上高地紀行
トンネルを抜けると、それまでの木々の雰囲気の違いから直感的に「上高地に着いた」とすぐ気づいた。
しばらくするとその直感を裏付けるように、残雪をまとう穂高連峰の姿が見えてきた。練乳をかけたチョコアイスのようだった。4年半ぶりだ。上高地バスターミナルで降りると、さすがに冷えているなと感じた。松本市街地の日中の気温は、関西と変わらないくらいの陽気だったが、陽も傾き始める時間だったのもあって、中綿のジャケットを羽織った。
中日新聞上高地支局の建物を横目に、ここで上高地の天気と動植物の目撃・開花情報だけをただひたすら伝えるだけの支局員になりたいと夢みながら、河童橋へ向かう。新緑の巨大な翼を大きく広げるようにして穂高は座していた。なぜか「戻ってきた」と思った。同じ旅先にもう一度きたからといって、そうは思わないはずなのに。
雪の残る峰々は、アルプス感があって好きだと思った。山の峻険さを滑らかにするように谷間を埋めていく雪。それが融けたのが沢に流れ込むので、秋に訪れた前回より川の水量が多かった。
着いてすぐに、チェックインをした。熊が最近多く出没しているからなのか何なのかバーベキューは18時30分までとのことだった。急いでケビンに荷物を置いて、売店で肉と少しの野菜を買った。ケビンにはキッチンがあるので、そしてバーベキューができる時間も短いので、カレーの具材も買った。早速レンタルのバーベキューセットで用意をはじめた。お肉は冷凍されている。網の隅で解凍しながら焼いた。空気が澄んでいるので、肉の香ばしい匂いが際立つ。山で吸う煙草がうまいのと同じ原理だ。街中の淀んだ空気の中じゃ、どちらが煙なのか分からない。新鮮な空気に包まれてこそ、煙そのものを味わえる。フレッシュな空気をつまみに、煙を吸うことの贅沢さ。肉との逢瀬は、まず鼻で。次に味覚で。その上をビールが流れる。煙草を吸う。ふう。
ケビンへ戻ると、ほぼ間髪を入れずにキッチンに立つ。ビールロング缶×2を摂取しているので、横になったが最後どうなるかはわかりきっていたからだった。もっとも寝たっていいはずなのだが、上高地へきてすぐ寝るのももったいなく思ってのことだった。タマネギをカラメルになるまで火を通し続け、そこへ手羽先をじっくり煮込んでじゃがいもも煮崩れしない程度に火を通したシンプルなカレーライス。こう書くと何だか美味しそうに感じるが、実際は水っぽくて味が薄かった。でも、「カレーは人ではなく、時間がつくるもの」と言ったのは誰だったか自分だったか、カレーは煮込んだ瞬間から食べるものではなく、放置プレイが重要なことは誰もが知っている。作った夜のうちにカレーを食べるというのは、まだ調理中の未完成を食べるに等しい。だから、「我が家の隠し味はコーヒーの粉」とか「醤油」とか言っていないで、我々がすべきことは、餌を目の前にして飼い主にいったん「待て」を食らうワンちゃんのように、我慢すること。最後の仕上げは、何もしない、だ。レトルトカレーは数多あるが、調理手順の最後に「一晩我慢する」を付け加えたら、その真面目さとけなげさが話題となり売上アップ間違いないのでいっこくも早くどこかやったほうがいい。
今日カレーが食べたいのなら、昨日作らなければいけない。と書くと、カレーがSFっぽくみえてくることはともかく、水っぽいからといって私はカレー作りに失敗したのではない。調理中のカレーを多めに味見したに過ぎない。この水っぽさだったら、明日にはちょうどよくなってるはずだと確信する。
テレビを見ていると寝てしまった。22時前だった。もったいないとか言いながら。途中で目が覚めた。部屋の中は真っ暗だった。でも、山の陰だから暗いだけで意外と良い時間なのではないかと思い、時計を見ると2時過ぎだった。朝日に照らされる穂高を見たいと思っていたが、さすがにまだ早いと思いもう一度寝ようとした。でも、しばらく寝付けなかった。ケビンの窓のすぐそこは茂みになっていて、もしかしたら熊がいるかもしれないと思った。朝日を見に梓川沿いに出るまでに熊と遭遇したらどうしようかと考えた。どこが急所なのか。やっぱり逃げた方がいいのか。そもそも足の速さ的に逃げられるのか。ナイフのような爪で殴られたら局所的に肉が吹っ飛ぶというのも聞いたことがある。こういう空想がバブルのように脳内を埋めていく。熊という物理的存在はもちろん恐ろしいが、熊がいるかもしれないという不在も恐ろしいと思った。いるかもしれないという状況の方が、むしろ存在感が感じてしまう。自分は現に、熊の妄想に取り憑かれていた。
いつの間にか眠っていて自然と目が覚める。閉めていたカーテンを少し開けると、明かりが差し込んでいた。6時前だった。上着を着て、外に出た。風が木々を揺らす音、森をドームにして唄う鳥の鳴き声を全身で浴びる。梓川に近づくと、石を洗うような勢いのある音が聞こえてくる。川辺まで出たが、しばらくは振り返らずに川の流れに沿って歩く。ここだと思う地点まで歩き、ようやく振り返った。昨日は隠れていた穂高の頂が、朝のぼんやりとした光の中にいた。太陽は向かって右手の山の後ろに隠れていたから、光が弱く立体感をあまり感じられない不思議な像を結んでいた。
