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イタイイタイ病のもうひとつの資料館:清流会館

四大公害病のひとつ、イタイイタイ病。その公立公害資料館は富山市友杉(空港の南らへん)にある富山県立イタイイタイ病資料館です。それは何となく知っていても、イタイイタイ病に関する資料館はもうひとつあることをご存知でしょうか。それが清流会館です。
なおイタイイタイ病についてはこちらをご参照ください。

清流会館地図(パンフレットより)

清流会館

概要


清流会館はもともとイタイイタイ病対策協議会の拠点だったのですが、公立の資料館設立の話が持ち上がった際、当時のイ病対策協議会会長・髙木勲寛氏は「清流会館の役割は終えた」と考えていた、といいます。でも資料館が被害者の代弁者になってくれているわけではないということを実感し、清流会館の展示施設も継続することになったそうです。
だからイタイイタイ病の資料館は公立と民間の二つが今も存在する、ということですね。
なお、公害資料館が行政のものと被害者団体のものと二つあるのは、イタイイタイ病が日本で唯一、ひいては世界で唯一でしょう。もっと誇りをもってよいように思いますが、あまり知られていないのが現実です。かくいう私も今回初めて訪問しました。

偏見


私は、県立イタイイタイ病資料館には何度か訪れたことがあります。でも清流会館という被害者団体の施設は何となく抵抗がありました。それは次のような想像(=先入観=偏見)があったためです。
・被害者寄りの施設だから、きっと水俣病の「怨」のような横断幕があるのだろう(うわァ嫌だ)
・前に訪れた他の民間美術館の接客態度がひどく悪かったので、今回も、公立よりもずっと悪いに違いない
・照明も暗く展示も少なく閑古鳥が鳴いていて誰も対応してくれないだろう
・・・今思えばひどい偏見で、全然そうではなかったです。

展示

清流会館 全景

入口を入るとすぐ、ロビーで神通川のジオラマが出迎えてくれます。ボタンで音声解説してくれます。イタイイタイ病資料館にも音声解説があったように思いますが、個人的には地図をもとにしたこの清流会館の解説の方が好みです。

神通川のジオラマ

簡単な入館者名簿に記入すると、ほどなくスタッフらしき人が案内してくれました。ふだんは解説する人がいるそうです。

展示室は右回りの順路のようです。半分くらいはイタイイタイ病資料館と同じで、違う展示としては、日本・世界の公害汚染、裁判後の巻き返し、全国の公害反対運動との連帯などです。

清流会館展示室
清流会館展示概要(パンフレットより)

意外に思ったのは(被害者団体の施設にもかかわらず?)加害現場である神岡鉱山の発生源対策、そして土壌復元事業のコーナーがやたら充実していること。資料館とほぼ同じような印象を受けました。解説してくれたスタッフらしき人も「(加害者である)企業の人もホントによく協力してくれまして」と話していたのも驚きました。これまでいくつかのイタイイタイ病に関する書籍に目を通しましたが、概ね「(加害者である)三井憎し!」といった恨みが根底にあるように思っていたためです。
裁判後の巻き返しについては、なるほど行政の施設では扱いにくいよね、と思いました。

皆さんもぜひ訪問してみてください。
なお、土・日・祝日・年末年始・盆休は休館日なのでご注意を。「休みの日に資料館と一緒に行こうかな」と思ったらとんでもなくなります。

なおWebページでは、公害資料館ネットワークのページの方が見やすいです。
イタイイタイ病資料館
清流会館

関連スポット

荻野病院


清流会館への訪問のついでに、イタイイタイ病に関するスポットを周りました。
まずは荻野病院。イタイイタイ病の病院といえば荻野病院。清流会館もそうですが、この荻野病院もイタイイタイ病患者発生地域の中心付近にあります。
事前に場所を特定していたものの、あれ?清流会館で見せてもらった場所と違う。どうやら移転したようで、やたらキレイでデカイのもうなずけます。

荻野病院

じゃあ荻野病院の跡地は今どうなっている? どうやら今は小学校になっているようです(富山市立宮野小学校)。別に誰に訊いたわけではなく推定ですが、当たらずとも宮野小学校付近だったのは確かかと思います。

復元碑巡り


続いてイタイイタイ病の復元碑巡り。全部で5か所あります。随時紹介していきますが、これがけっこう個性的。イタイイタイ病というと重く暗いイメージがありますが、復元碑だけならアートとして?楽しめるかもしれません。

一つ目。宮川復元碑。空港南の新保大橋を西に抜け、地角交差点を南に折れ、しばらく行った宮川地区センターのそばです。

宮川復元碑

偶然にも、さっき触れた宮野小学校の前身の跡地を発見。もとは宮川小学校だったようです。
つまり、荻野病院が移転したのち、宮川小学校が宮野小学校に改称されて現在地に移転したようですね。おー歴史を感じます。

宮川小学校跡

次に熊野復元碑。清流会館のひとつ西の通り、清流会館の北西、婦中熊野公民館の前にあります。

熊野復元碑

次は速星復元碑。国道359号線より南、富士薬品の富山工場のすぐ横です。復元碑の中でいちばん田んぼのど真ん中に立てられたように見えます。石碑もシンプル?

速星復元碑

次の鵜坂復元碑が交通量の多い交差点にあるのでいちばん有名かもしれません。汚染田復元碑とは知らなくても「あーあそこね」とわかる人もいるかも(いないかも)。JR高山線婦中鵜坂駅の南西あたり、北陸自動車道の高架より北の田島(北)交差点にあります。写真ではわかりませんが、米俵の上の黒い石にイネととんぼが描かれています。

鵜坂復元碑

最後に神明復元碑。アートなモニュメントと一緒に建てられています。有沢大橋を西に抜け、環状線も越えて三本ほど行ったあたりに南に曲がると、田んぼのど真ん中にあります。

神明復元碑

ぜひ訪問を


県立イタイイタイ病資料館だけだと「点」でしかなく、ましてやどこで起こったのかも実感ないと思います。よく「いまのファボーレのあたりです」という説明を耳にしますし、ざっくり掴むにはそれもアリかと思いますが、いずれにせよ「点」です。
清流会館ほか石碑を巡ることにより、いかに広範囲に被害があったのかという「面」を実感できるかと思います。ぜひ石碑も含め訪れてもらいたいし、また残してもらいたいです。

<参考>
「平和と人権 とやまガイド 増補改訂版」富山県歴史教育者協議会、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟 富山県本部

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