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[恋愛小説] 1976年の早春ノート 第3部全話(1~10話)

文字数 約14,000文字、読書時間は約28分となります。

初恋の女性を妻にしたのに、何度も浮気をする、腰の軽い夫に愛想も尽かさず、献身的に支える妻を描く恋愛小説の3部の最終編になります。

第3部 あらすじ
結婚したふたりに、様々な試練や障害が起こり、巻き込まれていく。その中で、抗いながらも家族を守り、出産し、子育て、家を継いでいくことで人生を歩んでいく。

第3部 登場人物
福田優    :ゼネコンの設備設計部門 設計監理担当
福田泉   :保育園に保母さん、優の妻
坂井珠恵  :泉の母
坂井耕一  :泉の亡父
宮本靖   :理系大学化学科の学生、優の高校の友人
清水耕一  :国立T大学第一学群、優の高校の友人
有村智、  :工業系大学建築学科の1年、優の大学友人
山本小百合 :泉の友人
福田靖   :優の父
福田千里  :優の母
福田玲子  :優の妹 、土浦の女子高生
吉田由佳  :ゼネコン札幌支店の設計課担当事務
降旗弘   :建築家、古民家再生を専門とする

1.新しい当主


父・靖が亡くなり、1年過ぎ、喪中も明けた、1979年9月。

優の芥子色のランドクルーザー40系が岡田の福田家の長屋門の横の道から敷地に入ってくる。

助手席には泉が座っている。

ランクルは、前庭の手前で停まる。

母屋を実測している作業服を着た数人に挨拶して、母屋に入る優と泉。

中でも、カメラで撮影している降旗弘。

優が降旗に挨拶する。

優「降旗さん、どうですか?北側の屋根から時々雨漏りがあるようです」

降旗「福田さん、棟木に御札がありました。やはり、江戸後期らしいですね。この辺でも、かなり古い方ですね」
降旗氏は古民家再生で知られた建築家である。
優の事務所の所長から紹介された。
古民家再生では、五本の指に入るらしい。

喪が明けたので、母屋の改装工事計画を降旗の事務所に依頼した。

先月、長野県松本市にある、彼の事務所へ打ち合わせに行ってきた。

改装工事が必要なのは、母屋、蔵二棟、長屋門で。いずれも痛みが激しい。
今回は母屋の改装をすることになった。
その工事中、千里と玲子は蔵の2階に仮住まいをし、仮設の水回りも隣に造ることになる。
大がかりである。

打ち合わせの中で、ポイントを3点確認した。

ひとつは、古民家再生だが、室内環境ここは優の専門分野だが、空調機器に頼らない、通風や日射、蓄熱と気密・断熱環境を整えること。
元々大広間は屋根裏の空間も含め容積が大きく、それを空調で整えるのは、ランニングコスト上も問題が大きい。

今までの分厚い茅葺きが断熱層になり、夏は快適、冬は隙間風と断熱性能の低い建具で寒かった。

これから老年期に成る母のことを思えば、それは最優先項目だった。

ふたつは、母と泉がそれぞれのゾーンにキッチン・家事スペースを持つこと。二世帯住居の肝である。きちんと分離独立しないと、家庭内紛争もありえる。
キッチンだけで無く、洗濯や家事全般のスペースもそれに付随して設けないと、二世帯住居は成立しないからだ。

三点目は、大空間はそのまま、梁・柱は見えるインテリアにする。
これも古民家の肝で、これがあるから古民家といえる。
反面、一つ目の住環境、特に冬の底冷え対策が必須。

この三点をお願いした。

氏に依頼すれば、希望通りに出来ると思っている。
が、設備や住環境は優の専門なので、その点積極的に関わりたいと思っている。
そして、幸いなことに、改装費用は、ゴルフ場に山を売却して、代替え地を購入した差額が、資金として十分あることだった。それは千里が管理していたが。
千里、泉、玲子、優の4人で茶の間で、改装の話をしている。

優「いずれ僕たちもここに戻ってくるから、その時皆がスムーズに暮らせる家にしたいと思うけど」

千里「泉さんと仲良く暮らせる家にしてね」

優「大広間を真ん中にして、東と西にキッチンを配置するから」

千里「東が良いな」

泉「西で良いわ」

優「降旗氏のプランを見てから決めよう」

なかなか嫁姑の関係は難しい、すでに小競り合いが始まっている…。

ご多分に漏れず、優も後々、これで苦悩することになる。
泉は、泉で少し後悔している。

まだ、同居は早いのではないか、もう少ししたほうが、良いのでは無いか。

下手に同居して、不仲になっても取り返しが付かない事態は避けたいと思い出した。

優に愚痴ったのは当然で、
「大体あんなに大きな家の管理を全部任されても、困る」と思う。

「それこそ、お手伝いさんの一人も雇って貰いたい位だ」

「あんな、古い古民家が本当に住めるようになるのだろうか。ゆーちゃん、は専門家の建築家に頼んだから、大丈夫だと言うけれど、心配」

「問題はあの場所よ。駅から車で30分は掛かるし、スーパーでさえ、車で20はある。はぁー」

とまー、言えばいくらでも出てくる、心配ならぬ愚痴だろうか。
この泉の心配が正しいことは、後日優も理解することになる。
後に霞ヶ浦大橋が完成し、対岸と結ばれ、つくば、土浦、鹿島のルートが出来、対岸にレジャー施設やスーパーや大型店舗が出来るのは、8年後の1987年頃からである。
これが1979年9月の出来事だった。


2.ゼネコンと現地...

