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絶縁していた母との修復関係。


書こうと思って意気込んでいざ開くと、
何から書いていいか、何から伝えていいかわからなくなる時が多々ある。

でもこれが書きたくて、とりあえずトライしてみようと思う。

最近、関係が絶たれていた母親と、
少しずつだが距離がまた近くなってきて仲を取り戻している。

ずっとずっと望んでいた母親との関係。


2015年頃から去年まで、母との関係は最悪だった。

私が彼氏との同棲を機に家を出たところから始まる。

思い当たる節はいくつかあるけれど、

正直どれが正しい原因かはいまだに分かっていない。


母と仲直りがしたくて、実家に帰ったことが何回もあった。

あるときは母には帰ることを伝えてあった。
もちろん返事はなし。なので兄にも伝えてあった。

なのに母は、私が来る時を狙ったかのように出かけていき、
1時間程度帰ってこなかった。

真夏の玄関先で数十分間、待ち続けた。

家に入ることを許されていなかったので、
クーラーも何もない外で。

そして帰ってきて、すぐに謝ったが聞く耳を持たず
すぐに家に入り、2階の自分の部屋へこもってしまった。

見ていない聞いていないと分かっていたが、

玄関に上がらせてもらって泣きながら土下座をした。

1時間ほど土下座をしていたけど、
真夏で玄関はクーラーも届かず暑いし喉渇くしとで、

諦めてまた泣きながら、駅に向かった。

それまでも何回もメールでの謝罪や、
電話をかけたがもちろん出てくれず

極め付けがこの時の泣きながらの土下座。


こんなにしても母は許してくれなかったのだ。

なので私は、次、母に会うのは
私が再婚して子供を産んだ時、と悟った。

本当に辛くて、家族を失うことの大きさをやっと理解した。


そこから2年、母が長年勤めた法人を退職し、
家も売るということで呼び出された。

その時に少し話をすることができて、
許してもらえる機会を得た。

恥ずかしながら、
私が大学生の頃に母と一緒に買い物をし、
母に借りたお金を返していなかったことも
原因の一つであったようで、その返済を今もしている。

でも毎月、少額ではあるけれど返済をしている姿を見てくれて
それで少しずつ、連絡したときに返事をもらえるようになった。

とても嬉しかった。


最近では月に1回のペースではあるがランチを一緒にできている。

母は、私が5歳、兄が10歳の時に父と離婚をし、

そこから女手ひとつで育ててくれた。

時にすごいわがままを言って母を困らせた記憶がいくつもある。

子供だったので仕方ないといえば仕方ないのだが、
そのわがままさに嫌気がさす今の自分がいる。

そのわがままは母の心も疲れさせたと思う。

影では泣いていたかもしれない、わからないが。

ただその光景を思い出すと私は胸が痛い。

消し去りたい記憶だけどどうしても消えない。


わがままで苦労をさせてしまった母に、
今は感謝を伝えたいし今後は少しでも助けてあげたいし
豊か生活を送ってほしい。

そのためには自分も幸せに生きて、
母のために何かできるような存在になりたい。


過去のわがままについてはまた書きます。


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