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【2020年10月29日のこと】天丼心と秋と空、去りゆく目白の水の神


1. ランチタイム文学。今日は春以来、久しぶりに公園のベンチでお弁当(サラダ巻きとバームクーヘン)を食べた。
2. 空気は、カラカラっと乾燥していて、ビルの隙間から見上げた薄水色の空は遠くて高い。
3. 例年ならば10月にもなれば、ハンドクリームを持ち歩いて頻繁に使うのだけど、今はどこに行っても消毒液をびしゃびしゃつけることになるから控えぎみだ。


4. 種村季弘が気になってしまっている。「人生は地獄だというのに天丼を食えばうまい」という彼の著書『食物漫遊記』の名句にウットリとりつかれてしまった。「タレがしみすぎてくたんとなったのを」「にったり食いちぎる」のがいいらしい。「くたんと」「にったり」とってさ、なんかそういうオノマトペがたまらない。しかし、種村さんのこの本、図書館にも古本屋にもなくて、引用された断片しか読めていない。


5. 今日は帰りに「いわもとQ」に寄って天丼を食べよう!だなんて、ランチを食べながら夕ご飯のことを考えるわたし。退勤時間をカウントダウンしながら、パソコンをカタカタ叩き、「空/空洞」を胸の中に内蔵させつつ、世知辛い世の中、じぶんでじぶんを鼓舞する為には、馬に人参、退勤後に天丼しかないんだよね。


6. みうらじゅんさんがゲストのラジオ版学問のすすめの音声配信を聞く。著書『さよなら私』の、話を聞いて笑う。自分探しをやめて、私無くしをし、こだわりを捨ててラクに生きよう。仏教でいう「空(くう)」を知ろう。なんていうみうらじゅん人生指南が緩いけど実は深くてサイコーだった。
7.  ランチタイム後半の時間は、こうしていつもiPhoneで音声配信のアーカイブを聞くか、ミミミな指で日乗を書いたりしている。
8. と、言っても、ランチタイムは45分しかない。しかし、この時間はかなり集中しているからいつも充実時間である。
9. 今、考えると、小学校のときの20分の中休みに、時間を惜しんで運動場で遊んだ日々ってすごかった。子どもながらに濃縮時間を過ごしていたんだな~と振り返る。


10. 古道具坂田、閉店のニュース。わたしは、隣りの古本屋「貝の小鳥」さんが好きでよく行っていたけれど、結局、坂田が開いているのを見たことはなかった。いつも締め切られたガレージの張り紙だけを読んで帰ってきた。ついこないだ行ったときも「郵便物はモンサカタへ」と書かれた張り紙を確認したばかりだ。

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11. 目白界隈、いろいろな古きよきものがなくなっていく。古道具坂田の先にあった古民家ギャラリーゆうども、コロナによる緊急事態宣言が解除になった直後、呆気ないほど簡単に立て壊され、更地になっていた。
12. この古民家ゆうどは、湧水の井戸があり水の神様がいた。庭のある古い日本家屋なのだけれど、とても素敵で。でも、ずっと立ち退きを迫られていて、いつ壊されるかわからない状態だった。
13. それでも、神さまが守ってくれているのか、いつも立ち退き寸前のところで猶予となり、そういう状態で11年間持続していったみたいだ。
14. わたしは、ここで演劇を見たり、お米のイベントに参加したりした。ここの湧き水で炊いたご飯はかなり美味しかった。畳、縁側、ガラス障子。不思議なくらい落ち着くし、家の気配が静かで清らかで好きだった。

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15. 目白駅の横にある階段を降りていくと、地域の説明看板が新しくできていた。それを読んでも目白は水に恵まれた場所であったことがわかる。湧き水の生まれる土地だったんだ。

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16. 古民家ゆうどの更地には紫色のヨウシュヤマゴボウがたくさん実っていた。荒れ果てた空き地になっていて悲しくなる。果たして、ここに居た水の神様はどこへ行かれたのだろうか。


17. 「いわもとQ」天丼文学。もり蕎麦とセットのミニ天丼を注文してしまったことが悔やまれる。ここは思いっきり天丼オンリーにしても、ミニではなく普通もり天丼でも良かった。
18. 人生、選択の繰り返しで、選ばなかった方の人生を悔やんでしまうときがある。天丼を楽しみにしてきたんだから、もっと大胆に決断しても良かったんだ。食べられないかもだなんて、余計な忖度だった。

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19. とは言え、ミニでも天丼は美味しい。「てんや」の天丼も好きだけれど、衣がだしでふにゃとしている加減がたまらなくいい。わたしは甘いタレが好きなんだろう、タレのしみたごはんが大好物すぎる!
20. にったり、と頭の中でイメージしながら海老を唇で確保する。柔らかい、そして旨い。涙多めの人生だけど美味しいものを食べて瞬時にこころ明るくできるうちは、まだ大丈夫。「空(くう)」の境地には至れず、欲ばっかりだけれど、わたしはまだ大丈夫みたい。

とっぴんぱらりのぷぅ。

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