優は西新宿のセンタービル34階にある、大手ゼネコンの設備設計部門にいた。

4月に転職した。
4年間夜間大学に通いながら、働いた事務所には、恩義もあったが、優が色々な仕事や現場を経験したいと所長に言うと、このゼネコンに口を利いてくれた。

ゼネコンも大学で4年間専門知識を身につけて、更に実務で実績を積み重ね、中規模現場もこなせる設備設計技術者の若手は、欲しかったからだ。

入社後、都内の幾つかの現場を担当したが、1年後北海道札幌市の現場へ1ヶ月出張することになった。

地方都市でも、20階を越す高層ビルが建設され始めてきた時期だった。その設備工事に、設計監理が必要になってきたせいだ。

高層ビルの設備工事は、中低層の設備とはまた、違った仕様や工法が取られた。だから、優には、地方の現場の設計監理の仕事が期待された。

必然的に全国各地への出張が多い。一月の三分の一は、地方の現場にいくようになった。

だから、取手の家から、羽田空港や成田空港、東京駅へ始発で行くことが多い。

どうも、会社では優を北方面の担当にしているようで、東北、北海道地区の現場が多く、反対に中部以西の現場は殆ど無い。

必然的に、仙台や札幌の街の事に、詳しくなってきたし、定宿も決まり、よく行く店も出来た。

結婚して2年しか経っていないから、泉に対する愛情は強く、巷で言われる出張先での現地妻とか、自分にはあり得ないと思っていた。

ただ、仙台支店や札幌支店のでも顔なじみに成ると、他人行儀な付き合いというより、より親密な関係が出来てくることもあった。

優、24歳。

まだまだ、若く、東京からくる垢抜けした若手ということもあり、支店の女子社員の見る目も、また違っていたかもしれない。

札幌支店の設計課担当事務の吉田由佳は、6月に福田優を見てから、何か興味を感じるものがあった。

福田は若くして、ばりばり仕事もしているが、彼の妻は凄い美人だという噂話を回りから聞いていた。

何回か、福田とは軽い世間話や、札幌の旨い店を教えてくれと言われ、すすき野の店を教えたことがある。

福田が10月に来道したとき、設計課での飲み会で福田の隣に座った。それが偶然か故意なのかは、分からないが。

由佳は優とは会社以外で話すのは初めてだが、たわいも無い話で盛り上がった。

由佳「福田さんって、水戸なの?」

優「ああ、中高が水戸。」

由佳「へー、黄門さんの..。」

優「そう、水戸黄門、角さん助さんの。水戸市民は、納豆がただで貰えるんだよ」

由佳「へー、凄い」

優「1年に一家に1箱配られるんです」

由佳「ホントですか。良いですね」

優「はは、冗談」

由佳「えー、いじわる」

優「素直ですね」

優との会話で、久しぶりに笑った。話し上手な人だなと思った。

2次会も、カラオケも普段は行かないのに、優が行くというので、珍しく由佳も皆に付いていった。

由佳がそんなに飲むことは滅多にないが、先月3年付き合っていたボーイフレンドと別れて、すこし寂しさを募らせていたからか、それを紛らわせたいという気持ちがあったのかもしれない。

