
借りパクしてた漫画を買い揃えた
『それでも町は廻っている』を読んだ。
商店街の喫茶店でアルバイトをする女子高生 嵐山歩鳥を主人公に据える石黒正数の大傑作。
商店街の何気ない日常に、ミステリーや超常的な要素。死後の世界や宇宙人も平気で存在する世界で、これらもあくまで日常の一部として描かれる。
例えるなら、人の死なないミステリー『氷菓』とSF(すこしふしぎ)『ドラえもん』を合わせたような。以下ちょっとネタバレ。
◆
特に好きな話が111話『夢幻小説』。
歩鳥が突如自分の存在しない、生まれてこなかった世界に飛ばされる回。
歩鳥がいつものように喫茶店で駄弁っていると突然歩鳥の意識が飛び、そこは自分のことを誰も知らない同じ喫茶店。
歩鳥の妹ユキコには自分に名付けられるはずだった歩鳥という名前がつけられている。自分が名付けたはずの実家の犬には違う名前が付けられている。先輩は第一志望大学に合格している。友達は意中の人とめでたく付き合っている。元いた世界との間違い探しをしていくうちに、世界は自分を必要としていないと思い、恐怖と悲しみを募らせていく。
ここでキーになるのが、門石梅和という推理小説作家。
実はこの門石梅和の正体は、商店街の古道具屋の店主 亀井堂静であり、歩鳥にはねーちゃんとして慕われている存在。静は歩鳥の幼少期から大きな影響を与えていた人物であり、歩鳥が推理小説を好きになったのもその影響だが、歩鳥には小説家としての正体は隠している。
「あたしは自分で書いた小説をそうとは知らない自分に読ませたい
それで素直な感想を聞いてみたい」
自分が書いた小説を読んでくれる自分
自分が書く小説を見つめる冷静な自分
それを具現化したような目…
自分のような他人
他人のような自分
そんな目に見られながら書いたらどんな物が書けるだろう
高校時代、こう考えた静はまだ小さい歩鳥を自分の生き写しのように育てる。自分が書いた小説を読ませては主観的で客観的な感想を得る。晴れて自分のような他人・他人のような自分である歩鳥を作り上げた静は、門石梅和としてデビューする。
つまり、歩鳥の生まれなかった世界には門石は存在していない。迷い込んできた歩鳥の言葉で、自分は小説家になれるということを知った静が、門石梅和の名で小説を書き始めた瞬間、歩鳥は元の世界に戻る。元の世界に戻った歩鳥には一連の記憶はない。完。
これはパラレル世界にエラーが起きて元の世界に戻ったと考えられるし、世界が歩鳥の存在する世界に再構築されたと見ることもできる。その再構築が起こった鍵こそが、門石梅和。だとしたら、今の歩鳥は門石梅和のおかげで存在しているということになる。そして逆に、門石梅和という小説家も、歩鳥がいなかったら存在していなかった。
余談だが、このとき歩鳥は商店街を台風から救っている。(それが原因でパラレルワールドに飛ばされた。)(??????)その先でまた、商店街の住人である静が歩鳥を救う。静の自分勝手にも思える行為が自分自身、ひいては世界を回す。
物語は日常的に、至って平熱で進む。
そこに謎や超常を巻き込みながら。
日常とは現象であって、常に起こっているのだ。
フィクションは世界の見方を変えてくれる。
石黒正数はいつもこんな日常があったらおもしろくない?と語りかけてくれる。
◆
なんとなく疎遠になっていた友達と連絡を取った。
俺が社会からドロップアウトしたときに、途切れてしまった人間関係のうちの一人。
そいつから借りたままの漫画が部屋の本棚にずっと並んでいた。本棚を見るたびに借りっぱなしだったことを思い出す。そのたびに千切れてしまう前の日々を思い出し、千切った自分を悔やんだ。当時あいつは好みに合うだろうと思って貸してくれたんだろうか、いつしか最終巻まで買い揃えてしまった。それは大好きな漫画のひとつになった。
借りパクしてた漫画を買い揃えた。全巻揃ったそれは途切れた日々を肯定してくれるようになった。止まった時間を動かすことを許してくれている気がした。
電話してみると、何も無かったかのようにそこにはあの頃が続いていた。何年間かでお互い変わったことがあっても、関係は変わってなかった。
借りパクされていたことを奴は覚えていた。買い揃えたこと、大好きな漫画になったことを伝えると、「もう返さなくていいよ。元取れたから」と言った。そんなの、一生友達でいたいだろ。
◆
きっとそれは漫画を借りたことじゃなくてもよかった。一緒に行ったあの場所は今では駐車場になったこと、一緒に観た映画の続編が駄作だったことでもいい。俺たちがはぐれていた時間にも、生活は続いていたことを確かめるだけでいい。
友達でいる日々は、いつかまた友達に戻るためのきっかけを作る日々かもしれない。
確かにあった日々を辿ればいつでもあの日に帰れる。過去の全てが俺を生かす。
はぐれてしまった過去の友人やまだ出会っていない未来の友人の生活が俺の見えない部分で確かに続いている。その喜びだけで生きていく理由になる。また誰かと会う日のためにそれまで一人で生きるんじゃい!