ニホンカワウソへのラブレター
動物園は檻に隔たれた別世界。世界中の生態系を凝縮させる動物園は、小さな頃からオアシスみたいな場所でした。
気持ちよさそうに水と戯れるカワウソ。
悠々と檻の中を歩く狼。
すっかり飼い慣らされて、もはや人みたいなアシカ。
どれも普段の生活では見ることができない世界で、物心ついた時には動物に夢中になっていました。
日本は島国なので、大陸とは少し違った生態系が発達しています。ですが、実際に野生で見られるのは精々鹿や猪ぐらい。アフリカのように多種多様な動物が住まう世界に住めたらと、子どもながらに思っていました。
ニホンカワウソを知っていますか?
皆さんは日本にカワウソが生息していたことをご存知でしょうか。最近はめっきり名前を聞かなくなりましたが、かつての日本には、ニホンカワウソという種が生息していました。
近年? と言っても約50年前のことですが、1979年の目撃を最後に、ニホンカワウソは人前から姿を消しました。そして、2012年に絶滅動物に指定されます。最後に目撃された高知県では、今も目撃情報が絶えないそうですが、公的に認められたことは一度もありません。
2017年にはカワウソと思しき映像が撮影されて少しだけ話題になったり、対馬でカワウソが見つかって話題となったり……時折盛り上がることもありますが、未だ生息の決定的証拠とはなっておりません。
私は、そんなニホンカワウソに片思いをしていました。
私の心の中には、長くニホンカワウソが暮らしています。現実に居場所なんてないですから、私も簡単に放り出すわけにはいきません。そう思って、心の中に留めておいたのです。そして気づけば14年の月日が流れ、絶滅宣言からも11年が経過していました。
これは、長いようで短い私とニホンカワウソの物語。
先生の話と一冊の本
私はそこら辺にいるような動物好きの小学3年生。休日は習い事の隙間に友人宅に遊びに行って、近くの川で生き物を捕まえるのが習慣でした。右手には虫取り網を、左手には虫かごを持って田園を駆け巡る少年時代。
水辺は、私にとって両手で完結する世界だったのです。
その日は、何事もなく平和に学校が終わろうとしていました。
当時の担任は、地元の歴史や伝承に詳しいおじいちゃん先生。「なんでそんなこと知ってるんだろう?」と不思議に思う程の知識量を持ってしました。そんな担任のおじいちゃん先生の口から、いつも以上に不思議なエピソードが飛び出したのです。
「昔はな~この辺にはカワウソがいてなあ~捕まえた漁師が呪われたという伝承があるんだよ」
先生がそんな突拍子もないことを言い出しました。私は仮にも動物好きを自称する小学3年生でしたから、カワウソという生き物のことは知っています。
「カワウソがこんなところに?」
私はその話を上手く飲み込めずにいました。カワウソは見たこともあります。動物園の飼育小屋で泳ぐカワウソの姿が脳裏に浮かびました。私の想像している日本では、確実に生息していない生物です。すなはち、日本に野生のライオンがいるのと同じことでした。なおかつ、私の地元は自然がたくさんあるものの、水が汚いことで有名です。なおさらカワウソの伝承が信じられない。いつもヘドロの匂いが鼻につくあの場所にカワウソがいたなんて……。
この時は、信じられなくて、カワウソの話を話半分に聞き流していたのでした。
それから数日後、私は図書室に向かいました。
その日は蒸し暑い日でした。Tシャツをパタパタして空気を取り込んでみたり、下敷きで自分の体を仰いだりしていました。そんな日には冷房が欲しいものですが、当時は冷房がついていないのが当たり前。しかし、職員室という聖域を覗いて、唯一冷房を享受できる場所があります。それが図書室です。汗ばんだ体が冷やされる感覚が大好きで、夏になると良く図書室に入り浸っていました。当時はスポーツ少年でしたから、習い事終わりでアイスを嗜むような感覚で図書室に寄るのが、昼休みのルーティンとなっていました。
