書きたいだけ書くnote日記 2022/05/13
弁当、本当の供養とは、一面だけではなく、など。
2022/05/13 一面だけにあらず
風雨激し。去年は子の時期に長雨でひどい目に遭ったような気がする。そのまま梅雨入りしたような気も、その梅雨が長かったような気も。今年もこんなかんじでいくのは嫌だなあ。
息子1は熊本の学生らしく、雨合羽を着ずに行くことしか考えていない。結構な降りなのに「ねえ、下は着なくてもいい? 」などと言うのをなだめて下も履かせて出す。なんか園児時代に戻ったよう。
今日の弁当。
オムレツ弁当は弁当開始1ヶ月にして人気メニュー。具を多くし過ぎたのと、家で食べる時のように具を挟むかたちに作ってしまって、結束が弱くなってしまった。まあご飯が下にあるので気にせず盛る。
この弁当、死んだ祖母に見せたくなった。祖母は紛うことなき毒親・毒祖母であるけれど善性もあって、その1つに長患いの果て死んだ実母の代わりに中高と5年間弁当を作ってくれたことがある。あの人の卵焼きは素晴らしかった。信じられないものをうまく挟み込んでくれたもの。しかも美味。
あんなに傷つけられたのに卵になにか挟むと祖母を思い出す。こうしたことも供養なのだろうと思うようになった。年忌はそういう意味で良いシステム。でもこうして思い出して、思い出したことを周りの人に話して共有することが本当の供養では、とも思う。
体調が悪いと、些細な事が気になる。その1つに人のツイートがある。人のうまくいっている話に対して、良かったな、と思う気持ちは変わらないけれど、それがしんどく感じる時があって、割と今、そう。しばらく前から告知と少し元気な朝にタイムラインを覗くだけにしている。
その私のタイムラインに、同じ人のツイートへの賛同とdisが共存していることに気づく。人は一面だけにあらず、ということを体現したような人だと思う。積極的にジャンルの中での不当なハラスメントから女性を守る活動をしていることは素晴らしいものの、別のところでは結構な圧で人を攻撃している。その人をどう私が感じるかという話は置いといて、どちらの意見の人もタイムラインにおいておくことが大切だと思っている。どちらの意見もオール賛同は出来ないけれど、賛同出来る部分もあることだし。
息子1は明日が部活の定期演奏会。県劇を借りてのリハーサルで9時半に帰宅。
演奏会はあるし、明日は息子1の出身中学は運動会。去年は親は観覧出来なかったのに今年は出来るとのこと。県での感染者は増えている。学校も毎週のように感染者が出ている。感染との共存ということも出来るけれど、長く続く中でなし崩しになっているようにも感じられる。世の中はどうなっていくのだとしても、まあ営みは続くから、こんなもんなのか。
晩飯、クリームシチューときゅうりのサラダ。バターを量る元気がなくて買い置きの市販ルーでシチュー。市販のルーはカレーもハヤシもシチューも、安いものの方がアジがいじくり回されて無くて美味しく感じる。
ここまで書いてざっと見て、1日いろんなことで同じようなことを考えていたのか、と思う。
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