ケビンに帰り、鍋を覗くと良い感じにカレーの水分が抜けていた。というか昨日はルーを溶かした液体だったのが、今朝はルーと水が馴染みちゃんとカレーという1つの存在に融合している気がした。時間を置くことで、ちゃんと原子と原子が結びついた感じ。これでようやく完成。せっかくなので外のテーブルで食べた。おいしかった。もう人生で後悔はないわ、と大きな仕事をやり遂げた感覚。
チェックアウトを済ませ、岳沢湿原の方へ向かった。河童橋から十数分と近いところにある湿原。ビュースポットとして川に少し突き出たウッドデッキで20分ほど佇んだ。手前は川で奥は立ち枯れの木が集まっている。風が通ると、水面に線を引くように光が反射する。川を走る生き物みたいだった。そのとき、いま風が見えたんだ、と思った。ささやかなそよ風。都会でも、風になびく店ののぼりやビル風の風圧により、風は感じられるが、それはどちらかというと瞬間的だけれど、今感じたのは風のシーケンスだった。コマ送りのように瞬間の連続として風が水面の反射光として、視覚的に姿を現した。人生の中で、こんなもの見たことがあってもおかしくないはずなのに、なぜかとても新鮮に感じた。ほとんど初めて見たようだった。
このまま梓川右岸の林道をゆき明神池へ向かった。岳沢湿原周辺は小さな川がいくつかあり、水たまりも多く一帯が湿度の高い環境だった。でも、ジメジメしてはなく、水たまりにも澱みがない。倒木から流れ出る栄養がとけた水は命のスープみたいでとても透き通っていた。土、苔、新緑、落葉、倒木を見ていると、ひとつの生物の中の細胞のライフサイクルのように、各々がうまく循環しているように感じた。
1時間ほどで明神池についた。前回訪れた時は、水面は幕をピンと張ったように張り詰めていたけれど、今回は風の影響か水面には模様ができていた。着いたそばから一番奥の方まで歩いた。今はなき三之池があった場所。いま明神池には一之池、ニ之池しかないが、昔は三之池まであったという。土砂崩れで埋まってしまったらしい。上高地にはそうした自然によって生まれ、あるいはなくなったものがいくつかあるらしい。代表的なのは大正池。大正4年の焼岳の噴火により梓川が堰き止められて生まれた。一方、『名作で楽しむ上高地』(大森久雄編・ヤマケイ文庫)を読んでいると、こうある。
大正池が出来る前の容子は私は知らない。ここを最初に訪れたのは昭和になってからだが、水の中の枯木は三十年前に比べたらすっかり少なくなってしまった。それに絶えず大雨は土砂を押し流して来て、池をどんどんせばめている。去年焼岳から見た時、やがてこれを大正池と呼ぶことの出来ない日が来ることを知った。それは梓川の、ただひろかったところにすぎないものになりつつある。(『初夏の上河内』串田孫一)
いまでも大正池近辺の立ち枯れの木は見ものだがその数は減ってきており、大正池自体さえ存亡の危機を案じられている(シーズン終盤の11月に東京電力が浚渫(=土砂の除去)を行い、景観が保たれている。とはいえ、実際100年前と比べると面積は半分以下にまで小さくなっているという)。自然に生まれ、自然になくなろうとしている大正池。他にも、『ネイチャーガイド さくらの上高地フィールドノート』(株式会社五千尺)を開くと、「豪雨の痕跡」として、岳沢湿原に、陸上に橋が架かっているポイントがあることを紹介している。その橋の下にはかつて川が流れていたが、2006年の豪雨により埋まってしまい、川の水路が移動したのだ。
世間では、都市部の再開発により、昔の街並みや景観が失われることを嘆かれている一方で、自然の景観には変化がない(あるいは変化のスピードが都会と比べ遅い)と思っているきらいがある。足を延ばせば、あの時みた風景にいつでも戻れると思いがちだ。自分自身がそうだった。でも、そうではなかった。自然も刻々と姿を変えている。それは、都市の再開発によって感じるものとはちょっと違うなんともいえない思いだ。都市の変化は人為的なものだから、「なぜ壊すんだ」と理由を問うことができるが、自然の変化に対しそれを問うことは無意味であり、そもそもその問いに誰が応えてくれるのか。怒りをぶつける対象がない。ただそれはそうとして淡々と目の前の現実を受け入れる他がない。
明神池のニ之池に戻る。枯山水庭園の白砂をそのまま水に代えたように、岩の島(山)がいくつも立ち並んでいる。公式サイトには、「自然がつくった造形美」とあるから、そうなのであろうが、計算の上ではないかと思えるほどにバランスよく配置されている。岸辺の木々の葉の裏には、水面に反射した光がプロジェクションマッピングのように投影され、虹色のまだらがたゆたっている。枯山水もプロジェクションマッピングも、人間より自然の方が先にやってたんだと思った。
短い上高地への旅は終わった。関西の自宅に帰ってくると、渓流の音は車のエンジン音に代わり、鳥の鳴き声はアスファルトでタイヤが擦り切る音に変わった。窓から眺める散り散りの雲が、残雪期のアルプスに見えもした。ここが自分の家であることを受け入れるのに時間がかかった。小学生の頃、転校してきた時の気持ちに近かった。
自宅に戻ってきた時よりも、上高地へ着いて穂高連峰を眺めたときに、「帰ってきた」と思った。前回訪れてから再び上高地へ足を運ぶまでの4年半が、むしろ長い旅だったかのように。
あゝ上高地帰りたい。