障害者だって、壁を越えられる。
(2020/12/30加筆修正)
今回のタイトルは、先日イベントに参加させていただいた、『NPO法人Monkey Magic』という団体の、ポリシーの文言を踏襲させていただきました。
そのイベントの体験を書きたいと思います。
NPO法人モンキーマジックとは
まずは、その団体のことをご説明したいと思います。
自らも視覚障害をお持ちの、代表の小林さんを筆頭に
クライミングを通して、視覚障害を始めとした障害を持つ人々の可能性を広げる目的
で活動している団体です。
代表の小林さんは、白い杖を使用しています。
元々クライミングをされていたことがきっかけで、クラミングを通じて、視覚障害等もひとつの多様性と捉え、障害者が疎遠になりがちな、スポーツをする、人と交流する、という活動で、可能性を広げていこう、というポリシーをもって活動していらっしゃいます。
私の視力のこと、この団体のイベントに参加した経緯については、『障碍者になるかもしれない私』『失うものと、できること』で記したので、目を通していただけると嬉しいです。
視覚障害者もボルダリングを楽しむ
で、今回参加したイベントは、もちろん、室内クライミングである、ボルダリングをみんなで楽しもう、というイベントでした。
参加者は視覚障害者が8割。
といっても、見えない程度は人それぞれで、私のように日常生活がほぼ問題なく送れる人もいれば、全く見えない方もいます。
代表の小林さんは全く見えないそうです。でも、そのイベント参加者の中で、視覚障害でない人を含め、誰よりも一番のクライミングの達人なのです。
今回参加の『視覚障害者』には、私も含まれました。
最初に『視覚障害の方は手を挙げてください』と言われて、正直、ちょっと悩んだのですが。
でも、手を挙げました。
視覚障害でクライミング?
って、私も最初は驚きました。
さぞ、手取り足取り、ナビゲーターみたいな人とロープでつながれて・・・みたいな感じなのかと想像していました。
が、とんでもない。
室内とはいえ、ボルダリングの壁を命綱もなし、単身で登るのです。もちろん、ボルダリングは登った後は、自力で降りる必要があります。誰も物理的には助けられない状況です。
あるのは、足下からの声かけのナビゲーションがあるのみ。
そのナビゲーションだけはちょっと特殊で、目の見えない方もイメージしてそこに手を伸ばせるように、方向やホールド(壁から突き出ている出っ張り)の形や距離等を伝えます。
でも、それだけ。
ボルダリングはある程度コースのようなものは決まっているので、次のホールドを伝えるのみのナビゲーションがあります。
どう体を使って登るか、どれくらい登るか、降りるか。それは本人が決めます。
視覚障害の方も、障害のない方も、はたまた他の障害を持っている方も、クライミングを他の方たちと一緒に楽しみ、交流し、汗を流す。
そんなイベントでした。
私が最初に小林さんとお話させてもらった時にも
「まずはクライミングを楽しんでください」
と言われました。
私も、初めのうちは、この視力の状態なら、まだなんとかボランティアはできるかな、と思ってモンキーマジックにコンタクトをとったのですが、そうではないんだ、と改めて感じました。
障害者の方の力になろうとか助けよう、とか、そんなことは必要ないのです。
相手ができないことを手伝いフォローする、あとはクライミングを一緒に楽しむ。一緒に楽しむ中で、連帯感や交流を楽しむ。
そういうことか、と、イベントの現場を見て、初めて理解しました。
視覚障害に限らず、障害を持つとできないことが増え、特に見えないとなると動くこともままなりません。スポーツを楽しんだり、人と交流することを楽しんだり、そんなことが楽しめるなんて、想像が難しいのではないでしょうか。
また、相手が障害者、とわかると、自分は健常者、という意識が無意識に芽生えてしまうのではないでしょうか。
無意識に障害者と自分は別のもの、という役割分担をしてしまっていないだろうか。
健常者は障害者を助けるべきだ。
障害者は健常者に助けられないと生きられない。
のように。
なにより、障害を持っていると、その人の構成要素は障害者であることが100%、みたいな捉えられ方をされてしまいやすいのではないでしょうか。
障害者の『できないことが障害である』と同時に、『社会からそのような視点でしか見られないというのも、障害の一つになっている』ということも、どこかでよく聞く話です。
実際は、障害を持っている、という要素は、その人の中でほんの一面であり、人間誰でも同じように、好きなものや嫌いなものがあったり、趣味があり、性格があり、友人がいたり、家族がいて、社会的役割だってそれぞれ・・・その人は様々な面を持っています。
健常な人でも、誰もたった1人では生きていません。
家族や友人や、会社の人や、地域・社会・国や・・・様々な人と関わり、自分がやれることをやり、できないことはやってもらいながら生きている。
それとなんら変わらないのではないかな、と思います。
こうして文章にすると『そんなの当たり前』と思いますが、私もこうして文章に綴ろうと思うくらいには、全く当たり前とは捉えられていなかったなぁ、と思っています。
イベントでは、運営の方が参加者達の経験などをみて、数人ごとにチーム分けしてくれてチームで行います。話す内容は、相手がどんな、どれくらいの障害があるのかということと、あとは自分のプロフィールを伝え、世間話、残りはあの壁をどう攻略するか、という話。
話すテーマは視覚障害について、ではないのです。むしろ、それ以外のことの方が会話量が多くなります。
ここで大切なのは、視覚障害以外のこと。
こんな環境って、障害が重度であればあるほど、希少な経験なのではないかなぁ、と感じました。
いい団体と出会ってよかった、と思います。この団体は偶然見かけましたが、私の嗅覚、なかなかいいかもしれない。なんて思ったり。
また、参加したいと思います。