気が付いたら、福田とホテルのエレベーターの中でキスをしていた。
由佳は多分自然な感じで、そうなったのだと、思っているが。

二人ベットの中で、並んで寝ている。

由佳はタバコを吹かしている。

由佳「優さんの奥さんって、凄い美人だって聞いたことあるけど、そうなの?」

優「うん、まあ、そうかな。」

由佳「へー、そうなんだ。どんな人。」

優「怖いかな…。」

由佳「じゃー、こんなこと知ったら大変ね。」

優「…間違いなく殺されるね。」

由佳「あははは。」

そう思ったら、二度目は不能になった…。

それにしても、優は泉と結婚して初めて浮気をしてしまった。

今まであれだけ浮気はしない、させないとふたりが言っていたのに。

多分泉の元から離れて、ふと魔がさしたのだろうが、それにしても、こんな事が泉にしれたらと思うと…やはり、泉は怖い存在なのである。

これが、1980年10月の出来事だった。


3.初夏の北海道 その1

今日は泉と取手のトヨペットのディーラーに来ている。

一昨年にオーダーした60系ランドクルーザーの納車がある。

靖のクラウンも今日が見納めだが、形見として3年程乗ったが、乗り心地が柔らかいだけで、結局自分が好きなクルマには、成らなかった。

そう言う意味で、ランクル60系には、期待していた。

発表された段階でのオーダーだったので、試乗もしていないでから、少し不安もあった。

実は優には、密かな企みがあった。このクルマで泉と北海道へハネムーンに行こうとしていた。

会社には、6月中3週間の休暇を申請していた。

総務課はそんな長い休暇を最初渋っていたが、それがハネムーンだと知って、夏期休暇の前取りと兼ねるという、条件で承諾した。

6月上旬、泉を助手席に乗せ、大洗港からカーフェリー サンフラワー号で出発した。

台風接近があると荒れる太平洋航路だが、この時期は波はまだ穏やかで、翌日は、リアス式三陸海岸も見えた。

ふたりはデッキから霧に霞んだ三陸の断崖を見つめていた。

今回のハネムーン・初夏の北海道1周は、苫小牧を起点・終点として北海道を反時計回りに周遊しようというコースで、期間は3週間を予定している。

だから、何処かで道草が募り、期間内に完走出来ない場合は、後半の稚内~札幌~苫小牧を端折る場合もあるという、事でスタートした。

基本、ハネムーンなので、最低でもビジネスホテルかユースホステル泊まりで車中泊とかは、避けたいと考えた。

又、北海道に住む友達にも会いたいので、それもコース内になるべく入れた。

全体を三分の一に分割し、今回は、苫小牧~支笏湖~倶知安~余市町~小樽~札幌~千歳~日高町~えりも町~広尾町のコースを記録する。

翌午後苫小牧港に上陸した。上陸して違和感がある。

静止している大地なのに、揺れている。今まで揺れていた船に乗っていたから、まだ三半規管が揺れていると錯覚しているのだろう。

揺れている感覚が残っている。

北上し支笏湖へ向かった。千歳市を出ると、鬱蒼とした森林地帯へ入り、市街地の傍に、豊かな自然があることに驚いた。

支笏湖に着く。湖の透明度の高さに驚く。

支笏湖遊覧船乗り場の傍のホテルに宿泊。翌日、倶知安~余市町~小樽へ ここで一泊、運河を楽しむ。先を急がない。

札幌市、北3条通りのANAホテルに宿泊。

大学の友人、汐川、竹山に会う。四人ですすき野のバーで飲んだ。

ふたりとも学生時代と変わらないが、子供が生まれつき障害を持っているのは、自分が酔っている時に、子作りをした所為だと、話されたが、何も言えない。

そして二人からは、今時分北海道へハネムーンで来る奴も珍しいと笑われたが、泉と二人で顔を見合わせて笑っていた。

確かに、ハワイだパリだという時代だが、そんな浮き足立つ旅行より、地に足をつけた旅が良いと言うと、おまえらは変わっていると言われた。確かに、そうかもしれない。

締めは汐川に行きつけのラーメン屋へ連れて行かれるが、流石にラーメンは美味しくて、二人感激する。

札幌支店には近寄らなかった。由佳が居るので、泉と鉢合わせなんてとんでもない。君子危うきに近寄らず…少し違うか..。

翌日、襟裳岬を目指し、千歳~日高町~えりも町~広尾町
日高町では牧場に寄り、サラブレッド馬の美しさに感激。

吉田拓郎の唄のあの何も無い襟裳岬行く。夕日を見て感激する。

それが、1983年6月の出来事だった。


4.初夏の北海道 その2

道東の予定したルートは、帯広町~厚岸~落石~根室~中標津町~羅臼~斜里~網走~紋別~枝幸町~稚内だった。

やはり北海道は広い、地図を見ていても、本州とスケールが違いすぎて、行けども行けども、たどり着けない。

襟裳岬では、オートキャンプに泊まる。
綺麗な芝生で、テント生活も悪くない。
そう考えれば、これも北海道らしくて、良いねと泉は言う。

東海岸線から、北上し帯広へ。

農耕馬の競馬を観た。
1tの重しを荷台に載せ、200mを何頭もの農耕馬が坂を上り、喘ぎながら進んで行く。
関東のあのサラブレッドのレースではない。
だが、何故か感動的だった。
十勝に住んでいたら、毎回来ると思う。それ位感動的だった。

夜、名物のジンギスカン焼きを食べるが、やはりラムとは言え、匂いが…
丸太小屋のユースホステルに泊まる。
一般的に宿泊客は、大学生が多いが、この時期まだ少なく。
食堂で彼らと雑談する。若い。皆よく笑う。こんな宿も良い。夜も静か。

