価値観の怖い話(これぞほん怖)

「田舎にいる人間は
娯楽が少ないから
結婚も早いし子どもも多い」

これの本質を見た。

とあるXのフォロワーさんの投稿で

「田舎には娯楽が少ない
→インプットが少ない
→選択肢が少ない
→許容の範囲が狭まる」
(要約)

と言う投稿を見た。

そこで私は師匠と話したことを思い出した。

「私からしたらその年で
子どもを持とうと思えたことが
すごいもんな〜」

先日、師匠と話した時に
こんなことを言われた。

私は

「そんなすごい気持ちを持って
子どもを産んだわけじゃないんだ。
1人目の子には申し訳ないけど」

と、その時の自分の気持ちを思い出した。

1人目を妊娠した時
私は田舎に住んでいた。

なぜ、子どもを持とうと思ったのか。

それは

それがステータスだから。

その当時付き合っていた元夫は
そこの土地でそこそこ顔が広い男だった。

後輩に会えば
「〇〇君!」
と挨拶をされ
先輩に会えば
「お、〇〇」
と外に出れば誰かしらに声をかけられる人だった。

今は、田舎と都会の中間のような土地に住んでいて
土地柄なのか、現代の流行りなのかはわからないけど
「ヤンキー」を見ることは少なくなったけど
私の過ごした中学生・高校生期はまだヤンキーがいた。

私の過ごしてきた田舎で
男の強さはステータスだった。

元ヤンで今でもそこそこ顔がひろい
そんな男がよくモテた。

その当時の私の価値観は
強い男と結婚して子どもを産む。
そして家を買って車を買って
休日には家の庭で焼肉をする。
これが最上の幸せと信じて疑わなかった。

これをマイルドヤンキーの幸せと
ここでは呼ぼうと思う。

強い男の横にいる女。

これに強いアイデンティティを感じていた。

貧困家庭でバカにされることがあった。
そこから「舐められてはいけない」
そう学習した。

舐められないためにどうするか。

手っ取り早い話
箔をつければいい。

当時の私は
たくさんの偽物の箔にこだわっていた。

箔をつけるために人と違うことをやってきた。

強く見える化粧。
高校を中退。
10代でスナックで働く。
同級生よりお金を稼ぐ。
強い男と付き合う。

今思うと一貫してる行動だけど
とんでもなく狭い価値観で生きていた。

話は戻って
当時、元夫と付き合っていた頃
元夫の友人周りが妊娠して結婚しだした。

そこで私が思ったことは
「あ、このままでは負ける」
これです。。

とんでもない狭い価値観の私は
上にも書いたように
マイルドヤンキーの幸せを信じて疑わなかった。

幸せの度合いとして負ける。

そう思った。

人に負けると言うことは
舐められると言うこと。

よし、子どもを作ろう。

ね、全然すごい気持ちで子ども産んでないでしょ。
むしろ浅はかで怖すぎる。

Xの投稿で見るような
「子どもにこのくらいのお金がかかる」
「仕事も続けたい」
「子どもは絶対に幸せにしてあげたい」
そんな気持ちなんて、妊娠する前はなかった。

自分には何もない。
学歴も、綺麗な容姿も、太い実家も
その土地で通用するような知名度も
何もない。

だから、強い男の子どもを産んだら
人より優位な位置に立てる。
何者かになれる気がする。

そういった自分本位な気持ちで
子どもを産んだ。

子どもを産んだ後に
子どものかわいさを知って
子どもの幸せを考えるようになって
このままではいけないということがいろいろあって
元夫とは別れて今に至る。

1人目に申し訳なさはあるけど後悔はない。

そう思うけど
今でも田舎ではそういった価値観の人が
まだ多くいると思う。

「ねえ、〇〇に家マウント取られたんだけど」
「今のご時世、持ち家が幸せなんて古い」
と言う友人が
「早く結婚して子どもを産んだらいいのに」
と言う。

結婚・家・子どもに縛られている。

インプットが少ないと言うことは怖い。

これが田舎には娯楽が少ないの本質だと思った。

SNSが普及して
いろいろな価値観に触れられるようになった。

「男の人も家事育児をやるべき」
「女の人も仕事は続けた方がいい」
「結婚・出産が幸せの全てではない」

昔は、都会にしかなかった価値観に
田舎の人間も簡単に触れられるようになった。

でも、まだ
触れるだけのところがある。

小さい頃からの刷り込みは恐ろしい。
しかし、多様性を暴力のように押し付けることも
どうなのかなとも思う。

最近、いたる所で
バランスの難しさを感じる。

今、私が子どもにすべきことは
狭い価値観で生きないよう
自分で選択できるように
たくさんの経験をさせてあげることなのかもしれない。

子どもたちが
自分なりのアイデンティティを掴めるように
手助けしてあげるのが
親の役目なのかな
と思う今日この頃の私でございました…。

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