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書きたいだけ書く日記 2022/02/07

思い出してひどくダウン、お弁当箱の歌の本当の歌詞、キエフの大門、やはり電気がつかない、など。

2022/02/07(月)わざわざ思い出してはいけない

 また電気がつかない。ついに3部屋つかない。なんだろなー。昨夜は普通に点いていた。いよいよ、電気屋さんの出番か。

 久しぶりに家の中に人がいないので、もう必死、必死で書き物。短歌誌『虹』に連載している『己呂奈日記』を進める。これは編集人かつ代表である中山さんと、この感染禍のご時世を歌人の視点で見たものを、というコンセプトで始めた連載。スタートの志は良かったと思っている。でもこんなに長くなることは予想外だった。連載8回目の今、去年の息子2が家を出る辺りの話。毎日の分全てを載せるわけではないので抜粋が難しい。読み込んでいたらどうにも具合が悪くなる。吐き気。中断して横になる。PTSDとか、その辺りのことなのだろう。自分の中で、あの辺りのことは触れたくない記憶になっている。あの時の選択はそれがベストだったからそうしたし、そう納得していたのに、私はつらかったらしい。その意識はしっかりあったものの、ここまでとは思っていなかった。時間とともにもうすっかり乗り越えていたはずなのに。

 1時間ほど眠ってから起きた。吐き気は収まったもののもう全然、気分が上がらない。書けない。書こうとすると気分が落ちる。あの日のことは、忘れまいと特別詳しく書いている。こういうものはすっかりそのことを何も思わなくなるまで、見返しちゃいけないね。

 夕方、息子1が突然、
「おべんとうばこのうた、「おにぎりおにぎり」じゃなくて「おにぎりを握り」らしいよ」
 とぶっ込んできた。まじか。それではそこだけいきなりトーンが違わないかい? 私の記憶では、

これっくらいの おべんとばこに おにぎりおにぎりちょっとつめて きざみしょうがにごましおふって… 

なのだけど。
ということで検索したら、作詞者香山美子さん本人のページを発見。

 「おにぎりを握り」は間違い、「ちょっと」ではなく「ちょいと」、「ごましおふって」ではなく「ごまふりかけて」であること判明。なんだい、親子で間違ってるじゃないか。
 香山さんのプロフィールによると『おべんとうばこのうた』は

『おべんとうばこのうた』(日本コロムビア)1978 作曲・編曲:小森昭宏

となっている。1978年。そんなものか。もっと前からあったという印象を持っていた。

 こんな面白いことがあっても気分は上がらず。晩ごはんは弁当屋のお弁当に。揚げた鶏にマスタードソースをかけた、という弁当屋らしからぬおかずが美味しかった。

 夜ニュースを見ていた。ウクライナのこと。侵攻が起こった場合の被害想定などが流れる中、息子1が
「『キエフの大門』のキエフ…」
とつぶやく。そう。そのキエフ。ムソルグスキーのあれが頭の中で鳴り始める。組曲『展覧会の絵』より「キエフの大門」。

 息子は『展覧会の絵』が好きでよく弾いている。こうして、音楽の記憶が先でそこからその土地を思い出す、ということもあるのか、と思う。思わず「ウクライナの首都だぞ、キエフ公国のキエフだぞ…」などと言ってしまう。

 侵攻。日本のテレビとかメディアの情報が遅い。どこぞの国でひどい事故があって危機一髪、とかおもしろ海外映像みたいなものをニュース扱いで出す暇があるならこういうことを、1分でもいいからやって欲しいもの。「キエフの大門」の動画を検索する時、「キエフ」だけで検索したら、海外発のかなりきな臭い動画がたくさんヒットして、事態の切迫ぶりを思う。

 電気、やっぱり点かず。いよいよ電気屋さんだな、とか言いつつ呼んでもいない。小さい電気が点くし、暖房器具が使えているので呼ぶのが面倒くさいというのが本音。時間が出来たら呼ぶ。息子1は暗い暗いと怒っているものの、私のライフは枯渇寸前、家に人が入ることに耐えられそうもない。悪いなーと思いつつ、暗い部屋に居る。息子は暗いと言いながら、また『サライ』を歌い出すので、昨日同様24時間テレビのフィナーレ風に合わせて歌って大騒ぎ。時は夜10時。オットに二人まとめて怒られた。

 離れて暮らす息子2に電気つかない件を知らせると「それは心霊では? 」という予想通りの反応。そして怖がり始める。これも予想通り。そして自分の怖い話になる。今は夢に首が伸びる日本人形が出てきて怖いとのこと。あの子の夢、どうなってるのかしら。年中人ならぬものが出てくる。面白そうなのでどんどんこっちに回して欲しい。しかしネット上では無双なくせにこんなことを怖がるの、面白い。私はそんなもんより悪意を持った生きてる人間がこわいよ。

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