どちらが常識か
まずはじめに、
私は世間一般の常識(と呼ばれるもの)から外れている人間であり、
日本社会不適合者の自覚があることを、はじめに断っておきますm(_ _)m
昨年の3月某日、私の勤める小学校で
卒業式が行われました。
私は教師ではなく支援員という立場でしたが、
一年間共に過ごした子どもたちが巣立っていくのは、正直、嬉しいというより、寂しい悲しいという気持ちのほうが強かったように思います。
それに加えて、
私には合唱の伴奏という大役も抱えており、
当日は寒さと寂しさとプレッシャーとで、かなりナーバスな状態になっておりました。
そんなとき、1年間、一度も話したことのない女の先生に呼び止められました。
「浅倉先生…?」
「はい」
「その格好で出るつもり?」
「はい」
「ありえない…
私の貸そうか?何考えてるの?」
「…」
「あなたには常識がないの?常識ってものを知らないの?
式典には膝が隠れるものを着るのがジョーシキでしょ!!」
「…」
私は黙って俯いていました。
この日、私は膝上のスカートスーツを着用していました。
確かに、ちょっと短いかな〜とは思ったのですが、
元教師の母に相談しても『令和やし問題ない』とのことだったので、これで行くという判断を下したのでした。
私はこの件について、何度も何度も考えました。
確かに、卒業式に膝上のスカートを履いていった私に問題はある。
でも、あの思い出すのも嫌なくらい意地悪な顔をしたあの先生には、何の問題もないんだろうか…。
私は、屈辱を感じていました。
そして何日かかけて、この件について引っかかったことを頭の中で整理しました。
その中でいたった結論が3つあります。
ひとつは、
『ジョーシキ』という言葉です。
【常識】健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。Oxford Languagesより
私が言いたかったのは、こういうことです。
確かに、卒業式に膝上のスカートを履いていった私は、ジョーシキがなかったかもしれません。
けれど、今さら言ってもどうしようもないことを、誰からみてもナーバスな状況に在る人に、公衆の面前で言い伏せるのは、果たしてジョーシキですか?
次は、
『誰のためにこれを言ったのか』
ということです。
例えば、主役は卒業生なのだから、職員が目を引くような格好をしてはいけないという考えなのか、
保護者が良い顔をしないからなのか、
それともただ単に私が気に入らなくて腹が立って頭ごなしに言ったのか…。
そして、3つ目は、
お前、誰やねんっていう話です。
自分が学生のときからいつも思っていました。
偉そうに突然叱り飛ばしてくる教師がいたけれど、
「てゆーか、お前、誰??」
なんです。
信頼関係がゼロの人からいきなり指図されたり注意されて、素直に反省できる良い子は、一体世の中にどれくらいいるでしょうか。
そして、例え信頼関係がなくても、
"わかってもらう目的"があるのだとすれば、
自分の苛立ちをぶつける言い方でなく、
理解されるための言い方をしなければ、
何の意味もないということです。
これらのことは、私の中ではジョーシキなのですが、
どうもズレがあるみたい…。
あーん!
生きづらいよ〜(T_T)