泉の友人が厚岸で、牡蠣の養殖業を営んでいるので、寄って食べさせて貰うが、これが絶品で、肉厚が凄い。
海のミルクと言われている理由が分かった。
その他の貝類も新鮮だからか、バーベキューで食べたが、皆美味しかった。友人に別れを告げ、先へ行く。

その後、落石から根室、中標津そして羅臼へ回る。

この時期のせいか、海から冷たく湿った空気が流れてきて、霧が多い。

野付半島へ寄る。
霧が深く、ゆっくりと走る。まるで、スープの中を進んでいるような。
寒く、風も強く。
余り長い時間、外に居るのは無理。
天気が良い日に来たい。

羅臼へ向かう途中、給油でGSへ寄るが、ストーブを付けていた。
外気温は7度だった。
道理で寒いわけだ。
泉はフィシャーマンズ・セーターまで出してきた。

羅臼では、海岸線沿いの宿に泊まる。
部屋はオホーツク海に面しており、夜はイカ釣り船の漁火が水平線に並んでいた。
朝2時過ぎにふと目が覚めて、窓の先に見える漁り火を見ていた。

夜明けが近づくと、泉も目が覚めて、二人で夜明けのドラマをズーと見ていた。
話もせずに。
まだ、付き合い始めた頃に、見た阿字ヶ浦の夜明けを思い出した。

知床半島の先へ行くと、通行止めのバリケードがあった。
それ以上、行けないわけだが、何か哀愁を感じる場所だった。

海岸におり、海縁の温泉に入ろうとするが、満ち潮で海水が入り込んでいて、寒くて入れなかった。

その代わりに、峠の途中にある熊ノ湯という天然温泉に入ろうとするが、今度は熱くて入れない。
水を入れると地元の客に怒られそうなので、彼らが引き上げてから、水を入れた。
泉は水着を着ていて、少しがっかりだ…。

峠を越えて、羅臼湖の二の湖をトレッキングする。
最北端の山は、高度が低くても、2000m級の雰囲気があり、不思議だ。

峠越えして、北の海岸へ出る。
ウトロ港から観光船に乗り、知床半島との先端まで、行く。
海は冷たく、風も痛いくらいだ。
泉の肩を抱いて、海を見ていた。

下船後、海岸線を南下する。
オシンコシンの滝を見る。
山の水が滝のまま海へ流れる。ダイナミックだ。

サロマ湖の東岸にあるホテルに泊まる。
夕方、湖水に沈む太陽を見て不思議な感覚になる。

定番の網走刑務所は、翌日見学した。
優は、独房に入って喜んでいた。

泉「そこに、ずーと居ても良いのよ。」
優「ええ、そんな~。」
と、冷たい泉…。何かを感じているのか、それとも知っているのか。こうして、時々思わせぶりな事を言う。

国道239を北上する。
紋別を過ぎると、人家もなく、荒涼とした道に成る。
日本離れしている風景の中をランクルが進んで行く、がそれが似合う道だった。
右手のオホーツク海を見ながら、どこまでも続く道…。

最北端、宗谷岬についた。
円錐形のモニュメントで二人記念撮影をとる。
この先は、ソビエト(今のロシア)だと思うと特別な感じがした。

この3ヶ月後に、大韓航空機撃墜事件が起き、269名が死亡した。

それが、1983年6月の出来事だった。


5.再生 湖畔の家

北海道1週のハネムーン旅も後半になり、旭岳に登山し、トムラウシ山のお花畑を見たり、富良野へ行きロケ地周りをした。

優は「北の国から」ファンで、丸太小屋へ行く。
ロケをしていたのを見て感激してた。

泉は余り興味が無く、ファーム富田のラベンダー畑が良かったらしい。

ここでは、プリンスホテルに泊まった。当然、やることがあるので、休んだような、休んでいないような…。

取手には、7月上旬に戻った。
8月に産婦人科で妊娠と確認され、翌年3月に実家で無事女子を出産、「千(せん)」と命名された。

1985年4月に岡田の母屋が完成した。残りの蔵2棟、長屋門は引き続き工事をしている。
長かった仮住まい生活から解放され、母千里と妹玲子は、本当に嬉しそうだった。

改造された母屋は、メインのひろしき、くちのまが板の間になり、普段使いの居間、食堂、キッチンへと変わった。
その東に優、泉、千の寝室群が、西側に土間の一部をタイル張りとして残し、千里と玲子の生活空間と個室を配置している。