そこでニホンカワウソに関する本を見つけました。
ボロボロなのに、最終ページの貸出欄には誰の名前も記載されていない不思議な本だったことを覚えています。普段は見ない本棚を物色していて、たまたまに手に取った本がニホンカワウソに関する本でした。
ニホンカワウソと記載された本の題名を見てピンと来たのです。数日前に聞いた話がよぎりました。先生は「カワウソを捕まえて呪われた漁師がいる」と確かに言っていました。しかも、いつも動物園で見るコツメカワウソやユーラシアカワウソではなく、ニホンカワウソです。動物好きの私ですから、それは興味を惹かれました。
「本当に日本にカワウソがいたのか……」
とにかく真実が知りたくて、その場で本を読み始めました。ですが、すぐにチャイムが鳴り響きます。家に帰ってゆっくり読もうと思い、慌てて貸し出し登録をして図書室を出ました。
日本にカワウソが生息していたこと。
それは、ライオンなんて比にならないぐらいの衝撃です。ドラゴンが生息していたのと同じレベルの衝撃でした。
動物園の世界は、小学3年生の私にとって非日常でした。そんな窓越しに見ていた非日常の世界が、現実に広がっている。両手で収まっていた水辺の世界が、一気に開けた感覚がしました。当時の私が思い描いていた水辺の生態系ピラミッドに新たな王者が君臨したのです。
当時はまだ絶滅宣言されていない動物でしたので、「いつかニホンカワウソに出会ってやるぞ」と胸に固く誓いました。
そんなことがあったのが夏休み前ですから、この年の自由研究は決まっていました。
幻に囚われ始める
小学3年の夏を経て、私の目にはカワウソが映るようになりました。「誇張だろ」と言う人もいると思いますが、これは本当の話。水が流れている場所を見るたびに、ニホンカワウソは、ツヤツヤな毛並みを見せびらかして私の前を駆け抜けていくんです。
「僕は日本のどこかにいるかもよ?」
「見つけてみてよ」
挑発的な目で、一瞬だけこっちを見ます。私が川の景色から目を離せば、カワウソの幻は去っていきました。
カワウソが私の目を泳ぐようになったのは、自由研究を終えてしばらくしたある日の出来事がきっかけでした。
前述した通り、私は習い事をしていたので、夏休みには合宿イベントがありました。夏にふさわしく、房総半島の先まで2泊3日の合宿でした。後の人生を考えれば、ちっぽけな日数ですが、小学3年生の私にとっては大冒険に違いありません。
宿舎からグラウンドまではかなりの距離があるため、バスでの移動です。お昼には一度戻ってご飯を食べるので、一日4回バスに乗る羽目になります。
バスに乗ると当然眠気が襲ってきます。朝ならまだ寝たい欲求に頭を揺らし、午後はお昼を食べて1番眠くなる時間。そんな最中でバスに乗り込むのです。再び炎天下で運動しなきゃいけないことを憂鬱に思いながらも、大自然が映る車窓を眺めるのは好きでした。もちろん川があれば川を眺めます。
2日目の午後のバスでした。
窓越しにデカい川が流れているのを眺めていると、何かが水面からひょっこり顔を出しました。私はすでにニホンカワウソの虜になっていますから、脳内はたちまちカワウソで溢れ、ドーパミンが放出されます。
「あれカワウソじゃないの?」
今思えば、どこかの水鳥が顔を出していたのかもしれません。ですが、当時の私はカワウソにしか思えませんでした。水面から顔を出す動物なんて限られていますからね。今は外来種のヌートリアなどが問題視されていますが、当時はそこまで言及されてなかったと思います。
カワウソにしか思えなかった私は、この日以降ニホンカワウソの生存を完全に信じるようになりました。あくまで空想上の生き物だったニホンカワウソを、現実の生き物として受け入れてしまったのです。
