零か、零以外か。
先日、コメディカルの方と話をして、とても気になったことがあったので書きます。某帝王の名言を捩ってタイトルをつけましたが、その方とはまったく関係ない話です。
私は普段、人の話が自分と意見や考え方が食い違っても、『それは違う、私はこう思う』などと食いついたりしないのですが、そこだけはどうしても見逃せず、珍しく白熱していまいました。
なんの話かというと、医療における『確立を表現する言葉』についてです。
その方は『ほとんどない』ことを『絶対ない』と言い、『治る可能性がある』ことを『治る』というような言葉遣いをしていました。
その方のクセなのでしょうか、だいぶ自分の希望的観測や価値観が混ざる表現です。
私がその方に説明した時に書いたものと同じ図です。
0か0以外か。100か100以外か。
そこは正確であるべきだと考えています。
これが、まったく気楽な世間話なんかだったら全然問題ないと思います。
空が曇っていて、私は降りそうだな~と思っていて、降水確率は20%。でもその人は「絶対降らないよ、だいじょぶだいじょぶ!」などと言う。
そういうのは全然問題ないと思うのですが。
医療関係の話においては、慎重に、正確に表現する必要があると考えています。特に医療、コメディカルは、ここを間違えると患者さんの信頼を失い、患者さんの気持ちを混乱させたり不安にさせたりして患者さんの心を傷つけてしまうのです。
数字にした方がより明確ですが、言葉にするならば、『ない』と『ほとんどない』、『治る』と『治る可能性がある』はまったく別物です。
もしかしたら、同じように使う方もいるかもしれません。
でも、聞き手によっては、その言葉の感覚は違うことがほとんどです。
「ほとんどないよ」
といっても、0%と捉える人もいるかもしれませんが、3%と受け取る人もいるし、30%の人もいるし、60%と受け取る人もいるのです。
言葉を伝える時は、その人による言葉から受ける感覚の違いを踏まえて、言葉を選び、正しく伝える必要があるのではないでしょうか。
「治るよ」という言葉に期待して治療を受けたのに、治らなかった。「簡単な手術ですから大丈夫ですよ」と言われたのに手術が失敗して亡くなった。
残念ながら、実例が少なからずあります。
「治る可能性の方が高い」はずの傷が、想定外の要因で悪化した、なかなか治らない、というのもとても多い話です。
医者と話をして、やきもきすることが多いのではないでしょうか?
医師はなかなか「これで絶対治るよ」とは言いません。
患者「この治療を受ければ、治りますか?」
医師「治る可能性は高いです」
患者「治るんですね?」
医師「やらないよりは、いいと思います」
診察室でも、医師と患者のこんなちぐはぐなやりとりは日常茶飯事です。患者さんは大抵イライラしてしまいます(笑)。
患者さんは治したくて来てるんだから、治る=100%完治する。というのを期待するのは良く解ります。
でも、医師は「絶対治る」とは、絶対言いません。
何故なら、不慮の何か、想定外の何か、まで含めて『正確に伝える』ためです。もちろん、それを踏まえて何かあっても『自分が発した言葉が間違いにならないように』保険をかけた言葉でもあります。
検査結果や、病状や治療について、治療者の自信とかやる気とか希望とか予測とか励ましたい気持ちとかを、絶対含めない。
それは事実を正確に捉え、正確な治療に繋げるための重要なプロセスです。
逆に、『絶対治るよ』というような医師、治療は避けるべきだと、私は思います。不慮のなにか、想定外の何か、は、人体においても事象に置いても、決してゼロではないからです。
それを無視し、見て見ぬふりをしたり、そこまで想像をしないで言葉を発するのは無責任で、誠実さもない、と思うのです。
絶対治るよ、と言っておいて治らなかったり悪化したら、その治療者はどうすると思いますか?
「そんなの珍しい例外なんだから知らないよ」とか「そんなのありえない」と、放って終わってしまうのではないでしょうか?
その『治療者が考えている』『治る』の範疇外、というわけですからね。
ネットの広告でも(規制があるので、よく”個人の感想です”などはよく目にしますね。)、コメディカルの方の発信でも散見されますが・・・。
それは治療者としてどうなんでしょうか?
そういったことを、私が珍しくフィーバーして説明したものだから、相手はちょっと引いてたようにも見えましたが(笑)、理解してもらえたようです。
珍しくフィーバーしたものだから、お腹が空いて遅い時間にカップラーメンを食べてしまいました・・・。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。