浜口ミホ氏(日本初の女性建築家)とキッチン
前川國男邸の章で、前川國男邸の設計を最初に担当した浜口ミホ氏の事が気になり、netで調べたり、藤森氏の著作を読む。彼女は東京女子高等師範学校(後のお茶の水女子大学)卒業後、東京帝国大学の聴講生として建築を学び、前川事務所に勤務、3年後に建築評論家の浜口氏と結婚し、その後建築事務所を開業し、戦後の日本住宅公団でステンレスの流し台の開発、DKを普及させたりと、戦後の住宅の台所の変革に功績した。また建築士法で初の女性建築士にもなり、その嚆矢となる。
女性建築家で有名な山田・林氏よりも早い時期に活躍したことになる。
作品としては、住宅が多いが、先駆者としての苦労も多々有ったと思われる。特に住宅公団型ステンレス流しの設計(1955年)は特筆される。これにより、DK(ダイニング・キッチン)の普及が進み、住環境の改善に多大な功績があった。今でこそ当たり前のように語られるDKという用語も、当時(戦後1950~60年代)には、新鮮な用語として受け止められていた。
最近話題のフランク・ロイド・ライトの住宅のキッチンは、住宅の中でどこにあるのかというと、単独で住宅の北側の1室である。メイドさんが当たり前の時代、それは日の目を見ない存在だった。
下画像の堀口捨巳氏の小出邸の台所を見るとよく分かる。住環境と言えない台所。そんな時代だった。
日本の住宅でも同様で、先日の前川國男邸でもキッチンは独立し、隣接するLDとは、独立し別室に位置する。
自分が住宅設計に専従していた1989~1996年ごろの話では、LDKタイプで設計したのは半数であり、残りがL+DKタイプだった。流石にK単独でもDに隣接していたし、南か東に位置していた。住宅の施主との打ち合わせは、設計スタートの肝であり、特に9割は奥さんの要望だった。台所の形式や位置、洗濯機の場所、ユーティリティという提案をすると、皆さん喜んでいた時代でした。だからLK(リビング・キッチン)は、1軒しか記憶に無い。そんな時代だった。
話を浜口ミホ氏に戻すが、そんな時代に、女性・主婦の働く場であるキッチンをDKとして、北側から東や南へ移動させた功績は大きい。
彼女をモデルにしたドラマも有った。