書きたいだけ書く日記 2022/01/15
2022/01/15(土)tonga tsunami
6時半起床。土曜なれど早起きなのは原稿が全然出来ていないから。子が起きるという8時半まで書きつつ、歌稿を送る手紙を作り、謝りのメールを作る。子に朝食を食べさせて、その後も取り組む。昨日まで謎の絶望感に襲われてああ体、体調由来でこの事実誤認は起こっとるな、と思っていたのだけど、すっかり普通。
ついに今年もLOOKチョコレートの4種のいちごが出た。この季節商品、大好き。買い込んだ1つを喜々として開封。非常にうまい。熊本のいちごが入っているのが嬉しい。LOOKのいちご味は好きで好きで、いちご味だけいっぱい食べたいと思っていた子供の頃の夢が具現化したものが今あるなんて。どう考えても最高。
午後、オットと息子2に届け物をしに行く。途中、私がTwitterでフォローしている火山・地質関係の人たちの様子がおかしいのでちょっと深く見てみると、トンガで大噴火とのこと。しかも海の地震。海底?島?衛星画像がものすごいことになっている。これは津波が来るかも、ということで、いつもリストで見ていたホノルルの太平洋津波警報センターとか、北太平洋の津波アラートをフォローしておく。どちらも英語アカウント。オットは息子2の友人の、トンガ人の同級生のお家の心配をしている。私としてはすでにトンガには80cmの津波が来たと発表されているので、それが事実なら程々の津波で終わる、と予想していた。しかし、爆発の様子が九州全部が埋まるほどの範囲。阿蘇山破局噴火レベル(阿蘇山が本気を出したらこれぐらいのことをしでかすという予想は出ている)なのでは、と思うも第一波が80cmなら何とかなるのでは、などと言いながら帰宅した。それにしてもこの時点で日本のメディアは全然報道しない。私は火山地質関係のアカウントと英語サイトから情報を見ている状況。
帰宅して、家族が目の前でだらだらごろごろする中で書き物。自分のデスクは足が寒いので行きたくない。結構な修行。またおでんの具を買ってしまったので、おでん第3弾を仕込む。
晩飯、テレビで作り方を見たブロッコリーとソーセージのチャンプルー、おでん。チャンプルーは醤油とマヨネーズで味付けするというちょっと想像つかないものだったけど、とても美味だった。
全て済ませてさあ寝るぞ、とトイレに行っている間にスマホとオットが大騒ぎ。津波警報。しかもすでにまあまあ高いのが日本に到達しているとか。気象庁あてにならんと思い太平洋津波警報センターを見ると、あちらが出してすぐに津波警報を出したみたい。思い立って「tonga tsunami」で検索すると、全然まあまあではない津波が起こっていた模様。海辺のヤシの木に波が強く押し寄せている動画はパッと見、2004年のプーケット島に大津波が来た時の画像にも見えるけれど現在のことだった。トンガの王様も避難した、という。
すごい噴火としか言いようがない。色んな人がリツイートしている情報が過去のものだったり、間違ってはいないけれど定かではないソースが多くてまあまあカオス。
気象庁はなんだろね。お天気のことでは本当に有能。人手がないのにやれるだけのことをしているとはわかっているし、地震や噴火はいまだに予想の立てにくい災害なのだけど、後手に回ってるように見えるの、なんなのかしら。私は熊本地震以来、気象庁の言う地震の発表はデータしか信用していない。この人たちが言う情報に熊本の人たちはかなり翻弄された、と思っている。阿蘇の噴火も全然納得のいかない基準で判断されるのを見て驚いてきた。信頼出来る海外の機関や研究者・興味を持って動いているウォッチャーたちの方がまともでよっぽど信用なるので自分で一次情報も当たりつつ見ている。私がこんな感じなのは、まずこっちのことが好きな上に、大学の専攻に必要で一般の人よりは深くやったからであって、大多数の人がこうではなく、気象庁頼みなのにこんなに頼りにならないのが不誠実に見えてならない。報道もTwitterより遅いのは時代なのか。これからは良い情報は掴んだもの勝ちで、いかにつながる通信を確保するかが運を分けるようになっていくのかもしれない。それは十分にディストピアだし、戦時中と変わんないんじゃないの?と思う。私はすでに産卵後の、川縁にひっくり返って虫の息の雌鮭で、あとは死ぬばっかりの歳なので気楽だけど、こんな時代に子を生んでしまった。せめて生き残れるように伝えられるものを伝えるしか無いな、と思う。
テレビは夜中にも関わらず大騒ぎしているけれど、私のところには地形的に津波被害はありようがないので寝ることにした。オットにはトンガ人の一家はここにいるし、本国の心配は私たちのすることではないと言っておく。独自の特殊な情報を見つけたら知らせるつもりではあるものの、自分に関係のない災害はよそのこととして距離をおいて(もちろんなにか出来ることはないかと気にかけるけれど)、身を守るべきと思っている。熊本地震の時も、関係ないところのやつは騒がずに、まずはよく寝て健やかに過ごしてくれよ、と思ったもの。今は私たちが当たってしまったけれど、誰もが当事者になるのだし、気の毒がらずに災害ハイにならずにいてくれよ、と。