Z世代の心理仮説
NHK「視点論点」(2024年2月20日)でSNSマーケティング会社の大槻祐依氏が「Z世代に広がる"蛙化(かえるか)現象"とは」という話をしていました。
番組で意外に思ったのは、大槻氏という若い人がZ世代について語っている、若年者が若年者の分析をしている、という点です。「そうか、じゃあ別に私もZ世代について語っても問題ないよね」と思いつき、改めてZ世代、いまの若年世代は何を考えているのだろうと考えることにしてみました。
ただ、例えば中学生に「今の若い人って音楽を何聞いてんの?」と訊いたとすると、「わからない。人それぞれだから」と答えると思います。答える側としてみれば当たり前ですよね。
だからバッチリ当てはまる人はいないかもしれません、でもだいたいこういう人が若年世代じゃないか、として、以下考えたいと思います。
ところで、先日終わったNHKドラマ「正直不動産2」の中で、十影(とかげ)くんという人物が登場していました。
新入社員である彼は、仕事中もヘッドホンをして、定時だからと仕事中でも帰宅する、どこか典型的なZ世代として描かれています。年代のせいでしょう、私なんかは彼のキャラクターにニヤニヤ笑うどころか腹立たしく思っていましたが、NHKドラマだからなのか、ストーリーとして憎めないキャラクターになっていました。
以下、Z世代の心理仮説を考察した上で、この十影くんを例に当てはめてみたいと思います。
Z世代の価値観
「視点論点」で大槻氏は、「Z世代で広がる蛙化現象の背景には、SNSの存在とタイパ重視の価値観があるのでは」と指摘していました。タイパとはtime(-benefit) performanceの略で、かける時間に対して得る効果を大きくしたいという志向をいいます。
大槻氏は「SNSの存在により自分の理想や価値観を当たり前のように表現できるようになっている。またタイパ重視により切り替えの速さがほかの世代に比べて長けている」と指摘していました。
「子どもは大切」
Z世代の価値観にはSNSの存在とタイパ重視がある。なるほど。でもなぜZ世代は他の世代に比べて自分を表現でき、切り替えが速いのでしょうか。さらに掘り下げてみましょう。
少子化がますます進み、親は「子どもは大切に育てるべきだ」という世間体(価値観)にますます縛られています。戦前は子だくさんが当たり前で、必然的に構ってもらうことも少なかったかと思いますが、今は兄弟姉妹がいようがいまいが、一人一人が大切に育てられています。
「子どもは大切」だから必要、として一時多く設置されていた公園の遊具も、いつしか「子どもに怪我をさせるなどもってのほか」と次々と撤去されていっています。
また少子化がメディアで繰り返し報道されて「子どもは大切」という世間からの圧力がますます強まり、「親(特に母親)が子どもの全責任を負うべき」という風潮が強まった結果、子離れしない/できない親が増えてきたように思います。子どもが成人になっても、所帯をもっても、いつまで経っても「世話を焼き続けなきゃ」と思う(思わされている)親は多いのではないでしょうか。
濃厚な親子関係の長期化
重い責任を感じている親に応えるように、今の若年世代は以前よりも「親の期待に応えたい」と思っている気がします。いい子であらなくてはいけない。親の言うことに従順でなくてはいけない。
幼少期の「親に褒められたい」という気持ちは当然で自然発生的ではあるものの、徐々に自立心が芽生えていくのもまた自然です。なのに、それが移行する時期が遅くなっている、または移行しないまま成人になっているのではないか。その大人になれない子どもを何とかしなくてはと思う親が、余計に子どもへの干渉を長期化するのではないか。
そういう濃厚な親子関係の長期化があるように思います。
幸せにならなくてはいけない
濃厚な親子関係の長期化の中で、親が望むのは「本人が幸せになってほしい」でしょう。私(=親)のことなんて気にしなくてよい、本人(=子ども)が幸せになってくれればよい。
それ自体は美しいことのように思えるのですが、ややこしいことに、「本人の幸せ」とは本人自身がこうなりたいと望み実現させたものではありません。「本人の幸せ」とは親が「こうなれば本人は幸せに違いない」と考えている幸せです。
それを受けて本人(=子ども)は、周りから(特に母親から)「幸せ」と思われるような生き方を常にしなくてはと思っている。注意すべきなのは、ある意味で自己中心的な、自分がこうなりたいと思っている「幸せ」ではないということです。
若年世代は「他人(主に母親)が思う幸せに最低限ならなくてはいけない」と強迫観念のように思っているのではないでしょうか。
この「他人が思う幸せに最低限ならなくてはいけない」というのは、「他人に幸せと思われたい」とは微妙に違います。後者は「外見をよく見せたい」に過ぎないのに対し、前者は外見だけでなくプライベートも、生活そのものも「幸せにならなくてはいけない」ので、より困難と言ってよいでしょう。
