから結婚しました、付き合いは学生時代からなので。」

優樹「うちらもそうだよ。」

裕美「美愛さん、どうしてニュージーランドにしたの?」

美愛「ゆーちゃんがどこでも良いっていうから、一番遠いところで。」

裕美「うちなんて、壮一さんが泳げないから、ハワイはいやだと言ってここになったの。」

美愛「ああ、うちらもそれあるかも。」

裕美、美愛「あははは。」

どうも、女性達は気が合うらしく、二人で今晩のホテルの話題に。

裕美は、美愛の問題なしグループに入ったようだ…。

テーブルに近寄ってきた犬に、肉片をあげる美愛。

美愛「この子、かわいいわね。」

優樹「賢そうな顔してる。」

美愛「何て言う犬かしら。」

壮一「それ、シェルティじゃないですか。正式には、シェットランド・シープ・ドック」

美愛「そうなんだ。」

優樹「ふーん。」

その後、ツアーはロトルアへ、テ プイア間欠泉を見て、温泉や乗馬 を楽しんだ。
翌日もタウポ湖やワイカト川でラフティング、セスナの観光フライトを楽しんだ。
優樹はセスナの助手席で、操縦桿を握らせて貰いご満悦だったらしい。
ハネムーンはあっという間に終わり、帰国した。

美愛が心配したことは、杞憂に終わったが、やはり優樹には自分では意識していない危険な所があると確信した。
磁石の様にある特定の女性達を引き寄せる所がである。
油断も隙もない人…。

美愛はそう再認識した旅だった。

それが、1985年秋の出来事だった。

9. シェルティとボルボ


NZハネムーンから帰国した優樹は、ぼんやり実家の池を見ている。

池には父が飼っている錦鯉が群れている。

美愛は、実家にお土産を届けに帰っている。
優樹がボンヤリしているのは、NZの生活が余りにスローライフで魅力的に見えたからで、日本での忙しすぎる毎日と比べると天国の様に思えた。

移住してNZで生活したいとまで考えていた。

それは美愛にとっては、まったく別で。
あれは観光旅行だからと割り切っている。

優樹がにそんなことを考えているなんて露程も知らなかった。
帰国してから、美愛は家庭犬のブリーダーを調べていた。

どうもNZ旅行中に昼食で寄った牧場にした犬を気に入ったらしく、その犬をいろいろといらべていた。
犬種は、シェットランド・シープス・ドック、一般的にはシェルティと呼ばれる。その犬は、牧羊犬として、スコットランドのシェットランド島を原産地としイギリスから広がって行った。
だからニュージーランドにも、牧羊犬として多く飼われていた。
白・黒・茶の三色エクレアのような毛長の中型犬で、頭は良いので、競技にも良く出ているらしい。

美愛がシェルティを家族として迎えようとしているのは、理由が有った。
やはり家族が欲しいのである。
パートナーとしての、優樹には感謝もしているし、夫としても満足している。が、子供を作るまでの間、愛情を注げる対象が欲しいと、なんとなく感じていた。

それが、NZ旅行中に出会ったシェルティだった。

流石に、日本に連れてくるわけにも行かず、帰国後いろいろと調べていた。
美愛に誘われて、今日は千葉県・市原のブリーダーに見に来ていた。
先週は神奈川・厚木だった。
いろいろと見学すると、犬だけで無く、そのブリーダーの考え方がよく分かる。