この日から、どんなに規模が小さい川でも、その流れを凝視してニホンカワウソの幻を追うようになりました。
それは幸か不幸か、ニホンカワウソに囚われる人生の始まりに過ぎなかったのです。
踏み出せなかった14年間
ニホンカワウソの姿を一眼でも見たかった私は、最後の目的地である高知県に行くしかないと思いました。
最後の目撃地、高知県須崎市に流れる新庄川
未だ生存しているかもしれない、高知県の南西地域
カワウソに付随して高知県にも憧れを持つようになります。
「もしもカワウソが生きているなら、どんなに美しい自然が残っているんだろう」
高知には、まだ見たことない景色が広がっているに違いありません。
高知県に対し、宗教に近い信仰を捧げていました。高知県は私にとって、とても魅力的だったのです。小学生からしたら異国の地。期待を抱くのにはちょうど良い場所だったのかもしれません。頑張れば届く地域ですから。
「高知に行ってニホンカワウソを見つける」
という目標を見つけた私でしたが、既に私も小学3年生。何も考えずにいられる生活も終焉を迎えつつありました。小学3年生を「既に」と捉えるべきかはわかりませんが、私にとってはとっくに岐路を過ぎていた歳でした。
習い事が少しづつ本格化していく中で、心の余裕が徐々に失われて行きます。そして、中学生になれば部活に習い事、それに勉強が私の私生活を圧迫して、高知県やカワウソどころではなかったのです。これでも多少勉強もできたのがいけなかったのかもしれません。手を抜く器用さがなかったから、とにかく暗闇を駆けているような生活でした。
お金がなくても時間があるのが学生の特権だと思っていましたが、そんな生活を一度も送ることがなく時間が経過します。
私は、片思いを拗らせているヤバい人間に成り果てていました。高知とカワウソの存在から離れるだけ、理想に色がついていくのが分かりました。恋焦がれても行動に移せない自分の不甲斐なさと、私を取り巻く環境をとにかく恨む生活でした。
そんな中でも水辺があれば、ニホンカワウソが視界に泳ぐのは変わりません。もはや呪いみたいなものになっていました。
全てを清算し終えて、人生に余裕を持てるようになった時には、既に14年が経過していました。
ついに高知県へ行くチャンスが
全てのしがらみから解放された私に、高知県に行く機会が巡ってきました。
高知県とニホンカワウソに馳せる思いは、14年間で膨れ上がっています。普通の人だったら夢は薄まって、過去に置いて行く程度のモノだったかもしれません。
ですが、私は生粋の天邪鬼。忘れていく思いを拾い上げて保存しておく術に長けておりました。それが災いとなって無駄に苦しむことも多いのですが、自分の性格には感謝しかありません。
お金も時間もなかった私ですが、なんとか高知県での3泊4日の資金と時間を準備することができました。
人生で、3泊もできる休みも金も持ったことがなかったので不安もありましたが、ニホンカワウソに出会えるなら微塵も怖くない。溢れ出る期待を抑えつつ高速バスに乗り込みました。
若いからできる高速バスの旅、3泊全てネットカフェでの宿泊という、とんでもない行程を実行に移します。
私が行きたかったのは主に3か所。
本当は愛媛県の宇和島のほうにも足を運びたかったのですが、仕方がありません。
初日は中村と言う場所まで向かうことになりました。大月町へは、終点の宿毛駅からレンタルサイクルが借りられるとのことで、次の日に自転車を駆使して回ることになります。
ここからがようやくカワウソ探し。
カワウソの幻を追って
四万十の自然
とうとう高知県に降り立った私ですが、案外心は穏やかでした。まずは四万十川を見に行くために、高知駅~中村駅まで向かったのです。
中村駅までは、鈍行で4時間弱かかりました。さらにその奥に宿毛市があるというのですから驚きです。都心部で4時間電車に揺られてたら、いったいどれほどの県を跨ぐことが出来るのか……そんなことを想像しながら中村を目指しました。
