障碍者になるかもしれない私
はじめに表明しておきたい。
こうして書くのは、忘れっぽい自分のための備忘録というのもあるし、今の正直な気持ちときちんと向き合いたいという意味もある。どちらかというと、後の理由の方が大きいかもしれない。もしかしたら、自分の気持ちの整理が必要なのかもしれない。
そのため、読み手がどのように受け取るか、配慮した文章になっていないかもしれない。
なにぶん、内容としてかなりデリケートな問題(このテーマ自体も、そもそもこのテーマを語るということにおいても)だということは承知している。
ただ、読み手の方々には、何かを感じたりするのではなく、あるがままに「あ、そうなんだ」と受け取ってもらえたらありがたいなぁ、と、考えながら記していく。
書きたいことというのは、タイトルの通り『障碍者になるかもしれない状態に陥った』という話。
私、あ~ちゃんが。
眼の疾患にかかり、今も視覚的に見えづらい状態。そして、今後視覚が回復する可能性が比較的低く、悪化する可能性が高い状態である。
病名としては、『飛蚊症』『ぶどう膜炎』という病名がついたのが7月の始め。さらに『黄斑浮腫』が追加されたのが、つい先日。
それぞれどのような病気なのかは、ネット等で調べられるので、敢えてここには書かない。
端的に纏めてしまえば、今後、日常生活に支障をきたすくらい著しく視力が落ちる可能性が高い、という状態。
現在は、見えかた的にどうなのかというと、上司に
「細かい作業はできなくはないけど難しいし、診察室勤務も電子カルテを素早く扱ったりできにくいし、少し離れたら患者さんの表情も見えづらいので、現時点で難しい。だから、そういった業務を減らして欲しい」
と申し出たくらい、視力は落ちている。
そう、私は外来看護師業務をしており、細かい作業と細かい観察の多い業務が、全くではないものの、かなり厳しくなっているという状態。こうしてスマホなりパソコンなりで文章を入力するのが、完全にダメではないものの、疲れやすい。
事の発端は先月(2020年6月)の終わりくらい。
それまでの私は、まあ近眼があるが、ガチャ目でもなく、体調は偏頭痛持ちで、そのせいか年齢の変化のせいか、よくわからない体調不良は、わりとあった。が、眼に関しては何もなかった。
…と思っていたが、よくよく思い返せば、飛蚊症はちょっとだけあった。たまに晴れ間の空を見るとひとつふたつ、黒い点。それも若い時から。
それが、近頃目の奥が痛むことが多く、部屋の中を暗く感じたり、また目が霞むような感じがあった。
その頃ちょうど梅雨入りし、気候も不安定だったこともあり、いつもの偏頭痛の初期症状だと思い、偏頭痛薬を内服していた。確かに、普段よりも高い頻度だった。
そして、やたらと視界が滲むようになり、普段目を酷使していることもあり、老眼も入ってきたのかなぁ、などと思っていた。
しかし、梅雨の晴れ間、ふと空を見上げたら、飛蚊症の症状がかなり増悪していたことに気づいたのだ。
ヤバい、と思った。
ここ最近の症状を振り返ってみても、只事じゃない、と思った。
その日半休だったため、慌てて近所でやっている眼科にかけこんだ。
そこで、思ったよりも二、三種類は多く検査をした。
網膜剥離の疑いは予想していた。ボクサーではないけれど。
しかし、医師が言ったのは、全く耳慣れない病名だった。
ぶどう膜炎。
なんでしたっけ、それ。
看護学校時代、さらっと耳にしたことはあったような。膜ですよね。どっかの。
で、ぶどう膜炎も、飛蚊症も、網膜剥離も、単体で起こることより、他の疾患の合併症として起こることが多いということは、後で調べてわかった。
ぶどう膜炎の原因疾患として医師が言った病名もあまり聞きなれない。検査で瞳孔開かれたが、診察終わるなり、帰りがけに思わずスマホで色々調べた。
とにかくわかったことは、視力はあまり回復しそうにないことと、今後悪化する可能性がある、ということ。職業柄、疾患の進行の予想とか、状態の程度などは、専門ではないがある程度具体的に想像がつく。
で、私にとって一大事なのはここから。
新しいことに挑戦しはじめ、約4年たったところだった。
それについては長くなるので、また別の機会に説明するが、手先だけでなく、目もよく使う、細かい作業を要する仕事。下積みのような地味で苦い思いをしながらの4年。それがようやく花開こうとした矢先だった。
それだけでなく、部署の中でも静脈注射が痛くないし上手、と評判だった。
パソコン作業も比較的できて、それも強みだった。
それらが、全部なしになる。
新しい身の振り方を考えなければいけない。
今見える見えないという問題よりも、今まで積み上げて来たものがなくなってしまう、ということの方が、私にはショックだ。
特に新しい挑戦に対しては、今後それで稼いでいこうと思っていたのに…。
ただただ悲しい。
でも、それに浸ってるヒマもない。これからどうやって稼いでいこう、どう人生を満喫していこう、と探すことに必死になっている。
少し前、仕事中に事故にあってこれから先一生、手を使えなくなってしまった患者さんに、うっかり仕事の話を振ってしまったことがあった。
その方が、まだ仕事につくことが考えられなくて、障碍者に対する保証とか保険とか、なにも調べてないんです、って話をしてくれた。
まだ若い人だから、余計にショックなことだったと思う。
これまで、それをどうにかしないといけないけど、向き合い考える心の準備ができてなかったんだ、ということがみてとれた。それが、私のうっかりとはいえ出た一言が、向かい合うきっかけになった瞬間だとわかった。
その人が、そのあと帰り際に、ぽつっと不安そうに
「片手じゃ、パソコンとかの仕事できないですよね…?」
と尋ねてきた。
その言葉の重みよ。
しかし、同時に、そんな言葉をかけてくれて、私を看護師として信頼してくれて、嬉しいしありがたい、と思った。
私はできるだけ明るく、
「パソコンだってできるし、他にもできることは、たくさんあります」
と答えた。ちなみに、それはただの気休めでも無責任な励ましでもなく、実際、そうなんだ。これも看護師だから言えることだ。
それと、区役所に言って相談してみて、ということも。
どうか、区役所の担当の方が、親切でありますように。
…と、話は逸れたが、そんなこともあったりして、つまり、似たようなことが自分の身にも起こりうるということ。
無くすものが大きいとしても、できることはあるし、それを探したい、と思っている。だからそこまで落ち込んだりはしていないつもりだが、同時に、今の感情は、しっかり向き合っておくべき感情だとも思う。その先に向かうために。