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(見つかった)遠い太鼓/村上春樹...aaltoのちょほほ日記@2024/12/14
先日村上春樹さんの「遠い太鼓」を取り上げたが、第2刷の本が自宅の本棚から出てきたので、改めて書きたいが、これは単なる昔話ですの悪しからず…ちょほほ。
出てきたのは2階の昼寝室の作り付け箱階段の本棚からである。それも最上段の見えにくい所に、同氏の他のエッセイ集に紛れていた。因みに自宅の自分の本棚は、1階の6畳の間に4本、2階のリビングに3本、同昼寝室にあるそれの1本である。引退してから、自室が彼方此方と移動したために、整理分類されること無く、散乱している。いや混乱か..ちょほほ。
その本だが購入したのは1994,5年頃で、地元ハウスビルダーで設計の仕事をしていたが、上司のパワハラで1^2ヶ月間休職し、暇で読んだのだと思う。
だから、そのノンビリしたインディアンサマー的穏やかさに、癒やされたのを覚えている。
その頃、今住んでいる自邸の増改築の設計もしていた。
そして今相変わらず、寝入りばなや、真夜中にふと目が覚めた時に、Audibleで聞いているが、同じ内容を印刷された活字で読むと、その雰囲気は異なる。
聞くときは、大体寝ながらだし、友人の物語りを聞く状況に近いが、活字を読むとこれはちゃんとした作品を鑑賞するというフォーマルな姿勢が出てくるから不思議だ。
この本自体が執筆されたのが、1985,6年だから既に40年も前のローマやギリシャ、ミコノスの風景や人物描写を古い友人から聞いているようなものである。癒やされるのも当然である。それから起きた悲惨な事件や災害の予感も無い、平和な時期である。
有っても冬の嵐やクルマのエンストくらいである。
その頃自分は、今のかみさんと結婚して、長女が生まれたか1歳の頃であり、その頃のアルバムを見たら、まだ学生のような顔をしていて驚いた。
そりゃそうだ、まだ30歳だったから…。今の息子よりも若い。
今思うと本当に何も考えないで、目の前の事に取り組むので精一杯だった気がする。家族や仕事などである。
今のように、ペットや庭木の世話をするだけ日々が来るとは思ってもいなかった。だからこの30年という月日は大きい。その間に、何を得て何を失ってきたのだろうか。もう一度、それがタイムリープとして可能なら、すかさずリスト表を作るだろう。
此処に来て、拙い文章を読んでくれる方々もいるので、僭越ながらアドバイスをさせて貰えるなら、まだ来ぬ30年先の自分を見据えて何かを始められた方が良いと思います。
もし、自分にそれが可能なら、多分休日はひたすらアウトドアスポーツをすると思う。
まだ出来るだろうと、思っていたがそれは間違いでした。70目前の体力では出来ないことの方が、多い。それが現実です。それが私の「遠い太鼓」です。残念ながら…ちょほほ。