もちろん窓から海を眺めたり、並走する川を眺めたりと、カワウソを探し続けていたのですが、ゆっくりと移り行く車窓に引っ掛かりを覚えていました。
「案外発展しているんだな……」
高知に住んでいる方には申し訳ありませんが、本当に何もない大自然を想像していたんです。そういう場所にカワウソがいると思っていたから。
東京と同じようにビルが立ち並び、見慣れたチェーン店があることに驚きました。
高知市街を抜けてもそれは変わりません。中心を離れると、流石に牧歌的な風景が映るのですが、それは想像の足下にも及びません。静岡や埼玉とかの田舎と余り大差はないように思えました。
家が立ち並ぶ風景を見ていると悔しさが湧き出てきます。これが14年間拗らせた結果なのだと悟りました。時の流れの恐怖に支配されながらも、中村にたどり着くのです。
四万十川には、確かに憧れた景色が広がっていました。都心部ではお目にかかれない河原の広さ。どこまでも並走していく山々と河川。でも、目に付くのはカワウソ以外の要素です。中村の街を歩いて見ると、車が引っ切り無しに列をなし、大通りにはチェーン店が並ぶ。
一応2時間ぐらいでしょうか、小雨が降る中河原を歩いて糞を探しました。鹿の糞はまばらにあるのですが、カワウソらしき糞はありません。まあ当たり前ですよね。人の手が加わっている場所にいるわけがありませんから。
「ここにはカワウソはいない」
そう結論付けて南西端の宿毛市に向かいました。
南西の秘境
宿毛駅は、電車で行ける高知県の最西端です。宿毛市の真下に今回の目的地大月町があります。宿毛駅は、高知駅からおよそ5時間。そんな僻地まで来ても、案外発展しているものです。車どおりの多さには驚きましたし、普通にすき家がありました。いっそのこと大好物の高菜明太牛丼を食らってやろうかと思いましたが、夢が覚めてしまいそうで辞めておきました。
そして一番の希望である宿毛市・大月町散策を開始しました。
結論から言うと、大月町には確かに想像していた自然があったんです。
「これだ! これならカワウソが住んでいると言えるかもしれない」
自転車を漕ぎ始めて、沈みかけていた期待が湧き上がってきます。ニホンカワウソは川にも海にもいると言います。往路では、沿岸の崖沿いの山道を進み、復路で山間の川を進もうと決めました。
海での探し方はいたって単純です。無限に続く崖をカメラのズームで探し出す。これを永遠に繰り返して進みました。終わりの見えない崖にカメラを向けて、ぶれないように慎重にカメラを動かします。
「あと少しで見つかるんだ」
「写真に納まらなくてもいい、一目でいいからその姿を見たい」
ただその気持ち一心に、進んで止まってを繰り返しました。
人生で大月以上の青い海を見たことがありません。例えるなら伊豆の沿岸部が近いと思います。2伊豆=大月町のイメージを頭の中に持っていました。それは山間部も巡ってみての感想です。
しかし、伊豆を2倍したとしてもカワウソが0なら増えるわけがないんです。それを身をもって痛感することになりました。
まず、目に付くのは沿岸部のゴミの山。
悲しいというか虚しい。心にぽっかりと空いた穴に、真冬の海風が吹き抜けていきました。
「これじゃあカワウソは住めない」
頭に響く心の叫びが鬱陶しい。自転車に乗るときは、そんな心の叫びに蓋をしてペダルを回し続けました。
そして現地のおばあちゃんとの会話。
少し休憩していた所で、大月の沿岸部に住んでいる方が「若者は珍しい」と声を掛けてくれました。話をしていると、息子さんも上京しているし、この辺の若者は少なくなってしまったと嘆いています。
「おばあちゃん……この辺でカワウソは見たことありますか?」
「カワウソ? 何だねそれは、よく分からないけどこれをあげるよ」