食堂、キッチン、浴室、サニタリーは東西それぞれにある。
今までのマンション生活からは、考えられない、空間の豊かさがあった。

5月の連休に、引っ越しがあり、優達も無事岡田へ越してきた。

一番喜んだのは、千だ。
家の周囲は何処までも遊び場で、毎日、日が暮れるまで外で、泥だらけになり遊んだ。

が、問題は優の通勤で、岡田から新宿までは、最寄り駅まで車、乗り換えて常磐線で3時間掛かる。1ヶ月、通勤したが、かなり厳しい。

あとは、単身赴任で週末帰るかだが、泉はそれには無条件では賛成しなかった。とは言え、優の負担も考えるとしぶしぶ同意した。

11月に単身用の賃貸マンションを松戸に借りた。
だが単身生活は、無味乾燥で、優の気持ちを徐々に萎えさせた。

そんな優に同情なのか関心を示す女性が、身近にいた。

彼女は、吉村早奈江という、優の設備設計課のCAD担当だった。

給湯室で早奈江と同僚の幸田亜希子の二人が話している。

早奈江「亜希ちゃん、福田係長、なんか単身用の賃貸マンションから通い始めたったて聞いた。」

亜希子「駄目よ、手出しちゃ。」

早奈江「そんなことしないわよ。」

亜希子「係長の奥さん、凄い美人だって、引っ越しの手伝いに行った、昭夫くんが言ってた。」

早奈江「へー、そうなんだ。」

亜希子「なんか学生結婚らしいけど、今でもラブラブらしいって。」

早奈江「ふーん。」

優と泉は結婚して、7年になる。
待望の長女の千は2歳で、可愛い盛りである。週末に岡田の家に帰るのが、楽しみで、その為に仕事に精を出しているような気がする。

反面、月曜から木曜の夜は半分憂鬱だ。そんな時は、新宿三丁目の行きつけのバー 秋月が息抜きになっている。

部下の吉村早奈江と幸田亜希子にせがまれて、秋月に連れていったのは、3月の寒さが緩んできた夜だった。

カウンター席に、優を挟んで早奈江と亜希子がいる。

亜希子「いいな、ここ。落ち着いて大人の雰囲気が」

優「ここのインテリアデザインは、降旗という建築家なんだけど、自分の家も彼なんだよ。」

早奈江「へー、係長の家もこんな感じ何の?」

優「うーん、もうちょっと大人しいかな。」

亜希子「一度、係長の家、見たいね。」

早奈江「そうよ、係長。今度見に行っていいですか?」

優「いいけど、田舎だよ。」

亜希子「楽しみー、GWにいいですか?」

早奈江「相澤君も誘って、三人でいいですか?」

優「分かった、神様に聞いてみる。」

早奈江「神様?」

優「かみさんのことだよ。」

早奈江、亜希子「あはは…。」

週末、部下が遊びに来ると泉に言うと。

泉「何しに来るの?」

優「古民家見たいんだって。再生したって、言ったら興味津々でね。」

泉「じゃー、掃除しないと。」

優「手伝うよ。ウッドデッキでバーベキューしよう。」

泉「じゃー、外の掃除お願いね。」

優「…はい。…」

相変わらず、尻に惹かれている優。

それが、1986年3月の出来事だった。

6.疑惑

ゴールデンウィークの後半初日に、優の部下の三人が岡田の家に遊びに来た。

相澤昭夫「係長の家、凄いですね。びっくりしました」

亜希子「ほんと、なんか民家って、いいですね」

優「広いと大変だよ。管理が。かみさんが苦労している」

泉「いらっしゃい。いつもゆーちゃん、がお世話になっています」

優「おいおい、ゆーちゃん、は止めろよ」

早奈江「ゆーちゃん、なんだ。可愛い」

昭夫「今日は、押しかけてすいません」

泉「いいのよ、とりあえず、中見る?」

亜希子「はいー、楽しみにしてました」

三人、小屋組の梁の架構や真壁の柱や漆喰壁のモダニズムとも言えるダイニング・キッチンを見て、関心しきり。

亜希子「古いけど、新しいインテリアデザイですね」

泉「そう言って貰えると嬉しいわ」

優「裏に岸があるから、見る」

早奈江「霞ヶ浦ですか?」

優「そう、湖面を吹き抜ける風が気持ちいいよ」

亜希子「行きます、行きます」

泉「じゃー、その間に、バーベキューの準備しておくね」

昭夫「僕、手伝います」

泉「いいの、悪いわね」

三人、裏に出て、岸へ歩いて行く。

亜希子「奥さん、綺麗ですね」

早奈江「ホント、何処で見つけたんですか?」

優「高三の学園祭で、逆ナンパされてね」

亜希子と早奈江、顔を見合わせて笑う。

亜希子「逆ナンパですか。奥さんやりますね」

優「そうだろう。君たちも、いい男いたら、逆ナンした方がいいよ」

早奈江「そうですよね。奥さん、玉の輿ですものね」

亜希子「奥さん、係長がこんな家に住んでいるなんて、知らないで逆ナンしたんですよね」

優「ああ、知らなかった」

早奈江「凄いな、奥さんの直感」

亜希子「ああ、あたしも玉の輿がいいなー」

GWも終わり、また通常業務に戻る毎日。

