ドイツに勝利し、美魔女ICUから生還

2022.11.27
ワールドカップで日本がドイツに勝利した。私はドイツ企業に勤務していた折、プーマジャパンと一緒に仕事をさせていただいたので、今回のことは
感慨が深い。当時のプーマジャパンの社長は原田さん、マーケティングの
取締役は矢島さんだった。みなさん、びっくりされていると思う。
原田さんは、プーマの日本法人を設立された方で、プーマの商標、ブランドに対する思い入れの深い方だった。当時私は時計メーカーに勤務していた。
親会社がプーマAGからライセンスを取ったので、日本法人に挨拶に
行ったのが始まりだったが、同じプーマのブランドだからということで
商品発売に至るまで、ずいぶん親切にしていただいた。
要は宣伝費用をかけずにただ乗りさせていただいたのである。
原田さんが、大沢商会に入った時の会長は白洲次郎だった、
またジャーディンマセソンに勤務していた時には、安田財閥4代目と一緒に働いていたということで、このうえもなく上品で温厚な人だった。
彼は海外留学の経験はなく、英語はスポーツと同じで反復練習で
身に着けた、本当は新聞記者になりたかったのだが、全部落ちた。
季節外れの学生課に大沢商会の求人票だけが来ていて商社マンになった。
大沢商会は経理がいいかげんだったので、ジャーディンに転職し、イギリス式の会計を身に着けたのが転機になったと話されていた。
スポーツの効用としては、自分のエゴはいつも満たされないことを
知ることだと話されていた。
しかし日本がドイツに勝つとは。信じられない。
サッカー部だった弟は試合の前は、「まあ、無理でしょう。」と話していたのに、翌日は「みんなヨーロッパで働いているので驚くようなことではない。」とすましていた。

ドイツに勝った翌日、無事ICUから生還してエレベーターからストレッチャーに乗ってきた母にあった。安定したので転院するのである。
母は額の上を何針も塗っていた。腫れはひいており、どんな形成外科医もこんなにきれいに切開できないというカーブの傷跡が、額の上にきれいに残されていた。そして眉間のしわとタコしわが奇麗になくなって、20歳若返るというか、血色の良い美魔女になって還ってきたのであった!

介護タクシーに載せられていた間、顔が乾燥していたので、私は持っていた
化粧水とクリームを、友達がそうしてくれたように塗ってあげた。
美人の誉れ高かったが、87歳になってますますきれいである。60くらいの時の印象に戻っていた。高須先生もびっくりである。
お母ちゃん、また一花咲かせられるわと妹がいう。

介護タクシーから降りて、病院につくと、彼女は処置室に連れていかれた。
「ご家族様どうぞ」と看護婦さんに導かれて、診察室の引き戸があくと、
なんとお医者さんは若い時の高橋一生にそっくりである。
ドアが開いた瞬間、美人の看護婦さん2名を両サイドに従えた
先生は、月光菩薩、日光菩薩を従えた薬師如来のようであった。
薬師如来は、妹が話をするとうんうん、とうなづいてくれるのである。
手が白くて細い。なんということだろうか、こんなイケメンに看取られるなんて。ぼーっとして部屋からでてきて、待合室で神戸新聞を読んでいた。
日本勝利の報道が写真入りで華々しく掲載されていた。
私は活字を見ているときの集中力が強くて、何も聞こえない。
そばに看護婦さんとさきほどの医者が説明に来て下さったのがわからなかった。
新聞から目をあげると、先生と目が合った。
「日本勝ちましたよね。私は三菱ダイヤモンドサッカーから、ベッケンバウアーの時から知っているんですが、真面目に努力すると
こうなるんですねえ。」とわけがわからないことを言った。
若い先生はにっこりとして、「すごい」とひとこと。
もう老後は加古川に帰る。このあたりは大手企業の創業者が地元に還元しているせいか、裕福なところである。また人もあたりが優しい。
弟も兼業農家だから、キヌヒカリももらえるだろう。

日本勝利の翌日、母は生きて美魔女になって還ってきた。医者も生命力なんでしょうね、と驚いていたのだが、闘病生活が長くても心配がないように、きちんと蓄財していた。 私の不安は消し飛んだ。
彼女の娘だという自信と、このまま働いて、無謀な投資をしなければ、
何も心配はいらないわ、ととても安心して東京に戻ってきたのだった。


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