2003_横浜のお嬢様_part2.../ 29.新設建設会社の社長職
登場人物(2006年時点)
幸田麗華 ワイン専門店コウテク社長 1976年(30歳)
幸田耕一 幸田商事 施設部長 1970年(36歳)
幸田大介 輸入商事 会長 1940年(66歳)
江戸直樹 幸田商事 社長 1950年(56歳)
江戸かす美 社長夫人 1968年(38歳)
山口 ゆかり 日仏食品DM 課長 1978年(29歳)
木名瀬 愛 日仏食品DM 1980年(26歳)
吉田 香織 Dハウス 1972年(34歳)
幸田大介 輸入商事 会長 1940年(66歳)
佐藤愛子 大介の妻 1966年(40歳)
岸野友一 KGC建設 建設部長 1971年(35歳)
高橋 直美 KGC建設設計部長 1970年(36歳)
角田美香 美術キュレーター 準備室長 1972年(33歳)
4月の役員会議で、美術館の企画と準備室長にかす美という議事が決定された。
かす美が準備室へ来るようになり、連日会議となった。
最初は大介や江戸も出席していたが、2回目からはかす美、麗華、耕一、角田美香と他3名のキュレーターの計7名で話合った。
が、その内、麗華と耕一は抜けてかす美達の5人だけになった。
一方、幼稚園準備室では、理事長に愛子、園長に麗華が兼任、副園長 太田直美が連日、検討会をしていた。
そして耕一がみなとみらい地区/69街区開発のディベロッパー・合同会社KRF69に幸田グループから代表として参加して、執行役員になった。
元々Dハウスがメインなので、その常務取締役飯島と昵懇の仲なので、妥当だと見なされた。だからKGC建設の社長と兼務になる。
基本役員会議への対応が主なので、本業のKGCの社長職がメインになる。
MM69タワーの企画・基本設計はKJ建設の設計部にKGCの設計部がJVとして参加し担当した。
企画・基本設計から実施設計へと進んで行くので、毎週会議があり、その上、幼稚園の基本・実施設計そして美術館の基本設計、ワイン専門店の各地への展開、やがて明らかになる新規事業の設計業務も加わり、多忙な生活を送っていた。
だから浮いた話など無いと思われていたが、実際は裏で美術館準備室の角田美香と密会していた。
定例の会議は毎週水曜日の午後にあり、この時期麗華は美術館準備室を離れ、福祉介護事業の検討に入っていた。
数ヶ月後に役員会議へ提出する企画書の基本資料の読み込みや、関西の同業者への見学する多忙な日々を送っていた。
これは麗華もかす美も感知することが出来なかった。
どうもMM69タワーの定例会議の後に、コンチネンタルホテルで密会をしていたらしい。
美香がどうして耕一と関係を持つようになったのか、後でそれを知った麗華は青天の霹靂だった。
美香が入社した直後に、耕一がアプローチして、麗華と耕一が夫婦だと知る前に、関係を持つようになったらしい。
確かに美香は、耕一好みの清楚な美人だったし、その少し影のある雰囲気は、耕一の好みだったと、後から麗華は気が付いたが、その時は、既に二人は深い関係に落ち込んでいた。
大体、耕一がKGC建設の社長職で多忙な日々を送っており、帰宅もほぼ10時過ぎだったから、油断していたとも言えるが。
だが、それだけでは済まなかった。
設計部長の高橋直美とも親密な雰囲気で居るところを、総務部の女子社員が何度か見たと後で、かす美から聞いたのは、翌年幼稚園が開園する時期なので、かなり後のことである。
だからある時期、二人と並行して浮気をしていたことになる。
これには、麗華は怒るより、呆れた。
耕一の視点で語ると別なものが見えてくる。
この時期、この夫婦の寝室は、麗華と愛がフィレンツェ出張帰国後から別室になっていた。
耕一がMM69タワーの役員になったあたりだが、帰宅が遅くなるときが多くなり、起こすのも悪いと耕一が言い出した。
確かにこの頃は、純粋に仕事量が増えていたし、その周囲に女性は居なかったので、麗華はすんなり隣室に耕一の寝室を設けた。
耕一のビジネス用のクルマもレクサスからBMWのシルバーのM5に代わった。運転手も付けようかと大介が話したが、まだそんな歳でも無いし、自分で運転したいのでと言って、地味なシルバーのM5に乗るようになった。
BMWのMシリーズは、メイカー純正のスポーツタイプだが4ドアセダンで、普通の人には、見分けられない。
それくらい地味である。ある意味、街ですれ違っても、分からないだろう。
休日には、家のレンジローバーやジャガーに家族で乗るので、浮気の証拠品の片方のピアスや長い髪の毛にも気付かれなかった。
しかも時々、朝着ていたシャツが帰宅時にポロシャツに成っていても麗華もメイドも気付かなかった。
そして5月にKGC建設が発足し、多忙になると帰宅時間は、遅くなり10時過ぎになることも多くなった。
幸田グループの就業時間は、基本9時から6時までだが、KGCは建設業界では、皆そうだといい、遅くまで残業をしていた。
特に設計部は10時頃まで残業することが、多く他部門から異端視されていた。
それにしても、社長とその部下の部長の関係は微妙だった。
それが、2006年5月の出来事だった。