東京を下からも遠くからも見る、小さなボートクルーズの旅。
わたしたちは東京というまちの下、水の上を、ボートでなら歩くことができる。
小さな発見に満ちた水上の旅。
ボートは勝どきマリーナを出発して、日本橋、神田方面へ。
時折水面や橋に差し込む光、反射した波が美しい。
そもそも、船という乗り物には海で乗ることが多いからか、上には空しかなかったはず。
けれど今日は違う。ボートから眺める頭上に、人々の暮らしがあり、みなどこかへ向かっている。
車が、チャリが、鳥たちが、あらゆるものが行き交っている。
その下を縫うように、昔はもっと悠然と流れていたであろう水の上を歩く。たまに橋の上の人の視線に見送られながら、ボートは進む。
まちは、東京は、わたしたちに合わせて変わり続けてきたはずだ。
でも、水路のそばには歴史が埋もれている。消えずにある戦前の傷跡や、日本橋の火事の跡。
昔のひとびとの暮らしを想う。遠くにあるまちを想うのと同じように。
海辺から広い広い海を眺めたとき、「遠い対岸のまちもこの水でつながっている」と、果てしない想像をふくらますときと同じだ。
水というものが、遠い存在、目の前に見えない存在への想像を掻き立ててくれる。
東京は、もちろん道でもつながっているし、線路もつながっている。そして、水路でもつながっていたのだ。知っていたけど、ちゃんと見たことなかった。
昼前からはじまったボートクルーズは、午後にも続く。
向かったのは「東京湾」という文字から連想されるような景色を追いかけるエリア。
お台場海上から、大井を抜けて羽田空港の海上へ。
午前中にいた“都市の下”とは違い、海の上にポツンとボートでいる開放感。
ここから大きな船が出入りして、外海に出られる、ということを感じる、海の広さ。
ずいぶん遠くなった東京のビル群はとてもちっぽけに見える。
旅立っていく飛行機を見送りながら、また勝どきへと戻る。
なによりも船という乗り物に乗って前に進む、水の上を歩ける、それだけで楽しい。
海の時間です、というnoteがある。
企画があり、応募したら当選し、今日の旅があった。
YAMAHAという会社は船のエンジンなどをつくっているという。実は漁船のエンジンもYAMAHA製のものが多いのだとか。
わかめや牡蠣を育てる人々、そして海に出て魚を採ってくるひと……。
そういう人たちが大切にしている、船の一部をつくる人たちに今日出会えたことはとてもありがたい機会だった。
私は海が好き、と語るにはまだまだ海での経験値が少なく、知識も少ない。ただロマンとか、ひとの話に魅了され、最近はどんどん誘われて(いざなわれ)いる。
このごろ、行き先はいつでもどこかの港である。
今日は都市のなかにいても水と触れ合える、豊かな時間を過ごせる大きなヒントをいただくことができた。
2023年、船舶免許とって海に近づくぞ。
YAMAHAのみなさん、勝どきマリーナのみなさん、ありがとうございました。