34階のオフィスでも、連休明けの忙しい日々が始まっている。

来週は、優は札幌へ出張なので、打合せ用の図面と書類を纏めている。

優「吉村さん、どう纏まりそう?」

早奈江「はい、係長。任せてください」

優「厳しいなら、言ってよ」

早奈江「はい」

結局、部下の三人が纏め終わったのは、出張前日の夜11時50分だった。

昭夫「すいません、係長。遅くなって」

優「いや、ありがとう」

早奈江「私が、もう少し早ければ」

優「そんなことはない、十分頑張ってくれてる。ありがとう」

出張から帰って来た優は、三人を誘ってバー秋月に来た。

優「この前は、ご苦労様でした。お陰で、無事打合せも済んで、予定通り現場も進みそうです。皆のお陰です」

早奈江「すいません、私が足を引っ張って」

優「そんなことは、無い。みんなよくやってくれてる」

昭夫「さっ、乾杯しましょ」

四人「かんぱーい。」

酔いも迷って、亜希子と昭夫は、二人で先に帰るといい、早奈江と優が二人になる。

早奈江「係長、わたし今日は楽しいんです」

優「早奈江ちゃん、酔ってますね」

早奈江「係長、全然飲んでいないでしょ…。ヒック」

優「大丈夫、飲んでるから」

早奈江「係長、私相談があるんです」

優「なに?」

早奈江「わたし、学生時代からズーと付き合っている彼氏がして…」

優「…うん…」

早奈江「本当にわたし、彼と一緒になっていいのか、よく分からなくて…」

優「…うん…」

早奈江「…ほら、あっちの相性もあるでしょ…」

優「まー、あるだろうね…」

優は、話が段段、怪しい方向へ行こうとしているのを感じてきた…。

早奈江「PePeのバーに行きますよ。飲み足りない…」

やれやれ、長い夜になりそうだ…。

結局、優は松戸に帰らず、早奈江と一晩を共にした。

その時はまだ、これが後に大きな問題となるとは思っていなかった。

これが、1986年6月の出来事だった。


7.愛の奴隷

もう直ぐ梅雨明けの雰囲気の空が、東の空に広がっている。

海辺の海面の色も明るくなってきた気がするが、優の気持ちは、まだ梅雨模様だ。

昨晩、岡田の家に戻ったら、泉と千が居ない。母に聞くと、知らないと言う。

洗面所の化粧鏡は、大判で幅150cmx縦120cmあるが、そこを見たら驚いた。
ルージュの大書で、こう書かれていた。

勝田の家に帰ります 
迎えにこないで

あちゃー。

やはり、ばれていた。

先月、部下の早奈江が相談があるというので、新宿PePeの25階バーで話を聞いていた。
が、そのうち、酔い潰れた早奈江を急遽取った部屋のベットに寝かした。

暫くすると早奈江は急に口を押させてユニットバスへ駆け込んだ。

吐き終えたら寝入ったので、優は一安心してソファーで寝ていた。

真夜中気が付くと、ガウンを羽織って素足の早奈江が脇に立っていた。

早奈江「抱いて…。」

不味いなと思いつつ、倒れるように抱きついてきた、早奈江を抱いてしまった。

それから、2度早奈江と秋月で会い、愛し合った。

多分、それは泉に全部、ばれて居たんだろう。

とりあえず、勝田のおかあさんに電話した。

優「あっ、おかあさんですか。泉たち居ますか?」

珠恵「あっ、優さん。泉居るけど、怒っているわよ。電話も出ないからって。後で電話するように、話しておく。」

優「あっ、はい。ありがとうございます。」

あのおかあさんの口調では、全部知っているな…。

相当、不味い。

夕食は、母のダイニング・キッチンで食べた。

三人、口を利かないで黙々と食べる。

夕食後、食器を洗っている、千里と玲子。

優は、ダイニングで新聞を読んでいる。

千里「ゆーちゃん、泉さんはいつになったら帰ってくるの?」

優「分からない。」

千里「勝田に迎えに行ったら。」

玲子「そうよ、お兄ちゃんが悪いんだから…。」

優「….。」

千里「泉さんに謝って。泣かせるようなことはしないでちょうだい。」

玲子「ホントよ。反省しなさい。」

優「…。」

ここに優の味方はいない。

翌日、勝田の家のチャイムを押す優。

優「おはようございます。」

珠恵「あー、おはようございます。」

優「居ます?」

珠恵「海岸へ行くって。」

優「一人で?」

珠恵「千は居るけど。」

阿字ヶ浦海水浴場の北、元射爆場跡地。今は公園に造成中だ。以前のように中には入れない。

その傍に、泉のランドクルーザーが停まっている。誰も乗っていない。

優は海辺へ歩いて行く。

もう直ぐ梅雨明けの雰囲気の空が、東の空に広がっている。海辺の海面の色も明るくなってきた気がする。

ひとり、砂丘に座っている泉。

隣に座る優。

暫く黙って海を見ている二人。

泉「来るの遅いじゃ無い。」

優「うっ、ご免。」

泉「何か、私に言うことあるでしょ。」

