土浦亀城氏の潔さ...
先日、藤森照信氏の「昭和住宅史」の土浦亀城氏の章を読んでいて、それまでの疑問がいくつか解けた。疑問とは下記の5点だった。
ライト様式からモダニズム建築へ移行した経緯
自邸の中二階はなんのスペース
サニタリーの衛生陶器とモダニズム
乾式工法はどこから
木造でフラット屋根!?
で答えは
ライトのタリアセンから帰国して、レーモンド達と日本で設計するなかで、もう一人のチェコ人フォイエルシュタイン(FEUERSTEIN)がいて、彼の影響で、ライト様式からモダニズムへ移行した。
どうも土浦氏はモダンボーイだった。あの住宅でダンスパーティーを開いていた。あの中二階に蓄音機!を置いて、音楽を掛けていた。時にはミュージシャンも来て演奏していた。(右下の手前が踊り場)
3.写真を見ると、白で統一されたバス・洗面・トイレのあるサニタリーは当時としても最先端で、トップライトからの光で明るく、まるでコルビュジエのサボア邸のサニタリーをイメージさせる。<まっさら><清楚><透明><光>だと藤森氏は書く。
4.左官工事の様に土壁や漆喰は湿式工法で、それらを使わない、石綿スレート板で下地や仕上げる構法を乾式工法という。土浦邸は乾式工法なのである。当時としては珍しく、これもヨーロッパのモダニズムと共通している。だが外壁材として使うと防水の納まりが難しい、シーリング材が出来るのははるか30年後である。後に下見張りに変更された。
5.雨の多い日本で、陸屋根・木造は雨漏りのリスクが高く、一般的でない。RC造ならアルファルト防水が出来るが、木造でそれは出来ない。にもかかわらずモダニズム建築へ向かう土浦亀城邸は、木造の陸屋根。
こう書いていると、自分が何故、土浦亀城氏の自邸に拘るのかが分かった。つまり自分が出来なかったことなのである。
どちらかといえば自分がライト様式から抜け出せなかったのに、今から一世紀前に実験住宅とはいえ、木造でモダニズム建築をやった。氏の潔さに憧れるのである。
一度でいいから、白い箱を設計したかった…ちょほほ。