愛情を持って、繁殖させ、育てている所もあれば、利益優先が見え隠れする所もある。
そのなかで、今日訪問した市原は、ダントツである。

美愛はここから迎えたいと優樹に相談した。
ブリーダーの考え方だけでなく、迎える家庭のことも考え、フォローも良くされているのが、分かったからだ。

優樹は、「これから生まれる子を譲り受けることで、いいと思うよ。」という。
美愛に異存も無く、ブリーダーにお願いし、帰宅した。

こう言うときの優樹の素直な対応が好きだ。

基本、彼女の提案には、反対しない。
それが無条件というわけでは無く、良く熟慮した結果だと言うことを知っているからだ。

優樹「どんな毛色の子が良いの?」

美愛「やっぱり、白のカラーが良いな。」

優樹「多いよね。」

美愛「そう、頼んでおく。」
それがNZ帰国後の、1985年11月のことだった。

それから2ヶ月、ブリーダーから4月出産予定の母親がいると連絡があった。その母親は、白のカラーは無かったが、父親の方は綺麗な白のカラーがあったでの、予約した。

4月末、ブリーダーから出産したので、一度見に来ないかと連絡があり行くことになった、車中でのこと。

美愛「いよいよね、嬉しいわ。まるで自分の子供のよう。」

優樹「そうだね。楽しみだよ。」

美愛「実は、もう一つお願いがあるんだけど、良いかな。」

優樹「ええ、何?何だか怖いな…。」

美愛「そろそろ、私のアコードも10年過ぎたし、家族も増えるし、荷物が沢山詰める車が欲しいの。」

優樹「ああ、いいんじゃない。何か決まっているの?」

美愛「ボルボがいいかなって。」

優樹「へー、ボルボか。ワゴン?」

美愛「そう、ワゴン。来週クルマ見に行きたいんだけど、一緒に行ってくれる。」

優樹「良いよ。ディーラーは何処にあるの?」

美愛「町田が一番近いの。」
市原のブリーダーで赤ちゃんシェルティを見た二人は4匹いるうちの、カラーが茶色の子に決めた。
白いカラーの子は既に予約済みだったからだ。
渋る美愛を説得し、決めたが、これを逃すとまた長くなると思ったからだ。
それが1986年4月末の出来事だった。

10. 嬉しい知らせ


翌週、町田のボルボディーラーに入る美愛と優樹。

如才ない営業マンが近寄ってくる。
営業「どのようなお車をお探しでしょうか?」

愛美「家族が増えるので、5人とワンちゃん3匹が乗れて、キャンプ道具や登山道具が沢山積めて、事故っても死なないクルマが欲しいんですが。」

営業マン「それでは、こちらのボルボ240エステートは如何でしょう。エアバック、ABSが付いて、安全性は最先端です。荷物も沢山詰めますから、ご希望通りだと思います。」

美愛「エアバック?AB..って、何?」
1986年当時、安全性能では最先端を行き、荷物も積める。それらの説明を聞いた二人は、これしかないと即決した。

希望色のレッドは在庫があるというので、翌月納車になった。

翌月、高尾のマンションの前に赤いボルボ240エステートが納車された。
一通り説明を聞いた二人は、近所をドライブすることにした。

愛美がハンドルを握り、甲州街道を西に向かう、狭いワインディングロードを1時間以上走り、大垂水峠を超え、相模湖湖畔の駐車場に着く。

240から降りて、二人湖を見ている。

足下には、愛犬 萌奈が鼻をクンクンしている。

愛美「アクセルペダル、重い。踏んでもクルマ先へ行かない。」

優樹「北欧のクルマだから、雪道が基本で、スリップしないようになっているって、営業が言ってた。」

愛美「へー、そうなんだ。飛ばす気にはならいよ、このクルマ。」

優樹「240は納車されたし萌奈ちゃんも居るし、もう無いよね。」

美愛「うふっ、実はもう一つあるの。」

優樹「えっ、まだあるの?何?」

美愛「あかちゃん。そろそろ、良いわよね。」

優樹「ニュージーランドでもずーと、頑張ってたんだけどね…。」

美愛「まだ、ゆーちゃん、の努力が足りないと思う。」

優樹「えー、頑張っているんだけどな…。」

美愛「まだまだよ。」

優樹「…。」

美愛「さっ、あそこで、頑張るわよ…。」

美愛が指さしたのは、対岸のお城の様なホテルだった。

優樹「…えっ、あそこ?」

どこから、どう見ても、美愛の尻に敷かれている優樹だった。

1987年1月下旬 現場の途中で、自宅に寄り昼飯を食べた、優樹。

食事後、美愛が前に座った。

美愛「午前中に病院へ行ったの。お目出度だって。」

優樹「…。お・め・で…た…。」一瞬、優樹はその言葉の意味が分からなかった。

美愛「….。」

優樹「えっ、えっ、ホント!」

うんと美愛、うなずく。隣で萌奈が仰向けで、おへそ天々している。

この時の気持ちは、一生忘れないと思った。

自分に子供が出来る。父親になる。

今までのいろいろと嬉しいことは有ったが、これは全く別な喜びだった。

1981年に結婚して、6年。ある意味、結婚生活というより、独身時代の延長で来たような期間だったが…漸く。

その日、優樹は仕事中もズーとその事を考えていた。定時でいそいそと帰宅したのは言うまでも無い。

美愛は信用金庫との約束通り、妊娠を契機に辞めていた。

5月、帰宅すると、美愛の表情が暗い。

優樹「どうしたの?」

美愛「今日、定期検診で早産の可能性があるから、入院するように言われた。」

優樹「…いつから?」

美愛「早いほうが良いって…。」

翌日から美愛は産婦人科病棟へ入院した。優樹は、仕事の合間を見つけ、毎日病院通いをし始めた。
萌奈は茨城の実家に預けた。

それが1987年5月の出来事だった。



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