優「済まない。僕がわるかった。謝るよ。」

泉「……、それだけ。」

優「どうしたら…。」

泉「これから、大洗へ連れて行って。」

優「大洗?」

泉「パークホテル。」

優「えっ。」

泉「尽くして貰います。」

優「…はい…。」

その日から2日2晩、優は泉の奴隷だった…愛の奴隷…。

それが、1986年7月梅雨明け直後の出来事だった。


8.起業

泉と優は、つくば市にある洞峰公園の小道を歩いていた。

優の新しい事務所が、隣のつくば研究支援センターに移転したからだ。

ゼネコンの設備設計部門を退職し、地元で設備設計事務所を開業した。

当座は岡田の家の長屋門を改造して、事務所としたが、やはり地の利が悪く。

つくば市のJAXAの隣にある支援センターの一室を借り、そこへ事務所を移転した。

ゼネコンに退職の意向を伝えたが、留意された。

当面、それまでのゼネコンの仕事も、受けることを条件に円満退社となった。

勿論、そうなったのは、例の早奈江の件が裏にあり、泉が辞めないと承知しなかったからだ。

あの件は、相当泉に応えた。

一時は、離婚も考えた。

でも千や次生まれる子のことを考えたら、耐えるしかないと覚悟を決めた。

勿論、優には、それなりのペナルティーを科すつもりだ。

ゼネコンを辞めて貰い、彼女から離れること。

自宅から通える範囲に職場を移すこと。

そして当分、泉の奴隷になること。

…最後は、少しやり過ぎかなと思ったが、まー1年くらいは、奴隷になって、いろいろと尽くして貰います。

と優に宣言した。勿論、それには、夜の生活も含まれていたが…。

大体、外の女に現を抜かす精力があるのなら、私の中に抜きなさいと…。

女は怖い…その怖い女をつくっているのは、男なんだが…。

その甲斐あって、10月に第2子の妊娠が分かった。今度は男子だった。

泉は、安産型なのだろう、妊娠・出産は楽で、順調に胎児は育ち、翌年の七夕に無事出産した。

絆と命名された。

優の事務所は、当初ワンオペだったが、仕事が増えると、技術系スタッフとして、大学の研究室からスタッフを紹介して貰った。

地元出身の山崎真弓が参加したのは、11月だった。

中途採用だが、前職でパワハラが原因で退職したばかりだった。

泉は、スタッフが女性というのに、全面的に賛成はしなかったが、優の忙しく働くのを見るに付け、不承不承だが承知した。

そして、自分も経理の勉強をして、事務の仕事をすることにした。

毎日では無いが、週3回出勤した。

ある意味、優の監視もあるのだろうが、優にそれを拒む理由は無かった。

仕事は、バブル期ということもあり、切れること無く、依頼があり、山崎後も2名のスタッフを入れた。

実質的に、山崎をチーフに据えてた体制で行くことになった。

そのころ、千里の体調が思わしく無くなった。

かかりつけ医から総合病院へ紹介され、診察を受けた。

以前から糖尿病を持っていたが、9月に入院してから入退院を繰り返すようになり、泉や玲子が交代で付き添った。

それが、1988年9月の出来事だった。


9.明かされた事情

千里は、正月は岡田の自宅で過ごしたいと、海老原医師に申し出、正月3日まで帰宅許可が出た。

久しぶりの自宅は、やはり安心出来た。

正月の福田家のおせち料理は、千里が泉に毎年、教えてきた。

味付けや、盛り付け、使う器など、今では泉が一人で造っている。

正月も三日になり、明日は病院へ戻る晩の夕食時。

泉「お義母さん、どうでしたか?」

千里「やっぱり、いいわよ、家は。」

泉「ゆっくりできましたか。」

千里「泉さんは、いいお嫁さんね。」

優「今頃気づいたんですか。」

千里「だって、あんたが選んだお嫁さんだから、間違いないわよ。」

優「あはは、おかあさん、今だから話しますけど、僕が選んだんじゃなくて、泉が僕を選んだんですよ。」

泉「あなた!」

千里「どういうこと?」

優「高三の学園祭で知り合った話は、しましたよね。」

千里「それは聞いているわ。」

優「泉が、僕をフォークダンスに誘ったんですよ。」

千里「そうだったの、泉さん。」

泉「そうなんです、昔のことです。」

千里、暫く考えた後に。

千里「…。これは、話してなかったんだけど..。」

優「なんですか?」

千里「実は、おとうさんが、あなたたちが結婚すると言ったときに、泉さん実家のことを調べたの。」

優、泉「…。」

千里「曾おじいさんの藤太郎さんの先妻のたまさんが、いろいろあって実家に戻ったのね、その人が泉さんのお父さんのおばあちゃんだったのよ。」

優、泉「…。」

千里「だから、あなたたちが血が繋がっていると言うわけでも無いし、親戚だという訳でも無いけど、そのたまさんが藤太郎さんの子を向こうで出産していれば、そうなんだけど。…多分、それは無いと思う。」