そう言って手渡されたのは、私にも馴染みのあるキャラメル。そのキャラメルを味わいながら、原付で遠ざかるおばあちゃんの背中を見送りました。暖かくて優しい世界、より甘みが心に染み渡りました。ですが同時に、時間の残酷さを深く痛感することになりました。
「もう、カワウソは記憶にすら残らない存在なんだ……」
長いトンネルの終わりが見えて来た瞬間でした。その先にある世界がより良い世界なのかは疑問が残るところ。私は自転車を漕ぎ続けました。
その先の山間部にも、かろうじて住める条件は整っているように思えました。むき出しの岩肌には、何も映ることはないですが、今まで何匹のカワウソが暮らしていたのでしょう。やっぱり、ニホンカワウソは絶滅したなんて思いたくありませんでした。構えたカメラに何も映らない虚しさ、それらを全て抱えて走っていると、あっという間に一日が終わりを迎えます。
でも、希望もありました。
1か所だけ、99%人の手が加わっていない場所に降りる機会がありました。山道からさらに外れて1キロ程を進み、行き止まりの先の世界にある沢。その沢には、確かにカワウソはいませんでしたが、人生で感じたことがない恐怖を感じました。
「これ以上近づくな」
自然が、そう訴えかけてきました。私はこれまで、山にも川にも怖気づいたことはありません。ヘビだって未だに鷲摑みしますし、川にだって飛び込んできた男です。なのに、恐怖で足が動かない。
これが本当の自然なのだと身をもって体感することになりました。
村上春樹氏の有名な著「海辺のカフカ」でも、同じような場面がありました。高知県の山奥の先に死者の世界が広がっている……そんな話が描かれています。(偶然高知から帰って手に取ったのが海辺のカフカ)
カフカ君みたいに恐怖の先を見に行けば、ニホンカワウソはいたのかもしれません。ですが、人の分際でそれをしてはいけない。
私はかすかな希望を、大月町に置いてくることが出来ました。
最後の地、須崎新荘川
高知県須崎市はニホンカワウソが最後に目撃された場所です。高知駅からおよそ90分で到着します。しんじょう君というカワウソのキャラがお出迎えしてくれます。
須崎に来て驚いたのは、何といってもカワウソに対する熱量です。
どこに行ってもカワウソがいます。商店街・コンビニ・駅など、ありとあらゆる場所に「しんじょう君」が描かれています。道の駅には、カワウソグッズがたくさん置いてありました。正直予想以上の愛され方。関東にいるとなかなか分かりませんが、現地ではこんなに愛されているのなら……。
そう、確かにニホンカワウソ(しんじょう君)は愛されているのです。
嬉しい? 確かに嬉しいのは嬉しいです。ですが、やっぱり私の気持ちとはちぐはぐになってしまう。
結局須崎に来ても、ニホンカワウソは過去の動物に変わりありませんでした。
新荘川の看板には「ニホンカワウソがいるかもしれません」みたいな文言が書かれている場所もありました。ですが、そんな実在の示唆は些細なモノ。須崎に流れる大きな波には抗えないと悟りました。
その大きな波と言うのは、ニホンカワウソの偶像化という過程です。
偶像化して祭り上げることが、絶滅を受け入れた証になっているように感じました。別に、誰が悪いとかそういう話じゃないんですけどね。
私は二次元に入り浸っている人間なので、そう言う事例は多々見てきました。昔の文豪、武将、恐竜、馬……キリがないですけど、過去のものって順々に美化されて、現代に帰ってくるのです。少しだけ面影を残してはいるものの、それは全くの別物です。
私だけがあの時代に取り残されていました。1970年代は、私が生まれていない時代なので、取り残されたというより過去に飛ばされたと表現する方が正しいです。
記憶に残ることは嬉しいけど辛い。全て忘れるのは悲しいけど楽。いっそのこと、カワウソに関する全てが記憶から無くなったらどんなに楽なのだろうと思います。記憶というのは扱いが難しい。
