書きたいだけ書くnote日記 2022/03/05
だるだるの体調、ネーミングは難しいもの、人の生きる喜びとは、人のなせる美しい灯りのようなもの、など。
2022/03/05 それは救いかと言えばまた違う
7時半起床。朝食は目玉焼きとキャベツと水菜のサラダ、カットパイン、コーヒー。体調だるだる。
息子1、午前は部活の送別会。この送別会、という行事が私にとってはまるで不可解なものだった。というのも3年前まで、ホテル的なちょっと豪勢な施設を借り切って、飲み食い付きでド派手にやっていた。私は中学生の部活でそこまで必要あるんかなー、と思っていたのだ。それがこの数年は感染禍で中止。結局ここ2学年は中学生に相応しい、学校の音楽室でのこじんまりとした送別会になってしまった。これはこれでいいんでないの、とその時の私は思ったものだ。そこから1年が過ぎ、保護者会では今年こそやるべしと会場を押さえ、会費も集めたものの、感染禍は収まらず。結局息子1たちもやはりそうなってしまった。なってみると不思議なもので、なんとなく、豪勢な会が出来ず、可愛そうな気分になってしまって、まあなんて御都合主義かと自分に呆れるやら。
息子1は小さいながらも気の利いた取り合わせの花束をもらって帰ってきた。仲のいい友達で2次会だと午後は1.5リットルのジュースとポップコーンとSwitchやプロコンを持って出かけて行く。私は居ても立ってもいられず神仏詣でに出た。こういう時にはこれに限る。自分の中のバグっちゃってるエネルギーが出ていく。すがる何かではあるけれど、それは救いかと言えばまた違うというか。
街から安巳橋を渡って帰ろうとしたら、目の前から逆走車が来る。どうも確信犯。運転者はまっすぐだけ見るふりをしてそっちは絶対見ないぞの構えだったものの、こういうことをする人の顔は、こういうことをする人の顔としてしっかり見ておきたいので見ておいた。こういう顔をするのか、と思う。人は普通の顔で色々やる。安巳橋を渡った先もひどかった。変形交差点でおかしなところに曲がりそこねた右折車がいて、それでつっかえてめちゃくちゃ。このところ年度末のせいか、土曜も工事をしている。土日は普段運転しない人も多いせいか、相まって大変なことになっているように感じた。
天気は良かったものの、黄砂がひどい。これを春霞としていた頃にはもう戻れないな、などと思いながら帰宅した。
帰宅してやる気が出ないのでコーヒーを入れてネット小説と週刊の漫画の摂取。世の中には見識が広い人がたくさんいて、才能溢れる人もいて、そういう人がたくさん物を書いていることを突きつけられるのがネット小説。そして、そんな人達も苦しんでいるのがネーミングだと思う。あまり奇想天外な名前は物語を読む上では足枷でしか無い。でも物語の世界観を余りに反映したものもそれはそれで醒める。名付けは難しいな、現実世界の生きている人のものも物語の人のものも。
夜Eテレで『SWITCHインタビュー 達人達』でYOSHIKIさんとレスリー・キーさんの対談を見る。
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=31314
レスリーさんが同い年であることは知っていて、ずっとシンパシーを感じてきた。今回レスリーさんの生い立ちを初めて知った。父親無しで育ててくれたお母様が早世したこと、お母様の亡くなった歳、レスリーさんがその頃に読んでいた日本の雑誌など、私と共通することが多くて唸る。多分あの頃のカルチャーの話、すごく合う人だと思った。
対談の内容も興味深かった。レスリーさんが人の生きる喜びをインドで見つけたこと、本来の自分を出さないと苦しい話。自分らしく生きることはアーティストとしていちばん大切なことと言っていて、わかりすぎて言葉に詰まる。
私もインドに行ったら、ちゃんと生きていく気になれるのだろうか。子供の頃から基本的に頑張って生きようって気がない。今はもう、子らに老いにまつわる迷惑がかからない歳のうちに消滅できないかと思っている。死ななくていい、消滅したい。平行世界に飛ばされて行方不明でもいいなあ。宇宙人に誘拐されるのもいいなあ。この感覚、決して良いものではないことはわかっている。
それにしても、お顔の作りがもともときれいな人はアンチエイジングもはかどる、と思った。常々、そういう施術で済むことならどんどんやるべき、と思っているけれど、普通に老いることも出来ないなんて大変だと思った。
侵攻のこと。皆さんの正論が、タイムライン上に見え隠れする。それは人のなせる美しい灯りのようなものだと思った。それは今現在も国内を西へ西へと避難している人たちのためには直結しないけれど、その人達は今そんな事を考える余裕もない。もしかしてこれこそが今は傍観する側にいる私たちに出来ることなのかもしれない、と思った。