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2006横浜のお嬢様part3.../ 4.社長と設計部長の関係
登場人物(2006年時点)
幸田麗華 幸田商事 社会福祉LPF社長 1976年(30歳)
幸田耕一 KGC建設 社長 1970年(36歳)
江戸かす美 幸田美術館 準備室長 1968年(38歳)
角田 美香 美術キュレーター 準備室長 1972年(34歳)
木名瀬 愛 日仏食品DM 麗華と愛人関係 1980年(25歳)
幸田大介 輸入商事 会長 1940年(63歳)
岸野友一 KGC建設 建設部長 1971年(25歳)
高橋 直美 KGC建設設計部長 耕一と愛人関係 1970年(36歳)
大田 直美 幼稚園 副園長 1970年(33歳)
8月の最後の土曜日の夜、久々の麗華との愛の交歓で、耕一は油断した。
延長戦も終わり、自分の寝室へ帰ろうとした、耕一の右手を麗華は掴んでいた。
麗華「もう、帰るの...まだ、終わって無いわよ...」
耕一「えっ、だってもう3回も往ったよね...」
麗華「それはそれ、まだ話が残っているわ...」
耕一は話と聞いて、嫌な予感がしたが、直ぐにそれが事実だと知った。
麗華「あの設計部長とは、何時からなの...」
耕一「つい最近だよ...出来心だし、もう二度としません。ごめんなさい…」
最近では、耕一の謝り方も、堂に入っており、先手で頭を下げてくる。そうなると、麗華も追求しにくくなる。
麗華「一応、確認だけど、他に浮気相手は居ないわよね...」
耕一「居ませんよ、そんな...二人もなんて...」
麗華「誰も二人なんて言って無いけど...あと一人居るのね...」
麗華の尋問の仕方も、レベルが上がっている。耕一の言葉尻にヒントがあると知っている。
耕一「だから、居ません。本当です...」
これは嘘である。麗華の指摘通り、もう一人いる。美術館準備室のキュレーター角田美香である。
最近、設計部長の方と距離が近いので、親密度が高くて、バレたが、実は、美香とも月一の頻度で、愛の交歓をしていた。
特に、麗華が美術館準備室を離れ、社会福祉社長になって、美術館準備室から離れたので、逢いやすく成っていた。
その晩は、白を切り通し、麗華の追求を何とか躱した。
麗華も自分で木名瀬愛と深い関係に成っているので、深追いはしなかった。
それに、耕一の浮気は麗華にとっては、何時ものことなので、大騒ぎすることでも無かった。夫の浮気性は、病気なら直だろうが、癖なので直らないと悟っている。
翌7月に、美術館準備室の室長にかす美が就き、角田美香はその下に入った。美術館はMM69タワーに入居することになっているが、郊外型の2号館の検討に、耕一が月一で打ち合わせに来ていた。
今日のメンバーは、麗華、耕一、かす美、角田美香の4名だが、敷地の選定が今日の議題だった。
候補に挙がっているのは3カ所。
1. 幸田家の別荘がある、山中湖
2. 軽井沢
3. 箱根・芦ノ湖
の3カ所に絞られた。
麗華は打ち合わせの様子を見ていて、ふと角田美香の態度が気になった。
耕一が発言すると、必ずと言って良いほど、彼の意見に賛同し肯定するのだ。
よく聞いていると、反対する意見は全く言わない。
全肯定なのだ。麗華からすれば、耕一の意見は、賛同できるものばかりでは無く、時にはおかしいと思うが、角田は賛成する。
結論として、山中湖になった。
幸田家の別荘の隣地が売りに出ていたので、それを購入する様、役員会議へ議題として出すことになった。
それにしても、耕一のもう一人の浮気相手は誰だろう。
社外なら分からないこともあるだろうが、多分仕事の関係者だと思われたので、気になっていた。
8月になり、会社も夏期休暇を取る者も多くなり、オフィス内は閑散としていた。
それはKGC建設も美術館準備室も同じだった。旧盆の前後10日間は、会社自体も休みに入った。
薄暗いオフィス内で唯一、KGC建設の社長室は、明かりが点いていた。
耕一と角田美香が二人で、何か話をしていた。
耕一「休みはどうするの...」
角田美香「鎌倉にペンションを経営している友達がいるので、そのペンションに遊びに行こうかと...」
耕一「自分も行こうかな...」
角田美香「ご家族で過ごされた方が良いのでは...」
耕一「そうか、じゃー連休明けに...」
こう言う時は、女の方が慎重である。
もし、連休中に耕一が軽はずみな行動を取れば、麗華の知るところとなり、発覚したであろう。
連休明け、麗華は福祉介護施設事業を検討し、企画書を役員会議へ提出した。
今後の高齢化社会に対応すべく、障害者施設、介護、高齢者施設等への進出を目論んだ。
勿論、政治家としても社会福祉や教育支援、女性への支援策を政策の中心とした。
そして、来年2007年4月に行われる県議選挙へ出馬することを、周囲に相談していた。
それが、2006年8月の出来事だった。