書きたいだけ書く日記 2022/02/08
コーヒーを入れる/淹れる/立てる、私というドブ、バンドガールと連日の進次郎構文、ハマチのガーリックシュリンプなど。
2022/02/08コーヒーを入れる/淹れる/立てる
昨日の轍を踏まないよう、パターンを変えて行動開始。まずは本日のnoteの分。書いている途中から腹痛。理由が無いから、いつもの原因不明の痛みなのでサッと鎮痛剤をキメる。キメるのだ。これがないと普通でいられないのだもの。飲んだら動けるのだもの。キメる、としか言いようがない。
日記をnoteに上げて休憩とbreakに洗濯を干して、コーヒーを入れる。入れる…淹れる…うーん。
コーヒーのことを書く時、いつも「入れる/淹れる」問題が頭をよぎる。そして「立てる」も。ただ注ぐのではなく、ドリップという工程が挟まっているから「入れる」に抵抗がある。でも「淹れる」はさらに抵抗があるのよね。そこになんかしらの陶酔を感じてしまうから。陶酔まで行かなくても特別なことをしているという意識が「淹れる」という言葉を選ばせる、と思っている。「立てる」は更にその先。もはやコーヒー道とでも名乗ったほうがいい。ドリップする時の泡の具合が立てるを想起する、という人も居るけれど、それをそう思う時点ですでにかなり酔ってる。人は知らんけど、私はこっ恥ずかしくて「淹れる」と「立てる」は使う気にもならない。相応しい言葉がない。
これと同じように思うのは短歌を作ることを「詠む」ということ。詠嘆の「詠」であることがひっかかる。ご自分でひねり出す自己満足の何かを「詠む」なんて、よー言うなーと思う。かなりの陶酔を感じる。まあそもそも短歌はなんかしらの陶酔があるし、ないならないでつまらないものだけど。
私自身は短歌を「作って」いるという認識にとどまる。もっとふさわしい言葉が欲しいけど見つかっていない。私は私というドブの中からイメージを汲み出して作っている。露出狂と大して変わらない。そんな、人が出さないでおくものを人に見せるに事欠いて「詠む」なんてやったらダサくて死ぬ。生きながら死ねる。陶酔の中でも特にみっともない。みっともない中でもトップオブみっともない。ただただダサい。
Break後、いよいよ問題の「己呂奈日記(八)」に取り組む。具合が悪くならないので、全てぶっちぎってやる勢いで整え、加筆。二時間。出来た。やっと出来た。やっと、やっと。出来と思ったら昨日からの憂鬱、どっか飛んでっちゃった。テンション上がる。とりあえず、一旦閉じる。
神仏詣でと買物のため外出。心に憂いのない外出ってこんなに楽しいのか。心軽く詣でて買物へ。食材がどれもこれも切れているので、喜びの大量買い。無駄遣いではなく、必要だからどんどん買えるのは楽しいばかり。思う様買って帰宅。占めて1時間半の旅。2ヶ所も詣でて買物してもこの時間で、私は狭い範囲をぐるぐるして生きているとあらためて思う。
晩飯の鼻歌。
季節が君だけを変える(BOØWY)
ONLY YOU(BOØWY)
B・BLUE(BOØWY)
出てきたのがBOØWYばかり。昨日どこかでちょっと聞こえたからか。歌いながらギターのアクションで足を上げたくなって笑う。してはいない。
私は学生時代、音楽と文字まみれだった。少しの間バンドガールでもあった。私の住む田舎では男子のバンドはBOØWYのコピーばかり。ギターの人は布袋さんみたいに足を上げようともがいていた。足に気を取られると手が疎かになるから、もがく羽目になる。当時私はブライアン・メイやプリプリの中山加奈子さんとがかやる、ネックをグイーッと振るアクションが最高にかっこいいと思っていたから彼らをアホだなー、フレンチカンカンの出来損ないみたいだなと思っていた。去年TOKYO2020の式典で布袋さんが出てきたのを見て、足上げが格好いいのは布袋さんだからだな、と今さらながら思ったのを思い出している。ここのところ進次郎構文ばかり。
晩飯、豚肉・じゃがいも・舞茸を炒めてポン酢とバターで味付けしたもの、ハマチのガーリッシュリンプ、おでん。家族はご飯も。
豚肉とじゃがいも、舞茸のやつは、最近読んだR18ネット小説の主人公の得意料理。美味しく出来た。R18部分はパクリレベルにありきたりでとても残念な出来なのにディティールの書き込みが詳しくて際立って良かった。料理が時代小説ばりに良かった(時代小説は料理の描写が秀逸な場合が多い。鬼平とか御宿シリーズとか)。きっと、ものすごく書ける人が実験的にR18をやってみたんだろうと思いつつ食べる。
ハマチのガーリックシュリンプは名前萌えで購入。なんだよシュリンプって。エビじゃ無いのに。切身をそういうタレで漬けてるって百も承知だけど、アホさ加減。味は非常にチープ。二度目はないなー。
連日の謎停電、夜になって全部きれいに点いた。でも週末には電気屋さん呼ぶ。騙されないぞ。