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2006_横浜のお嬢様part3.../ 11. 二人の対立

登場人物(2007年時点)
幸田麗華  幸田商事 社会福祉LPF社長  1976年(31歳)
幸田耕一  KGC建設 社長       1970年(37歳)
幸田大介 幸田商事 会長          1940年(67歳)
江戸直樹 幸田商事 社長       1950年 (57歳)


2007年2月になり、幼稚園の竣工も間近になり、現場は活気づいた。

正式名称も みなとみらい学園みなと幼稚園 と決まった。

最終的には大介が命名した。現場管理の岸野建設部長や設計監理の高橋部長も2日と置かず現場を見ていた。

一方、麗華の県議選の準備も佳境に入り、選挙事務所も来週オープンする。LPFやKGCから応援のスタッフも入り、準備に掛かっており、てんてこ舞いである。

麗華と耕一だが、今回はオフィシャルな仕事の件で紛糾していた。

麗華は幼稚園設立から教育機関への進展を検討したいと言い、一方耕一は社会福祉事業への展開を推し進めたいと言う。

二人の間でビジネス的な衝突は初めてだったので、周囲の関係者は皆驚いたし、いずれの意見も妥当なので、正直困惑した。

役員会議へ掛ける前に、幸田家でも話し合いが持たれることになった。

2月の風の無い穏やかな土曜日に、幸田家の書斎に、大介・江戸社長・麗華・耕一の4人が集まった。

大介「社長、お休みの日にご足労願い申し訳ない。今日は二人の意見に忌憚のないご意見を頂きたい...」

江戸「あらましはお二人から伺っております...結論から先に、良いですか…」

麗華「お願いします...」

江戸「まずビジネス的に言うと、高齢化・少子化社会を基礎に判断すれば、需要が大きい社会福祉事業への本格参入が有望かと。一方社会教育的観点から見れば、将来の有望な人材育成を目指す教育機関への進出も望まれるところですね。だから幸田グループとして、どうするかという哲学の問題になるかと...」

耕一「でも、両方への参入はリスクが大きいと...」

麗華「元々輸入商事だった幸田グループが、社内の育児支援制度から展開して、幼稚園設立そして今後社会福祉か教育機関かは、急激な飛躍でもあるが、リスクもある...」

大介「まー、そういう事だな。グループの安定を取るか、将来を取るか...」
江戸「会長はどうお考えですか...」

大介「正直、私にもこれは究極の選択だと思う...暫く、時間を貰えないだろうか、そうだね3週後の土曜日に、再度集まって貰いその時に、話そう...良いかね...」

大介にそう言われたら、そうするしかない。GW明けに再開することとなった。

麗華「パパは歳を取ったわね、昔なら即断だったのに...」

耕一「この問題は幸田グループの行く末に関わる大切な判断だから、慎重なんだよ...」

麗華「だって子供達の将来を決める大切な教育よ。そこに力やお金を掛けなければ、私達の未来も無いわ...」

耕一「しかし、教育は儲からないよ。廃校や倒産する学校法人は聞くけど、社会福祉でそれは耳にしないよね...」

麗華「私達の議論は、平行線ね...こんなことで、貴方と意見が衝突するなんて、想像もしなかったわ...女性問題なら、考えたけど...」

耕一「それは、嫌味か...」

麗華「あら、ご免なさい、今までのフラストレーションがここに来て、出てきたみたい...」

耕一「分かったよ、暫くホテルで暮らすから...場所は後で連絡する...」と言うと、耕一は最近購入したヴァーティゴブルー色のアストンマーチン DB7 GTA V12気筒 5900ccをガレージから引きだしV12の独特のエンジン音を響かせて門を出て行った…。

そのクルマの後ろ姿を見て、麗華は後悔した。

まさか耕一が家を出て行くなんてことが、起こるとは想像だにしなかった。

耕一を甘く見ていた自分を恥じた。

しかも、自分の目の届かない世界へ解き放ったら、近寄ってくる甘い女達の餌食になるのは、火を見るよりも明らか...。

今すぐ追いかけて、許しを請うことも一瞬頭をかすめたが...それよりもプライドが強い自分を呪った...

大体、麗華の選挙のことなんか全然気にしていないあの態度も面白くなかったから、止めなかったのもあるが…。
 

これが、2007年2月の出来事だった。

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