新荘川を登って行きながら、そんなことを考えていました。
最後の目撃は50年前ですから、時の流れを感じました。50年を経て、川岸は舗装されて、徐々に人の手が侵食していっている状態。干上がった川には車やショベルカーなどが降りて、作業をしていました。あの時と同じような景色が残っている訳もありません。
こうして私のニホンカワウソを探す旅は終焉を迎えたのです。
この旅で得たもの
人と自然の共生のお話
人は自然を受け付けないし、自然もまた人を受け付けない。
2つは、相反する存在であることを学びました。
私はこの旅を経て、人も生き物なのだと再認識することになりました。生きるためには、自然を食らわないといけない。自然を失う対価を支払うからこそ、人の発展があるのだと思います。
これは人が自然を受け入れないからという見方もできると思いますが、それだけではありません。
自然もまた、人がいないからこそ発展していくのです。
山奥の沢に降り立った時に感じた恐怖。それで何となくわかりました。自然は人に何も望んでないし、人が行う環境保護なんて無意味に等しい。
一番は、放っておくこと
何もしないのが正解なのだと思います。根っこの部分では、互いにすみ分けをして干渉しない。昔はそれが守られていたのではないでしょうか。
一定の深さまで潜ると、人は自然から追い返される。その言いつけを守り、言い伝えや伝承として後世に伝える。人は、「こっから先は入っちゃいけない」と学び、上手くすみ分けて発展してきました。自然と人の境界線は不文律として確実にあったものだと思います。
近代~現代では、人がその境界線を越えている。開発できる力を持ってしまったがために、ニホンカワウソのような動物がいなくなってしまった。
逆に言うと、高知県の南西部には、境界線が残されているから、最後までニホンカワウソの目撃情報があるのではないかと思いました。私が感じた恐怖の先に、ニホンカワウソがいたのかもしれません。あの時、胸の高鳴りを同時に感じていたのも事実。
ですが、それを確かめることはもうないでしょう。その恐怖こそ、人と自然との境界線。それが学べただけでも、今回の旅に大きな価値がありました。
夢の終わり
私は全てを回り切り、高知駅行きの電車を待つのみとなりました。
探索を終えた私は、須崎駅のベンチで惰眠を貪っていました。ここ数日で100キロ以上自転車を漕いでいたので、仕方ない部分もあると思いますけどね。
2時間後、ようやく乗った電車には誰も乗っていませんでした。
4列掛けの窓際の席に座り、本を読もうと思っていたのですが、やっぱり眠くてそのまま寝てしまったんです。でも高知駅までは90分あるし、ちょうど良いと思っていました。
この時、私は夢を見ました。
ほんの数秒の夢でした。
たったこれだけの夢。私はその銃声にビビッて現実の世界に戻ってきてしまいました。落下してくような感じで目が覚めるやつです。少し冷や汗もかいていました。
目の前に広がる景色は、須崎の海岸線でも、四万十川の大自然でも、宿毛の海でもありません。
車窓に映ったのは、東京と変わらないビル街。いつの間にか満員になっていた夕方時の高知駅行きの電車。続いてアナウンスがありました。
「まもなく高知、高知です」
いつの間にか90分が経過していたようで、私の夢は終わりを告げました。
最後に、あえて言います。
ニホンカワウソは絶滅しています。
もう人の前に現れないし、私としても現れてほしくありません。もしも、ニホンカワウソに出会ってしまった人がいたら、その子が境界線の先を越えるまで見送ってあげてください。それを確認したら、胸の内に秘めたまま死んでください。私はそうするつもりです。
大好きなニホンカワウソさん。
本当にごめんなさい。
この先もも二人で川を泳ぎましょう。
ずっと一緒に。
死際は向こう側に行ってもいいですか?
私はずっと愛しています。