昔話 その3 1960年代のこと...aaltoのちょほほ日記@2025.1.8
昔話も3回目になるので、年代順に書いていこうと思います。
最初の1960年代は自分の小中学生時代で、完全に昭和です。
最初の東京オリンピックは小学2年生でした。近くの国道を聖火リレーが通るので、学校の生徒全員で見に行ったり、卒業生の優勝した女子バレーの選手が金メダルを持って来校し、見せて貰った記憶があります。
その頃、大学や高校では学生運動がピークでした。TVでは、東大の安田講堂の攻防が中継されていましたが、向こうの世界でした。
中学は、水戸の男子中学へ電車通学しました。女子と接しない不毛な3年間でした。唯一、電車の中で見かける、茨城キリスト教学園や女子高校生が眩しく見えた時期です。
駅舎は木造平屋で、蒸気機関車も見たことがありますが、大体EF機関車が牽引する、木造客車で通学しました。段段これも無くなりました。
この1960年代は、今思うと日本の転換点だったと思います。
近くの霞ヶ浦という日本第2位の広さを持つ湖は、小学生の頃は透き通り湖底が見えていたし、ワカサギや白魚が取れ、食卓には必ず出てましたが、中学生になった頃から水質汚染が進み、アオコが広がり洗剤臭くなり、耐えられないモノになりました。当然、川魚は食べられたものではありません。
経済活動を優先し、自然破壊をしたわけです。
ここまでが1960年代です。
明日は1970年代について書きたいと思います。