地域コミュニティ運営が越境学習になった話
こんにちは!あーちゃん@昭和企業でRPAです。
今日お話するのは「越境学習」について。
越境学習とは
ホームとは普段自分が所属している組織を指します。会社員であれば、一日の大半を過ごす会社となります。組織の目的、業務、文化、人などもよくわかっており、勝手知った場所。
一方のアウェイとは新たに参加する組織を指します。例えば取引先に出向する、というようなケースです。仕事も人もまったくよくわからない、という状態からスタートすることになり、なにをするにも気を遣う、勝手がわからない、というのがアウェイとなります。アウェイ組織となるのは仕事で関わる組織だけではなく、プライベートで参加する町内会、PTA、ボランティアなども当てはまります。
越境学習の詳細はこちらの記事がわかりやすいので参照してください。
なぜ私が越境学習について話すのか
私は16年ほど地元製造業で事務職をやっていました。勤務先は古き良き昭和企業でお茶出し、女子制服、紙の申請書にハンコ必須という状況。仕事の効率を上げたいとRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)を独学、2年間社内導入に孤軍奮闘しました。
昭和な会社のRPA奮闘記① 1~6ヶ月|あーちゃん@昭和企業でRPA|note
登壇やインタビューで「苦難の日々を乗り越えられた理由は?」と聞かれ「会社を変えたかった、自分も変わりたかった」と答えながらも、なんだかもやもやしていました。
2年間爆走できた理由が他にもあるのでは。
越境学習という言葉を知り調べたり本やセミナーに参加してわかりました。
私は「越境学習」体験があったら乗り越えられた、のだと
アウェイで学んだこと、成功体験があったからこそ、ホーム組織でも絶対できるはずだと強い信念で向き合い続けられたと。
越境先
ホームは勤務先である地元製造業。勤続4年が経過し社内の状況も把握できているという実感がありました。アウェイとなったのは地域コミュティ(子どもにプログラミングを学ぶ場を提供することをミッションとしているボランティア組織)です。IT関係者が多く所属する組織で日本のみならず、世界的ネットワークを持っている組織です。関係者が各地にちらばっているという状況から、コロナ禍以前からオンラインコミュニケーションが活発でした。
越境先となるコミュニティを知ったのは、ネット検索。イベントに子どもと参加し驚きました。こんな質の高いことをボランティアで提供しようとする集団がいるのかと。
当時の私には子どもにプログラミングを教える技能はありませんでした。でも運営者の条件は「場作り」ができること。出来そうだと思いました。
当時の心境を振り返ると会社内では熱意を持って仕事をするも、空回りすることが多く、自分の居場所を探していました。社会の役に立ちたい、という気持ちを受け入れてくれ、一歩を踏み出すことを進めてくれた地域コミュニティに対して、ここを私の居場所にしたい、と感じはじめていました。
越境中
コミュニティに申請を行い、居住市の運営者となりました。毎月子どもたちをあつめて、ワイワイプログラミング。知名度0で参加者0人のときもありましたが、田舎のプログラミング好きな子たちに集いの場を作れているという充実感に満たされていました。
全国の運営者コミュニティにも参加しました。しかし、飛び交う内容がハイレベルすぎて・・・とても温かく迎えてくださったのに、投稿やミーティングに参加する勇気がでなくて、眺めているだけの状態が半年ほど続きました。
ある日、住んでいる「愛知県でカンファレンスを開催予定、企画会議参加してください」との案内がありました。総務だし、会場設営、撤去、ゴミ処分などでお手伝いできれば、と参加しました。
するとまさかの「係」指名を受けてしまいました。かなり軽めの係でしたが「リーダーとしてメンバーをまとめたり、関係チームと連携してください」と言われて震えました。
準備はオンライン上で進行していきました。仕事ではメールやExcelメイン。グループウェアやチャットなんて触ったこともありません。
Slackを開くたびに膨大なチャットに震えました。オンライン会議に参加したはいいが、マイクがONにできないことも。
開催1ヶ月前になると準備は佳境に。迷惑をかけるわけにはいかない、役割を全うしたいという気持ちが自分の殻を割ってくれました。
チャットで各チームに質問を投げたり、ミーティングを進行するようになったのです。
イベント当日、多少の混乱はあったもののインカム(Discord)を駆使し切り抜け「ファインプレイだった!」とメンバーにいってもらえました。