「なりたいものになれ」
まるで呪われたかのように「幸せにならなくてはいけない」と思わされている若年世代。ではその「幸せ」とは具体的に何なのでしょうか。それが曖昧なところが、若年世代を悩ませている原因ではないかと思います。
親は言うでしょう、「あなたがなりたいものになってくれればそれでよい」と。でも例えばパートナーに無愛想で素行も悪そうな人を紹介されるとちょっと待ったと思うでしょう。
冗談ぽい例を示しましたが、このように親の「あなた(=本人=子ども)がなりたいもの」とは「私(=親)が許容できる範囲」に限られています。親にしてみればすごく広い範囲のつもりでも、子ども(他人)にとってはどこがよくて何がダメなのかよくわからないものです。
「なりたいものになれ」というのは、文字通り「本人(=子ども)が希望するものになってよい」ということではなく、「(親が考えているであろう)よくわからないものになれ」という意味でもあります。
具体的に「お前にはXXになって欲しい」と言われれば「わかった」なり「嫌だ」なり、自分で判断し表明も比較的容易でしょう。でも「(親が考えているであろう)よくわからないものになれ」となると、本人が望むものと同じなのかそうでないかもわからない、得体の知れないものを目指せということになります。
考えるとよくわからなくなるものの、だからといって親に訊いたところで「自分が思うものになればいいんだよ」と同義反復のように言われてしまうので、本人はストレスを抱えることになります。
もちろん親子なので、普段顔を合わせる中で何を望んでいるのかはおよそわかります。親がなって欲しいもの、あるいはその範囲もおそらく伝わっているでしょう。でもはっきり言われていないので「よし、そうしよう」なり「嫌だ」なりは自分ではっきり決められない。自分の望むものがおよそはっきりしても、それが親の思う範囲に含まれるのかどうか、外れているなら親の望むものは何なのか、とうろうろ迷うことになります。
いい子にならなければ。そのためには幸せにならなければ。だからこそ迷う、悩む。
悪くすれば精神疾患を抱えることになるけれど、その原因は親も本人もわからない・・・という状況に陥るのではないでしょうか。それが引きこもりの一因かなとも思いますし、またどこか、秘密だけど何が秘密かも秘密、という特定秘密保護法にも似ていますよね!?
競争かつ平等
その一方で、たぶん2000年代くらいから、日本は競争社会といいつつ平等であることも重視されるようになりました。現在は個性を重んじると言いながら横並びの教育を推進し、個性的な人を採用したいと言いながら組織に順応しやすそうな人を採用しています。
明らかに矛盾した価値観の中で、親は本人に「個性的よりも社会から順応する(逸脱しない)人であってほしい」と願います。そのため本人(=子ども)は、第一に「幸せにならなくてはいけない」、第二に「個性的にならなくてはいけない」という二つの価値観の上でバランスをとっているのではないでしょうか。
幸せをアピール
以上を冒頭の大槻氏の指摘するZ世代の価値観と繋げて考えてみると、「個性的でなくてはいけない」ために(軌を一にするように普及した)SNSで自分の理想や価値観を全面に押し出し、「早く(親のいう)幸せになり安心させたい」ので短期的に成果を出したい、だから自ずとタイパを重視してしまう、ように思います。
ただ、大槻氏は「自分を当たり前のように表現できる世代」としていましたが、SNSでの「自分の理想や価値観」は、本人が自発的にこうなりたいと思うものでは必ずしもないように思います。むしろ「周りから「幸せ」と思われるような生き方を私はしていますよ」と表面的なアピールを必死に行い、取り繕っているのではないでしょうか。ここからも若年世代の余裕のなさが透けて見える気がします。
タイパ重視
タイパ重視になるのはそれが自発的な願望でないから、というのがひとつでしょう。自発的なら時間がかかってもやり遂げたいと思うと思うので。
加えて若年世代は、自発的に個性を育んだというより無理やり個性っぽいものを仕立て上げ、いわば借り物の個性を演じているので、その仮面を剥ぐと実は何もないのかもしれません。
借り物の個性なので、そこで語る夢や希望も「叶うといいな」くらいで「何が何でも叶えたい」と思っているわけではない。本人にとっての本当の夢や希望は、身近で些細なものでしかなく(おいしいものが食べたいとか癒されたいとか)、それが短期的に(できれば連続的に)叶うかどうかであり、結果的にあまり努力しないで快感が得られればよい、即ちタイパ重視になるのではないでしょうか。
Z世代の社会人
社会人になったZ世代はひどく打たれ弱いと言われています。少し指摘するとすぐに落ち込み、休んだり辞めたりすることがあるとか。