優「じゃー、僕たちは遠い親戚でも何でもないと。」

千里「でも、あなたたち、目が似ているって言われたこと無い?」

優、泉お互いの顔を見る。

確かに、何度か友人にそう言われたことがあった。

優「だからって、何なんですか?」

千里「だから、そういう話があったってこと。」

泉「だから、私はなんとなくゆーちゃんに惹かれて、声を掛けた…。」

優「…。でも、そんなこと、どうでもいいですよ。僕と泉は、お互いが好きで結婚したし、ここまで来たんだから。」

泉「そうね。そうよ。」

千里「そう、いらないこと話したわね。」

千里は、正月が過ぎて、病院へ戻った。

泉「お義母さんの言ったこと、考えていたんだけど、私がゆーちゃんに惹かれ、声を掛けたことは、私の直感だし、それが昔、私たちのDNAに共通したものが、あってそうしたと言われた気がするけど。やっぱり違うと思う。私が感じて、私がそうしたのだから..」

優「そうだよ、そんな昔の血縁とかDNAじゃないよ。僕たちを結びつけたのは、僕たちの直感だし、僕たちの思いだからね。あれは、母さんの思い込みだよ」

泉「でも、私がゆーちゃんに何かを感じたのは、事実だし。二人が惹かれ合う力もあったんでしょうね。」

優「それは、そうだね。改めにお礼を言うよ、僕を見つけてくれて、ナンパしてくれて、ありがとう」

泉「ふふ、バカね。そんなに言うなら、今晩、尽くして貰うわ。覚悟しなさい」

優「ええー、お手柔らかにお願いします」

それが、1989年1月の出来事だった。


10(最終話).家を継ぐ

昨晩、千里が病院で亡くなった。

1991年12月のクリスマスの前の日だった。

だから、この年のクリスマスケーキやプレゼントは無かった。

優は、病室から霊安室に移された千里の亡骸に付き添い、岡田の家に帰宅した。

靖の時と同じように、住人講の田中、伝実寺住職 吉川が来ている。

優、泉、玲子が二人と葬儀について話し合いをした。

田中「29日は、仏滅なので、28日午後6時通夜、翌29日11時告別式でよろしいでしょうか。」

住職 吉川「千里さんの戒名は 千徳院深愛慈信清大姉 でどうでしょう。」

優「そうですか。ありがとうございます。」

田中「千徳院 深愛 慈信 清大姉ですか。火葬は、土浦市営斎場で執り行います。」

吉川「いつも、愛情を周りの方へ注いでいましたからね。」

葬儀は靖と同じ形式で同じように行われた。夫婦だから同じが良いと言われた。

葬儀は自宅で、住人講が執り行うことになる。

従来通り。元禄から面々として執り行われた、そのままである。

披露宴の時と同様に、住人講のメンバーが準備、受付、帳場、本膳の準備、接待等裏方全てを執り行う。

住職も最高位の葬儀にすべく伴僧は3人、住職は緋の衣で執り行った。

葬儀は、厳かに執り行われた。初七日は繰り上げで行われた。

葬儀から2日後が大晦日で、3日目が元旦だった。

元旦の早朝、優、泉、千の三人は、靖と千里が眠る墓地に来ていた。

ここは、霞ヶ浦を見下ろす高台なので、初日の出が素晴らしいと、住職に聞いていたからだ。

暗闇の中、懐中電灯を照らし、不規則な階段を上がる3人。

中腹の途中左に折れる、カーブする小道、その先が福田家の墓地である。

以前は、欅の大木が鬱蒼と茂っていたが、今は湖畔が一望できる。

やがて、東のそらが、徐々に明るくなって来た。

赤く色づく地平線。

突然光り、あたりが明るくなる。

眩しい、光の中。太陽が少しずつ大きくなっていく。

湖畔と陸地の境が分かる。

湖畔の一部が光を反射している。

泉と千の顔にも光が当たっている。

三人でいつまでも日の出を眺めている。


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あとがき

この小説の舞台は、地元の拘った点があり、その特徴である、大らかさや伸びやかさの中で、人間模様を描きたいと思って書いていた記憶があります。
主人公が少しづつ変わっていく、そんな男に対する諦めと残念な気持ちと、反対にヒロインは芯が通っているのは、女性に対する畏敬の念が底辺にあると思います。
そのパターンは、これ以降共通しています。そういう意味で、思いで深い作品です。

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