2022/08/12 人生の順番
7時20分起床のはずが、息子2のLINEで起こされる。6時40分。いつもなら起きているからいいけれど、必死に睡眠時間確保している側としては少々ダメージ。離れて暮らす息子2のLINE通知音だけは就寝中も音のしないモードを越えて鳴るようにしているからこうなる。
結局、身の回りの揉め事に対する思いの吐出口が必要だったみたい。親として役に立ったようで、ありがたいもの。離れて暮らしていると過剰に心配になる。私は愛着がぶっ壊れている自覚があるので、必要とされているのに突き放していないか、いつも心配でもある。突き放しはこたえるのよね。
息子1は部活の一日練習へ。昼は学食で食べると言うので弁当無し。世間は盆だというのにほんとに学食やってんのかね、という疑念を抱きつつ。学内にはパン屋もコンビニもあるのでなんとかなるだろうと放つ。
昼過ぎ、法事へ。
実母の三十七回忌。うちはとても複雑だ。結婚したものの早々に離婚して子連れで戻った実母を心配した祖父母が私を二人の養子にした結果、叔父は兄で叔母は姉でなんなら実母も姉で、祖父母は両親で、といったカオスに。そのカオスの続柄の叔父である兄のお寺で法事。県北へ向かう。
にわか雨が降りそうな天気だった。進むごとに風が強くなり、激しい風雨となった。兄の住む街の上に悪魔の手のような形の雲が覆いかぶさっているのを見ながら行く。あれは竜巻の下準備。地上へ向かう灰色の雲が巻き始めたらやばい、と思っている内に着く。
荒天真っ只中のお寺でも異変は見えていたようで、兄は動画を撮っていた。お茶をいただいてから法事。お経中に見回す。私もお寺育ちなのでしっくり来る世界ではあるけれど、同時にその頃の私のひどく心許ない気分も思い出す。私の独特の立場やら何やらで居心地が悪い思いすることが多かった。どこにもいまいち馴染めなかった。あの頃の気持ちを客観的に見下ろすぐらいには時間が経っているものの、こういう気持ちは何年経っても普通に再生される。まあ人は変わらないものだ。私はいくつになってもどこにも馴染めない心許ない人間で、もうこれがどうかなることはなく、このまま行くのだろうということをなんだか確信してしまった。情けない確信。
36年経った。遅くも早くもなく、それなりの重さの歳月。実母は自らの両親より先に死んでそこで順番がひっくり返ってしまったけれど、そこ以外の番狂わせはなく、順当にあの頃の家族は誰もいなくなった。本当に自然で順当。次は私なのだと感慨深く、お焼香しながら兄が飾ってくれた実母の写真を眺めた。実母が死んだ時、祖母は「あの子の写真、さみしい顔しか無い。あんな顔していたから早く死んじゃったんだ…」と絶句していたけれど、確かにさみしい顔だ、と思う。
法事が終わって少し会話している中で古い家族写真が出て来て、その話から祖母の無茶振りがひどい思い出話。祖母はひどかった。初めて夫の実家に来た若い義姉に遠方まで慣れない道を運転させた話。あの時中学生の私は義姉を気の毒に思うも、女帝状態の祖母になす術もなかった。あの時のあれは婆がひどかった、あれはなかった、と話すことが出来た。
お寺を出て帰途にはもう、やばい雲は出ていなかった。法事の途中で気づいた、子供のような気分でめっちゃトイレ行きたい、と思いつつ帰った。
オットも私も真っ黒な服装だったので着替えて日用品の買物へ。またみょうが饅頭を買ってしまう。この夏、販売終了になるまで買うことを誓う。そして商品名はみょうが団子であることに画像を撮ってから気づいた。
その後家で沈没。7時半頃、兄のところで持たせてくれた会食弁当で晩ごはん。
たった1つの用事、法事に行っただけでどろどろに疲れた。早寝をきめる。今日は久しぶりにお経を読んだ。意味を考えつつ読むとお経ってくどい表現が多いな、とふと思い出しつつ。