新人教育を行う立場の人も難しさを感じているようです。「成長を願って厳しくしたらパワハラと言われる」、かといって「優しく接していたら成長できないと不安を持たれる」。ゆるくてもダメ、ブラックはもちろんダメ。どうすればよいのだとぼやく声があるとか。
みんながみんなそうとは思わないまでも、どうやらそういう傾向があるようです。彼らをどう考えればよいでしょうか。
その背景には、先に書いた「いい子であらなくてはいけない」という強迫観念があるように思います。
世間からの圧力もありなかなか子離れできない親は、叱咤より激励の方が数十倍多く行ってきたはずです。その子どもは当然、日常的に励まされ叱咤されることはあまりなかったことでしょう。
なのに社会に出たとたん厳しく𠮟られてしまう。それも親以外に。誰に対してもいい子であるはずが、こんなにも𠮟られてしまっている、いい子ではないと否定されている。Z世代にとって絶対に守らなくてはいけない強迫観念「いい子であらなくてはいけない」が崩れてしまってしまい、どうすればよいのかわからなくなる、のではないでしょうか。
これは若年世代以外の人にとってみると「なに甘っちょろいこと言ってんだ」と激怒するかもしれません。でも怒ったところで何も解決しません。
新人教育担当の人が一番気をつけるべきことは、「開口一番から叱らない」、始めから本人に改善してほしい点を言わないことかと思います。
つまり「XXをしてもらえたのはよかったね。でも・・・」とか「よく頑張ってるね。あと・・・してもらえると嬉しいんだけど」とか、まず相手の存在を認めた上で指摘すると、Z世代でも受け入れられるのではと思います。
考えてみると、取引先に対してはふだんからどことなく同じように接しているのではないでしょうか。「身内なのにそんな面倒なこと」と思うかもしれませんが、取引先とは違って身内なので、誤った態度をして相手が黙ってしまったらすぐにフォローもできるのではないでしょうか。
𠮟られる側のZ世代は、「自分を全面否定されているわけではない」と認識すべきです。仕事の関係性の中で何を言われたとしても、仕事面だけの話なので、仕事以外の場面(つまりプライベート)で愚痴を言ったりSNS(特に旧Twitter、現X)で文句を言ったりすればよいのです。というかZ世代以外の人もそうしています。
ずっと前の世代の人たちは人格どころか存在すら否定されるのが日常茶飯事だったので、そういう「教育」を受けてきた人が配慮しながら新人教育を行っていること自体、彼らなりに努力している結果と思いませんか。もちろん「だから耐えろ我慢しろ」とはならないものの、彼らの事情にも少しは気を配ってもらえればと思います。
自分を守るために会社を辞める程度ならともかく、引きこもりや自殺にまでいくと徐々に取り返しがつかなくなる、何とかなっても時間がかかります。もちろん時間をかけて復旧する方がよい場合もあるものの、できれば“被害”は最小限に抑えたいですね。
Z世代の十影くん
ではドラマ「正直不動産2」の十影(とかげ)くんはどう考えればよいでしょうか。
仮説として提示した二つの価値観、つまり「幸せにならなくてはいけない」「個性的にならなくてはいけない」のうち、十影くんは前者のみを意識し、後者はまるで考えていないように思います。前者も短絡的に「自分が快適であればそれでよい」とし、社会や他人に割く時間は最小限に抑える一方、自分にとって価値のあるものには時間も費用もかけているように思います。
周囲の人には何とも腹立たしく思ってしまいますが、本人も別に社会や他人を無視しているわけではない。むしろ意図して必要最低限の関わりに留めていると言えます。「最小限の干渉で何が悪い」と言われると、何となく「それもそうかな」とも思えてきます。首都圏に近ければ近いほど、電車で隣に座る人がどんな人だろうが自分にとって迷惑でなければそれでよい、と思うのと似ていませんか。
何より、ハラスメントが問題になりがちな社会人生活において、十影くんは自分の精神状態を維持するのに極めて効果的な対人関係を身につけていると言えるでしょう。
十影くんのような人がピッタリな仕事では?と思うのがLCC(格安航空サービス)。場所の移動サービスのみ提供してもらえばよく、他のサービスは不要、という考え方は、十影くんに合っているのではないでしょうか。
ちなみに「正直不動産2」では、初めはインチキ不動産営業に惹かれていた十影くんですが、最後は主人公の正直な営業の方が長期的にタイパがよいということがわかった、という話になっていました。
終わりに
以上、Z世代の心理仮説を考えてきました。
このブログの中には、ここは同意する/ここは同意できないなどいろいろあるかと思います。でも「Z世代はわからない」と忌避するのではなく、このブログなどを叩き台に「アイツはブログに書いていたのと違うけどこうじゃないか」などと関心をもってZ世代と接してもらえると嬉しいです。