こんなハイレベル集団の中で自分にできることはない、と思って萎縮していましたが、役割が果たせたこと、また仲間として受け入れてもらえたこと、本当に嬉しかったです。
愛知県内の運営者とは気楽に話せるようになり、その後やってくるコロナ禍では、オンライン上で合同開催するなど新たな企画を進めることができました。
アウェイで学んだこと
ホームでは電話と手帳とペンなしでは仕事できないほどのアナログ環境でした。一方アウェイでは数百人規模のイベントをオンライン上で日本中の会ったこともない人たちと協力して成し遂げました。
ITツールを活用すればオンラインでも仕事はできる。目的が共有できれば人は前向きに動くという実体験は大きな財産となりました。
また、ホームでは評価されない状況が続き、自分にも問題があるのではと自信喪失状態でした。しかし、アウェイの組織では役割が果たせ、評価を受け、個人としても受け入れてもらうことができました。会社外でも自分がそれなりに通じるという感覚を持てたことは大きな収穫でした。
「ホームの状況(特にIT活用)に疑問感じている自分がおかしいわけではない。ホームにも変わるべき部分があるはず」という思いが増しました。
ホームで学びを活かす
コミュニティで使用したITツールを会社で少しずつ活用していきました。
デジタルアンケート、Webミーティング、チャット、カレンダー共有、動画配信など。便利さを実感してもらった上で社内稟議にかけ導入を進めていきました。
しかし、チャットに絵文字で返信したら課長に呼び出されたり、取引先とオンラインミーティングしていたら「不審な行動をしている」と会議室の使用を禁止されたり・・・
もっと価値ある仕事をスピード感をもってしたい、と真剣に取り組んでいるのにどうしてこんな目に合うんだろう・・・とショックを受けました。
でも、アウェイでの成功体験があったので必ずいつかわかってくれると希望を持ち続けることができました。1年ほど経つと「ITツールって便利だね。こんなことできないかな?」と相談にくる社員も現れ、活動が盛り上がっていきました。
うまくいかなかったことも
越境学習者がホーム組織で変革人材として活躍するためには「正統的周辺参加」が必要だそうです。ノンプロ研主催のタカハシさんが越境学習について解説しているこのスライドをみた瞬間、自分はこの状態が作れなかったのかもしれない、と思いました。
IT活用の取組みは会社に評価されている実感はありました。しかし、私個人の評価は改善せず、IT活用の道半ばで会社を去ることになりました。
越境学習の主体を個人に任せてしまうと、離職するリスクを高める可能性がある、ということが言えると思います。
伝えたいこと
越境学習体験を振り返って感じることは、従来からある知識、技能を習得する学習とは次元というか種類が違う学びだということです。アウェイに入った瞬間、まるで新入社員になった気分になります。何をするにも様子を伺い、一歩一歩確かめながら進む。一方、特に意識することなく流れていくホームでの時間。行き来するうちにある日突然気付くのです。当たり前って、これが適切ってなに?と。
気付いた瞬間、ホームの見え方がガラリと変わる。そしてホーム組織に対して当事者意識がある人ほど深い葛藤の渦に飲み込まれていくのです。その葛藤が深ければ深いほど、組織を変える原動力になるような気がします。
越境学習をする機会はたくさんあります。私は自分のスキル習得をしたいIT分野の地域ボランティア活動を選択しました。
個人主体の越境学習は会社から選抜されるのを待つ必要もなく、自分の意思で好きな時にできます。
またアウェイでうまく活動できない、という葛藤は「係」を引き受けることで解消できました。一度も会ったことがない、未知の集団に入っていくのは早々できることではありません。越境学習の効果を高める一つの方法として参考にしていただけると嬉しいです。
最後に
この記事を読んで「あれ、私いま越境学習中かも?」と感じた方もいらっしゃるのではないででしょうか?あなたがいま感じている葛藤は越境学習という視点で見ると意味のあるものになるかもしれません。
ぜひ越境学習を知り、その葛藤を学びへの原動力に変えてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。スキしてくださると執筆の励みになります!また感想やお気づきの点をぜひコメント欄やTwitter(@aachan5550)でいただけますと嬉しいです。
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