2003_横浜のお嬢様_part2.../21.ユーロから飛び級
登場人物(2005年時点)
幸田麗華 ワイン専門店コウテク社長 1976年(29歳)
幸田耕一 幸田商事 施設部長 1970年(35歳)
吉田 香織 ライバルワイン専門店 課長 1972年(33歳)
山口 ゆかり 日仏食品DM 課長 1978年(27歳)
木名瀬 愛 日仏食品DM 1980年(25歳)
野島 庄司 イタリアレストランオーナー 1953年(50歳)
結局、あの晩耕一は香織とシンデレラリバティの午前2時朝まで一緒にいて、帰宅した。
山の手通りの家の通用門から忍び込むように、家に入ると、こそこそと2階の寝室へ行くと鍵が掛かっていて入れない。
頭にきた麗華が、耕一を寝室から閉め出したようだ。
仕方がないので、自分の部屋のソファで寝た。
翌朝、気が付くと麗華が腕組みをして、耕一の頭の前に腕組みして睨んで見下ろし立っている。
麗華「昨日は大分遅かったわね、誰と一緒に居たの...」
耕一「ああ、野島オーナーだよ」
麗華「ふーん、どうだか。どうせ女でしょ。新しい女は誰?」
耕一「だから女じゃないよ」
麗華「どうせ、その内分かるから、良いわ...」
と捨て台詞を残して、食堂へ行った。
やがて麗奈と耕介がやってきて、朝の挨拶をして、遊んでとせがまれた。その日は、それで済んだが..,。
翌週、江戸がゆかりを9月に帰国させると麗華達に知らせた。
子会社の日仏食品ワインビジネスサポート部の課長のポストを用意するという、係長を飛び越えての昇進で、社内では驚きを以て受け止められた。
麗華「飛び級昇進は、社内で初めてじゃない。凄いね、それだけの実績と今後の期待があるのね...」
耕一「ユーロでワイナリーの開拓とスポット契約の大口を幾つも決めたからね」
江戸が日仏食品ビジネスサポート部課長のポストにゆかりを据えたのは、既にSNSやデジタルマーケティング(DM)が本格化し、それ抜きでシェア拡大はあり得なかった。
麗華・耕一のワイン専門店と両輪で進めて行かなければ、シェア拡大は望めないし、今が勝負時と見た
ゆかり「帰国しました。また、よろしくお願いします」
麗華「お帰り、社長に口添えしたからね」
耕一「DMのリーダーとして活躍すれば、直ぐに部長職もあり得ますね」
ゆかり「役職は兎も角、やらなければならないことをやるだけです。スタッフの補充もリスト作ったので、決済お願いします」
ゆかりのDM部は16名を目指した。現在8名なので、倍増である。
3週後、4名が採用された。その中に、木名瀬 愛が居た。理科大の情報工学科を出て、大手IT企業で働いていたが、休日も無く働く職場に嫌気が差して、転職してきた。
面接で、江戸達の質問に的確に明るく受け答えしていたのを、麗華も耕一も良く覚えている。
江戸「当社のどういう所に魅力を感じましたか...」
木名瀬愛「はい、育児支援制度です。これからの企業に一番必要な倫理性や社員への愛を感じました。御社なら、従業員も会社を大好きになり、頑張れると思います」と、言っていた。
正に幸田商事の意向を正しく理解している。
この娘なら、ゆかりの右腕になるだろうと。
ゆかりも同席していて、幾つか質問をしていた。
面接最後の愛の質問は「もし残業をしなければならない場合は、残業命令ですか…」
ゆかり「基本的に残業をしないで業務を完結するスケジュール管理をします。もし、残業をしなければならない場合は、管理者と担当者で協議して決めますが、普段から残業をしない業務を目指してください」
麗華も耕一もゆかりと同じ事を普段から部内で進めている。
残業して、効率は落ちるし、健康も低下する。
良いことは何も無い。
もし、残業が出るなら、その業務量はどこか不具合があるか、メンバーを増員する必要があるのだろう。
その補充で、DM部は加速した。
2005年10月の出来事だった。