2004 双子姉妹の恋.../11.不動産会社を設立
登場人物
友部 彩 双子の姉 理科大 薬学部4年 1982年
友部 舞 双子の妹 ハウスビルダー 設計担当 1982年
友部 友梨 舞・彩の母
友部 幸太 舞・彩の父
友部 紀 彩・舞の弟 1984年
山下 敦 ハウスビルダー 設計担当 1976年
高山 耕一 製薬会社 新薬開発研究 1972年
山辺 早奈江 不動産会社 営業部長 1980年
3月になり、新居のパーティーが開かれた。両親や、施工した野村社長、職場の友人たちが招かれた。
何せ、広いので、一度に40人を呼んだ。
一番困ったのは、玄関ホールに下足が置ききれなくなって、急遽仮設の棚を設置した。
床は無垢板なので、素足でも気持ちが良い。
それも客達から好評だったし、暖炉の周りに居着く客も多く、そこも渋滞した。
中庭や前庭にウッドデッキがあり、そこもバーベキューやテーブルが出され、野外パーティーの雰囲気も好評だった。
4人が挨拶したが、盛り上がった客は、一番初めに挨拶した耕一の話を聞いたら、あとはザワついた。
それでも、彼らの自邸を気に入った客の何人かは、敦や舞に設計してほしいと言ってきた。
それもあり、敦と舞は、ハウスビルダーから独立し、設計事務所を設立することを考え始めた。
そこで問題になったのは、やはり土地、敷地の手当てだった。
既に建設用地を持っている施主は良かったが、そうで無い人も多かったからだ。
舞「敷地が用意できないのが、ネックになって建築できないのも問題よね。そこを解決しないと」
敦「定期借地権。ってあるよね」
舞「ある期間だけ、借地して建築するが、その賃料を地主へ支払う制度でしょ」
敦「それをお義母さんの土地で出来ないかな。まだ耕作する予定の無い土地があると聞いたけど」という話があり、友梨に相談した。
それなら、開発行為として借地可能な分譲地をしたらという話になった。
県条例に「開発行為の技術的基準」があり、それに準拠するがそれ以上のレベルを目指した。道路、公園、緑地公園、交通施設用地等と上下水道、雨水処理等の開発工事が必要だった。
宅地面積は、広めに取りたいので、300坪1,000平米を基本とした。
それに菜園・耕作地・緑地として同じく1000平米の非宅地を確保した。
ある意味普通の宅地の4件分で1棟を建てるという、贅沢な住環境である。
10区画を販売することにした。
この事業者として、設計事務所の他に不動産会社を設立した。
会社名は友部不動産株式会社とし、代表取締役には友梨が就き、取締役に舞、敦が就いた。
営業部に山辺早奈江を採用した。
前職でも不動産会社に勤務しており、社交的で明るい性格で有能との評判だったが、実際勤務しても契約を3件纏めるなど、優秀である。
モデルハウスとして、彩・舞の自邸が活用された。
当初耕一が渋ったが、彩が積極的に関わりたいと言うので、同意した。
舞「お姉ちゃん、来週の日曜日、新規のお客が見学したいので、お願いします」
彩「はい、良いわよ。どうなの契約は...」
早奈江「順調で、既に4件契約してまして、あと3件契約見込みですね」
舞「開発行為も来週許可が下りて、来月には工事が始まる予定」
敦「業者は地元の小亀の予定です」
彩「楽しみね、緑が多い宅地なんて、アメリカならシカゴ郊外の住宅地みたいね。50年後に欅やポプラが大木に成って、素晴らしい街になるね」
早奈江「今までの日本の住宅地の環境が悪すぎなんですよ、田園調布や神戸の芦屋・西宮が高級住宅地で有名ですが、一般住宅地で緑が多いとか、住環境が良い宅地開発が売りになるようにしたいですね」
耕一「そういうディベロッパーに成るわけだね」
早奈江「元々つくば研究学園は、そういう優良な住宅地を目指していたので、そういう需要は一定数あると思います」
舞「そうね、宅地を買うと言うよりも、そういう良好な住環境に生涯住む権利を買うみたいな」
敦「不動産会社も軌道に乗せようね。僕たちの理想に実現に」
それが、2006年3月の出来事だった。