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失うものと、できること

(2020/12/29加筆修正)
 こんにちわ。あ~ちゃんです。
 今回は、病気が原因で視覚が急激に落ち、これまでの日常生活様式を変更せざるを得ない状況になった中で、考えていることをまとめたいと思います。詳細は以前の記事にて。

 以前の記事で、片手が事故で不自由になってしまった方の話を挙げましたが、現実的に、日常生活様式を変更しなければならないようなケガや病気になった時、精神的ダメージを受けない人なんていないと思うのです。
 視覚だけでなく、体の一部や五感に関わることがどれか一つでもなくなるということは、生き方が変わる、ということですから。

 そういった状況に対して、

「そんなこといったって、なったものは仕方ないんだから、がんばるしかないだろ」

という類いの言葉がかけられるのを、度々目にします。

 しかし、その言葉って、あまりに無意味だと思うのです。

 励ましにもならないし、役にも立たない。

 どちらかというと「自分は知らん。頼ってくるな」という放置・突き放しの表れか、下手すると「どうでもいいから努力しろ」という責め立てている、毒の言葉だ、と私は感じます。

 もちろんがんばらなきゃいけないのは確かなんです。
 ですが、本人が一番身に染みてわかっていること。生活様式や生き方が思わぬ方向、意図せぬ方向へ変わることであり、これまでの人生や経験が失われるかもしれないという状況。

 そんな状況で、落ち込んだり、自暴自棄になったり、不安で動けなくなったり、悲しみにくれたりするのって・・・ごく当たり前なんじゃない?と思うのです。

 これは今回の自分の件に限らず、常々考えてきたことですが、ごく当たり前の心の動きは、無理にやめたり、止めたり、悪いことにする必要はないのではないでしょうか。

 ただ、私がそうして思えるのは、看護師という職業柄かもしれません。

 看護師として、病院では様々な患者さんと出会います。目が見えない人はもちろん、耳が聞こえない人、体の一部がない人。見た目だけじゃなくて、その機能・・・麻痺など、見た目は変わらないけれど機能がなくなってしまう状態になっている方を多く目にします。

 そういう方たちと接していると、その状況に落ち込んで生きる力を全て失ってしまっている人もいれば、それはそれとして置いておいて、人生を楽しんでいる人もいるのを、私はたくさん見てきました。

 失くすことは特別なことじゃない・・・と言ってしまうと、まるで『失くしたことがたいしたことじゃない』というように聞こえてしまうかもしれないけれど、そういう意味ではなくて、『あなたは孤独じゃない』『どんな状態でも、様々な工夫で、楽しく幸せな人生を送ることができる』んですよ、『あなたにもその可能性があるんですよ』ということを伝えたいです。

 この『することができる』というのを、プレッシャーに感じないで欲しいなと思います。”できない自分はダメな人間だ”と考えたり、”できる人は元々がすごくて素晴らしい人で、自分はそうじゃないからできないよ”と思ってしまう方がとても多い。でも、実は、そうではないことも一緒にお伝えします。

 『することができる』ということは、『するのかしないのか、選ぶことができる』
 ということです。

 孤独を選ぶこともできるし、孤独じゃない生き方を選ぶこともできる。

 楽しい人生にすることを選ぶこともできる、楽しい人生にしないことも選ぶことができる。

 不幸せな人生と思うこともできるし、幸せな人生だと思うこともできる。

 好きな方を選んでください。

 もちろん、今までと同じ方法ではできないかもしれない。別の方法を考えたり、違うことをしたりする必要もあったりして苦労もあると思います。

 ただ、楽しくて幸せな人生は送れます。

・・・ということを、この身をもって体現したいなぁ、と思っているところです。

 失くしたもの、ないものにフォーカスするのではなくて、これから得られる楽しいこと、生きがいなどに目を向けるのも、悪くないんじゃないか、と思うんです。

 そんなことを考えている私は、目が見えなくなる可能性がある。ということがわかってから、ネットで色々と調べました。

 調べたことは、今は治癒はできないと言われている病気を、なんとかして治す術なんかを調べたわけではありません。(ここのあたりの潔さは、おそらく私が看護師で身体のことをそこそこ知っているから、考えられることなのかもしれませんが。)

 私が調べたのは、「目が見えなくても、楽しく生き生きと人生を送ることができるヒント」です。

 そこでいきついたのが、盲目にも関わらず、クライミングをしている方たちのNPOの団体『モンキーマジック』でした。
 もちろん、他にも様々な団体があると思いますが、私がここだ、と思った理由の一つは、元々ボルダリングに馴染みがあること、もう一つはその団体がイキイキと活動している様子をホームページからみてとれたからです。
 そこでボランティアも募集をしているということで(なにかしらやってみたかったんですよね)、さっそくコンタクトをとりました。そして代表の方(その方も視覚障碍者だ)と先日お会いする機会をいただきました。

 その団体については、今後しっかり関わりを持つようになったら、改めて詳しく話せたらと思います。(2020/12より、ボランティアスタッフとして関わらせていただけることになりました。)

 今回、その代表の方とお話する中で、最も印象に残ったのが、
 ・思うように生活できなくて落ち込んだりすることもあるが、そういう自分を許してあげることにしている
 ・機能を失うのは、老化と似たようなものだと思えるようになった
というような内容のお話でした。

 私からは、自分のここまでのいきさつをお話しました。そうすると、返ってきた言葉は思いもよらない言葉でした。

 戸惑ったり落ち込んだりしていないか、困ったことがあればいつでも連絡してください、という言葉だったんです。

 その時も今も、そこまで現在の状況を悲観していたわけではないんですが、いただいた言葉に涙が出そうになりました。
 やっぱり、私もそれなりに辛かったり、悲しかったりしたんだなぁ、と初めて自分の気持ちに客観的に振り返れた気がします。

 また、これまでは障碍者の方と日常生活レベルで関わったことがあまりありませんでしたが、実際に目の前で付き添いの方がフォローする様子をみて、新鮮な気持ちもあったし、同時にそういった光景がもしかしたら今後日常になるんだろうか、などとぼんやりと思ったりもしたのです。

 失うものはあっても、新しい世界は広がっていくんですね。

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