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コロナ前提経済
2019年12月に中国/武漢から始まった(とされている)、COVID-19と呼ばれる新型コロナウイルス感染症。
このコロナウイルスは、今も世界中に蔓延しており、発生から約5カ月が経過しようとしていますが、いまだ終息の目途は経っていないのが現状です。
そのような、コロナが発生し、世界に広がっていく中で、コロナに対しての、いろいろな見方が出てきているかと思います。
例えば、
・アフターコロナ
・ウィズコロナ
私が経営者だからなのか、
コロナが終息した時のことを考えて、今からアフターコロナを意識したコミュニケーションが大切である。
コロナに感染しないためのウィズコロナ対策を考えて、事業をどのように運営するかを考えていく必要がある。
なんとなく、この手のフレーズの話をよく耳にします。
ただ、これって、すごく違和感を感じるんです。
その違和感とは何か?
それは、コロナが終息・収束することが
前提になっている表現が多いということ。
ちなみに、
コロナって本当に終息・収束するんですか?
コロナウイルスが発生して約5カ月。
世界への広がりは見せるものの、今だ終息・収束の目途は経っていない。
無論、終息・収束の確証もない。
そんな中、
コロナが終息した時のことを考えて、今からアフターコロナを意識したコミュニケーションが大切である。
コロナに感染しないためのウィズコロナ対策を考えて、事業をどのように運営するかを考えていく必要がある。
と考えることに違和感を感じるわけです。
人って、長い歴史の中では、
少なくとも私が生きてきた40数年間の歴史においては、いろいろな災害や天災等の苦難が起こったとしても、その災害や天災等の苦難が起こる前の状態に、長い月日を費やしたとしても、戻している実態があります。
だからなのか、
このコロナの騒動を、コロナの前に戻ることを前提に、捉えている考え方が圧倒的に多い。
けど、そんな確証はどこにも無い。
このコロナの発生と、一連の騒動を、どのように捉えるのかは、これからの経済を考えていく上で、大切な視点になるのだろうと。
ダーウィンは、
最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。
と言っています。
今の日本人。
むしろ、今の地球人って、変化できる種族なのだろうか?
これって、まさしく、ゆでガエル状態なのではないか?
戻る確証もないのに、戻ること前提で生活や経済を捉えている。
戻ること前提のゆでガエル。
いま、戻らないことを前提に、
ビジネスを再設計している会社が、
どれくらいあるだろうか?
変化できる種族だけが、生き延びる。
それくらいの騒動なのではないか?